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うしみつどき

作者: 不屈の匙


 むかしむかしのあるところ。

 三条の大臣(おとど)の二の姫は、たいそう美しいと有名でした。ぬばたまの髪をもち、琴で遊べば鳥が唄い、歌を詠ませれば京随一と声が高い。

 裳着を済ませて成人のお祝いをしたら、さぞや着飾って時の帝に輿入れをするのだろうともっぱらの噂でした。


 ところが、この姫ぎみは年ごろになると、


「わたくし、わたくしだけを求めてくださる方と添い遂げたいですわ。百夜(ももよ)通い続けられた方を婿にとります」


 と両親にわがままを言ったのでした。

 京の公達たちは「三条の姫ぎみにはきっと目当ての公達がいるにちがいない。それはもしかしてもしかすると、私かもしれない」と浮き足立ちました。

 誰がかの姫を射止めるのかと躍起になり、三条の屋敷に牛車が連なります。日参する公達たちの華やかなこと。流行りの香を見にまとい、季節の花をたずさえ、妻問いの歌を贈りました。


 しかし理想の高い姫ぎみは、並みいる求婚者をばっさばっさと斬って捨てるのです。

 曰く、


「あらあらお加減がよろしくないのかしら。お顔が青くていらっしゃる」

「琵琶の弦を切ってしまいそうな爪ですこと」

「野犬の鳴き声かしら。もう一度言ってくださる?」

「女房が喜びそうな品ですわ」


 血色のよいしかし色白の美男子になってから出直してこい、爪の手入れがなっていない、声が下品だ、姫君に贈る品としては不合格。

 じかに姫ぎみと言葉も交わせないどころか、女房越しとはいえそんなふうにケチばかりつけていれば、三条に通う者も減るというもの。公達はちやほやしてくれるほどほどの姫たちの方へ足を向けるようになります。

 近頃は訪れる牛車の足音もめっきり聞こえなくなってきました。


 そんな三条の邸に、たった一人通い続ける男がおりました。

 肌は白く、爪は丸く、伸びやかな声の、贈り物も申し分ない、文句なしの美青年でした。

 しかしこの美青年、どこの誰だかまったくわからぬのです。


 とっぷりと日が暮れてからやってきて、一刻ばかり姫と話すとどこぞへと去っていかれる。こっそりと召使いがあとを追いかけたこともありましたが、丑寅の方角へ曲がったのを最後に見失ってしまったそうです。

 邸の者たちはその男を「鬼ではないか」とあやしみ、どうか早く主人である姫ぎみに飽きてくれないかと願い、朝を迎えるごとに御仏に感謝するようなありさまでした。


「姫さま、かの男君(おとこぎみ)は鬼が化けたものではございませんか?」


 勇気ある古株の女房が諌めるも、姫ぎみはまったく恐れる素振りもありません。


「あなたったら心配性ね。月ごとに僧都を呼んで読経をいただいているのだし、唐渡りの書物には鬼は人の恐れが凝ったものと記されていました。本当にかの君が鬼なのだとしたら、そう恐れては鬼の力をいたずらに強めるだけです。

 なに、いざとなったらわたくしが弓で射ってさしあげますから。うんと昔にも鬼を追い払ってみせましたでしょう」


 さもありなん。

 姫ぎみは今でこそ絶世の美姫と評判でございますが、幼児(おさなご)の時分は(うちき)ではなく水干(すいかん)を身に纏い、貝合わせよりも蹴鞠や弓に精を出すお転婆でございました。

 実のところ、陰陽師たちがやってくる前に鬼を祓ったこともございます。

 空に描いた弓を引いて矢を放つしぐさが、そこらの公達よりもずっとそれらしい。

 姫ぎみはしきりに肝を冷やす女房たちを諭し、そして怪しげな美男子の、もう一つの不可解な点を挙げるのでした。


「それに、わたくしたちを食べにきているのなら、夜がもっとも更けるころに帰るのはおかしいのではなくて?」


 この男、頑なに、鬼の力が強まる丑三つ時になる前には、三条の邸を去るのでございます。




 そんな夜が、八十六(やそじあまりむつ)を数えましたころ。

 古株の女房が、やなぎ色の装束を姫ぎみに着付けながら文句を言いました。


「姫さま。いい加減、共寝(ともね)する百夜(ももよ)まであと半月もございません。かの君にはいい加減、引導を渡し、姫ぎみを諦めていただくべきでは」

「鬼でもなし。ほかに通う君もなし。約束を違えるのはどうかと思いますよ」

「いいえ! ぜったいに鬼でございます! 鬼に違いありません!」

「もう、怖がりなのだから。では今夜、かの君が鬼かどうか確かめましょう」


 その日は、藤の色をまとったまろい月の光が、邸の縁であそぶような明るい夜でした。あたりには夜の匂いがたちこめて、花びらがしずしずと積もっていました。

 今夜も丑三つどきを待たずして、男は庇より腰をあげます。


「私を放って、もう帰ってしまわれるの? あなたは鐘の音に攫われるよう。わたくしの他に通う姫でもいらっしゃるのかしら」

「これは嬉しいことをおっしゃる」


 その頃には姫ぎみが御簾のそばに控えていて、みずから声をかけることも常のことになっておりました。

 恐々とする女房たちを尻目に、姫ぎみは月魄のごとき男がほんとうに鬼なのかどうか、御簾(みす)ごしに試すことにいたしました。


「せめて別れの言葉をあなたの口から聞きとうございます」

「私の心は姫ぎみおひとりと定めておりますれば、おそばにおりますがゆえに、姫ぎみに触れられぬ苦しさを味わうのでございます。この場を辞する身勝手な私をお許しくださいませ」


 まずは、牙があるかどうか。

 男はたっぷりとした絹の袖で口元を隠し、暇乞いをいたします。

 姫ぎみははしたなくも男の衣の裾をはしと掴み、引き留めました。


「お待ちになって! 烏帽子をとってくださる?」

「今宵はずいぶん積極的でございますな。それは百夜を迎えたときにお見せいたしましょう」


 次に、角があるかどうか。

 男が(もとどり)を晒すのはとても恥ずかしいことで、寝所でもなければ烏帽子を外すことはありません。男は夫婦になった時に、と断ります。


「それでは、代わりに庭の藤をひと枝いただけますか?」

「……お安い御用です。どうぞ」


 最後に、爪が長く尖っているかどうか。

 男は躊躇うようにしばし黙りこみ、諦めたように庭へ降ります。所望の桜を手折り、姫ぎみに手渡しました。

 御簾をかかげる指先も、桜の枝をささげる指先も、赤く長い爪をそなえていました。


「ありがとうございます。……まあ、爪がとんがってらっしゃる」


 とうとう鬼だと知られてしまった男は、烏帽子をとって項垂れました。

 女房たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出しましたが、姫ぎみはとっくりとその様子を眺めました。

 その(ひたい)には月の光をあつめて作ったような、象牙のごとき円錐の角がありました。惚れ惚れとするような、うつくしい角でございます。

 夜も深まる丑三つ刻では鬼の力が強くなって、角や爪を隠すことができなくなるのでした。


「私は姫ぎみが幼いころに、貴女に逃がしていただいた鬼でございます。鬼でありながらあなたを乞うた我が身を軽蔑されるでしょうか。それとも僧都や陰陽師ども、検非違使らに告げ口なされるでしょうか」

「まさか。だってわたくしに百夜通いつづけられた殿方は、貴方だけですもの」


 姫ぎみは軽やかにお笑いになって、御簾をくぐって膝を進め、月明かりに華やかな(おもて)をあらわにしました。

 それに男は驚きました。位の高い姫ぎみが顔を見せるのは、父親か夫くらいのものですし、なにより鬼である自分を恐れる様子がまったくないからです。そして姫ぎみは、鬼が自身を(めと)る条件を揃えたとまで口にしました。

 しかし、鬼には心当たりがありません。


「はて。私はまだ、八十と六つの夜しかあなたに妻問いしておりませんが」

「あなた、わたくしの言葉を受けて姿形まで変えてきたでしょう。青い肌から玉の肌へ。爪は丸くして、お声だって優しくしてくださったし、贈りものは上等なものになさったわ」


 姫ぎみは最初から男が鬼であることを知っておりました。追い払うために色々と人間との違いを指摘をしておりました。

 この鬼は半月ほどかけて、少しずつ人間の姿形と心を得たのでございます。その期間を含めれば、確かに今夜でちょうど百夜でございます。


「わたくし、百夜あなたと語らって、鬼かどうかは些事だと気づきました。無理矢理に攫うことだってできましたのに、あれこれと口煩いわたくしに呆れることもなく、雨の夜も風の夜も、百夜絶やすことなく通ってくださった」

「鬼とはもともと形のない生き物でございますから、姫ぎみの言葉が私を作ったのです。……私に拐われてくださるだろうか?」

「ええ。喜んで」


 鬼が差し出した手に、姫ぎみは自分の手を重ねました。見つめあう二人は月の光に溶けていくようでした。




——うつそみの 人にもならむ きみがため うつくしき(こと) ふじに尽くさん


 あなたのためならば、現世(うつしよ)の人にでもなりましょう。この藤にかけて、ずっとあなたを思う言葉を尽くします。



——百夜月や みあらわしたり きみにより 思ひならひぬ ふじの行く末


 百夜の月明かりが暴いたあなたによって、私は永久の思いというものを知りました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 王道の展開ですね。姫の性格が明るくて能動的な印象を与えるのも好感が持てます。男の過去が知りたくなります。 すごく元ネタがありそうな雰囲気ですね……翻案かと思いました
[良い点] 平安時代の鬼と姫様の異類婚姻譚を、完成度高めに描ききっていました。雅さがあるのは、平安の語彙を使いこなし、物語を語っているからでしょうか。無理なく、力まず、その上わかりやすく語句を使いきっ…
[一言] すんごい。すごい、好きです。 お姫様は最初から分かっていたのですね。 肌の色、爪、声、贈り物、と指摘してそれを受けた鬼がどんどん美しい男の人に変化していくのがとても素敵でした。 大人の日本昔…
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