第九話 魔法
――数日後・封魔局本部応接室――
局長室と同じく茶色を基調とするその部屋に、
朝霧とドレイクが座っていた。
眼前には膝の高さの長机。その上にはお茶が三つ。
二つは朝霧たち二人の前に、
そして残り一つは机を挟んだ反対側、
即ちこれから人の座る無人の椅子の前に置かれている。
待ち人は朝霧を調査する探偵。
その人物の判断で朝霧正式加入の是非が決まる。
(……けどなんでこんなに堂々と調査されてるんだろ?)
そんな朝霧の疑問をよそに、扉が叩かれた。
直後、封魔局員の制服を着た人間に連れられて、
一人の仏頂面をした男が入室してきた。
やがて案内を終えた局員が部屋から退出すると、
男はゆっくりと朝霧の方へと目を向けた。
そんな彼に、朝霧は目を奪われる。
黒い髪に黒い瞳、その顔はどう見てもアジア系。
もっといえば『日本人』だったからだ。
すると自身に熱い眼差しを向ける朝霧に対して、
その男はやや気怠そうに口を開いた。
「――私立探偵の森泉……森泉彰だ。」
森泉彰。
そう名乗る男はまっすぐ朝霧を注視している。
両手には黒手袋。服は黒茶色を基調とし、
金色の装飾が施された物で統一されていた。
まるで夜会に出向く貴族のような風貌が
羽振りの良さと独特の威圧感を感じさせる。
やがて森泉が椅子に座るとドレイクが資料を手渡した。
「久しぶりだな、森泉。
彼女が先日話した仮局員の朝霧だ。
詳細はその資料に。」
「朝霧……?」
「は、はい! 朝霧桃香、日本人です。
よろしくお願いします!」
名前に反応を見せた森泉に朝霧は答える。
同じ日本人として親近感を覚えたからだ。
そんな朝霧の顔をしばらく見つめ、
ため息交じりに言葉を漏らす。
「魔法使いにとって人種の違いは些細なものだ。
それに僕は生まれも育ちも魔法世界……
君が共感と親近感を覚える日本人とは違う。」
「まぁまぁ、そう突っぱねないで……
明日以降一緒に活動する相棒なんだから。」
「いや、今から行くぞ。」
森泉の突然の提案に二人は思考が止まる。
資料をまるでパラパラ漫画を読むように
流し見ると森泉は立ち上がる。
朝霧の椅子に立てかけてある大剣を見留めた。
「資料は目を通した。武器の支給も完了しているな?
そして既に『暴走』には制限もつけているのだろ?
今から行くのに何か問題あるか、ドレイク隊長?」
「いや、確かに朝霧はすぐ動けるが、
今こちらから出せる二人用の任務は無いぞ?」
ドレイクは頭を掻きながら答える。
「それにもう昼だ。向こうに着く頃は夕方だろ?
何かすることがあるのか?」
「ある。僕が受け持っている事件に進展があった。
今すぐ向かいたいが知っての通り僕に戦闘能力は無い。
そしてこの女には今、戦闘能力しかない。」
嫌味な言い方にムッとする朝霧をよそに
ドレイクは顎に手を当て考えこんだ。
しばらくしてパンッと両膝を叩き起き上がる。
「分かった。局長には俺から伝えよう。
ただし森泉、ウチの朝霧に無茶はナシだぜ?」
「僕は封魔局員の安全より市民の安全を優先する。
……だがまぁ、善処しよう。」
「朝霧もそれでいいな?」
「は、はい!」
ドレイクに確認されすぐに了承を返す。
その姿をつまらなそうに見つめながら、
森泉は退出する。
――魔法都市ゴエティア・連絡橋――
時は昼下がり。
空の日差しと海の反射が辺りを明るく輝かせる。
その光の中、ゴエティアと陸を唯一つなぐ
長い、長い、連絡橋。その上を一台の車が走る。
車の中には男女が二人、森泉と朝霧だ。
お互い無言のままの時間が過ぎる。
何か話さなくては。
そう思いじっとしていられなかった朝霧が
運転席の森泉に口を開く。
「い、いやー。さっきはあぁ言われましたけど、
やっぱり日本人同士だと落ち着きますぅー。」
「……」
(無視!? ……いや待て運転中だ!
きっと運転中に話しかけられるのを
嫌うタイプの人だ! うん、きっとそうだ!)
無視されたショックを深く考えないことで
回避した朝霧はそのまま会話をやめ、
窓の外をじっと眺める。
光の白と透き通った青が綺麗な海。
思えば今まで心身ともに落ち着かなかった。
フィオナやドレイクはよくしてくれているが、
やはり言語や感性が同じであろう
日本人に会えたのはうれしかった。
(あれ? そういえば何で……)
ふと脳裏によぎった疑問、思わず漏らす。
「何でフィオナさんたちって
日本語が上手かったんだろう?」
「……日本語に聞こえているだけだ。」
突然の返事にギョッと振り返る。
驚かれたことに不服そうにしながら森泉は話す。
「この世界はある三人の魔法使いによって、
魔法使いにとって都合の良いように作られた。
言語が通じるのもその一つ。
かつてバベルの塔にて人類が没収されたとされる
統一言語。彼らはそれを疑似的に再現した。」
森泉は運転しながら続ける。
「仕組みは単純、この世界に入った瞬間から、
あらゆる意味を持つ音や文字は当人が
理解出来る言語に翻訳される、という術式が
脳に埋め込まれる。」
言われて思い返してみれば
フィオナたちの言葉は確かに理解出来ていたが、
まるで洋画の日本語吹き替えを見ているような、
ほんの僅かな違和感はあったと朝霧は回想する。
しかし嫌悪するほどの違和感では無く、
今の今まで全く気づいてはいなかった。
脳に勝手に術が掛けられるのは
やや気持ち悪いと思いつつ、
身近に浸透していた神秘には素直に驚嘆した。
「魔法、すご。」
「……なるほど。そんな常識すらも
知らないんだな。」
感動に水を差される。
もう少し手心は無いのかと不満を抱いていると、
目的地のある魔法都市ミラトスに到着する。
――――
魔法都市ミラトス。
その外れにある大きな森の外に二人はいた。
時間は既に二十時を回り、辺りは暗くなってる。
移動中に聞いた事件の詳細はこうだ。
先週より短期間で三件。
連続殺人が行われている。時間は夜間。
被害にあったのは全て三人以上の世帯。
両親はバラバラに惨殺され子供に至っては
指程度の細かなパーツしか見つかっていない。
この事から犯人は児童誘拐という真の目的を
一家惨殺で覆い隠しているのではないか、
というのが森泉の推理らしい。
そして、森泉の調査の末、
その犯人の隠れ家とおぼしき場所を発見。
犯人の行動パターンを推察するとこの日は
現場下見のために不在になるらしく、
この機に証拠を得ようと調査に向かう、
というのが現状だ。
朝霧が前職で扱ってきたような事件に、
無意識に朝霧は刑事の目をしていた。
森の中を進んでいると
やがて森泉が立ち止まり空中に手をかざす。
辺りはさっきまでと変わらない森の中。
朝霧の目に隠れ家は見当たらない。
しかしそれでも彼は確信を持って呪文を唱えた。
「――ソフィアクルース。今あらゆる秘密は暴かれる。」
瞬間、目の前の空間が歪む。
歪みが収まるとそこには先ほどまで
木が生い茂っていた空間を切り取ったように、
ボロボロの二階建ての建造物がそびえていた。
事件の詳細があまりにも
元の世界のそれと変わらなかったがために、
朝霧はここが魔法の世界だという事を忘れていた。
しかし探偵の術はそんな朝霧の脳に新たな刺激を与える。
「魔法、すご。」
「当然だ、さっさと行くぞ。」
感動に水を差されながら、
二人は建物の中へと侵入した。