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テスト近いんで次がいつになるやら

「……。」


 大きな肩透かしを食らったエルクの前には、まごうことなき女子小学生の姿があった。それも、この年頃の中ではかなり可愛い部類だろう。詰まる所、近所の年配たちに『べっぴんさん』なんて言われていそうな類。

 サクラ色の薄手のジャンパー、落ち着いた色のスカートにスニーカーに、頭にはちょこんとベレー帽が乗っている。ランドセル横には何かのマスコットを象ったキーホルダーがついている。

 そこにいるのは何故だか、小学生だった。

 瞳の中に、凛とした輝きが見える。それが一瞬だけ、西日に照らされて光ったような気がした。


(……あれ、おかしくね)


 人気のない停留所の隅で、謎の白銀髪男とそれを見つめる小学生の女の子。

 ――そこに展開されているのは、ラブ・コメディーでもなく家族系でもないわけで。


(これって、俺が悪いか?)


 エルクの頭では混乱が波乱を呼びさらにややこしいことになっている。慌てて思考のよりを戻すと、状況を整理する。

 と、それさえも妨害するように、小学生はエルクの隣に座った。


 万が一、この小学生が《HaL》であるとして、するとエルクの隣に何食わぬ顔で腰掛けたこの少女は、普通のデータサイエンティストが大学で四年掛けようやく手に入れるような技術体系を、一週間もかからず完璧に理解した天才、ということになる。

 どうしてそんなことを知っているのか。それは、《HaL》に技術を教えた張本人が、エルク自身であったから。


 文字のやりとりの中で、年代が近いことは薄々気づいていたが。

 アスキーアートで平気で中指を立ててくる《HaL》は、


 よもや小学生だとは。



 エルクは今、天井を見据えて頭で問答していた。そして今一度、その小学生を横目で見る。

 彼女は端末を弄っていた。新しい型のリストモで、黄色と黒の対比が目立つタイプ。

 そのディスプレイに一枚の2Dウィンドウが浮かんでいて、それはエルクに見えるように向けられていた。


『:wHibuD928**@BUaNux?(どうですか、センセイ?)』


 確定した。

 これはエルクと《HaL》が互いのやり取りで使っている暗号だ。本人らでないと絶対に伝わらない。そして『センセイ』と言うのは、エルクのことだ。

 だが、エルクはそれに反応を返さなかった。

 相手の目的が何なのか分からない今、相手が小学生だろうと何だろうと、慎重であるのは変わらない。

――見かねたような顔で、その小学生は言った。


「エルク・リッチー、って名前、あとその髪の色は、センセイって留学生か何か?……ですか」


 後ろに結ばれたツインテ髪を揺らして、エルクに対して言った。さらっと教えてもいないエルクの名前を出してくるのには驚いたが、よくよく考えれば彼女は情報屋だった。

 どうでもいいが、直に『センセイ』と呼ばれるのはなんか新鮮に感じる。


「……そっちこそ《HaL》が本名だったとはな。《新咲ハル》さん」


 エルクがそう言うと、《HaL》改め《ハル》は、木陰から表情を、一瞬陰らせた


「わたしは名前言ってない」

「……いや、俺も教えてないし。名前なら常時開示してるだろ、ほら」


 ハル自身が気づいていなかった事にも驚きつつ、エルクが赤いランドセルの、その側面あたりを指差す。するとそこには学校の名札だろうか、校章の下にでかでかと、新咲ハルの名が書き入れられていた。

 エルクはこれが、天才少女の何らかの策略であることを疑った。――が、すぐにそんなことは無いと確信した。


 多分この少女、ただ天然気質なだけなのだろう。


「ボケて無いよな?」

「……学校で絶対付けろ、って言われてるから……です」

「このご時世……っつってもこの街じゃ問題ないだろうけどさ、もし変質者に名前覚えられたりでもしたらどうすんだよ」


 エルクが言った。

 すると、彼女は一切表情を変えずに名札を取り外し、ジャンパーのポケットに入れる。そしてあろうことか端末上のウィンドウに、こんな暗号文を乗っけて寄越してきた。


『PE*rV―e#rt(お前のことだろ変態)』


 人の個人情報を洗いざらい探し出しておいてそれは無いだろとツッコミを入れたかったが、止めた。より状況を悪くしそうだ。

 ただ、分かったことがある。彼女、典型的な『ネット弁慶』だ。


「一応言っとくけど、怪しい外人とかじゃ無いからな。クウォーターだから純粋な日本の血は四分の一だけど、ちゃんと日本人。空気は読めないけど」

「ん、じゃあそれも地毛?……ん、すか」


 後になって気づいたが、ハルの語尾が変なのは敬語を使おうとしているからだ。あとは単純にコミュ障。


「そう。片親もれっきとした外人だから色も偏ってるんだよ。あと下手くそな敬語やめろ」

「したくてしてるわけじゃ……いちおうセンセイだと思ってるし、です……ですし?」

「混乱するから止めろって言ったんだ。その『センセイ』ってのもいらない。大体、ネットの中じゃお前、タメ口どころか暴言だったろ」

「むぅ、……分かったけど……エルク」


 ハルは少し反論したげにエルクを見た後、諦めたようにそう言った。

 国がらみの機密情報だって掠め取れるのに、敬語は話せない。今更になって、エルクはこの小学生が本当に《HaL》なのか疑問に思えてきた。だが、まあ、そう言うものなんだろう。


「自己紹介も馴れ合いも今は興味ない。今は時間が惜しい」

 エルクが、ようやく本題を切り出そうと口調を強めた。

「《HaL》に依頼したいことがある。この場でだ。それとハル、お前が俺を呼び出した理由も、聞かせてもらう」

「その理由は話を聞いてから。……『依頼』だけど、きのうに調べた」

 ここに来る前に予め、ハルが持つ情報網を使ってサーチを掛けるためのデータを送っていたのだ。

「じゃあ、もう出来たのか?」

「まだだよ。あれだけじゃ絞り込めないし、ソートできない……範囲レンジを減らせばできないことはないけど」

「じゃあそれでいい。今やってくれ」

「今から……?」

「いいだろ。『できないことはない』んだろ」

「……むぅ」


 嫌そうな顔をしながらそれでもハルは、心許ない指先で端末を操作し始めた。映し出された三次元インターフェースは、エルクの使っているもののような古臭いものでは無い。人間の持つ感覚をフルに使って操作する、新時代のインターフェース――とは言うものの、実を言えば遅れているのは、昔気質なことをやるエルクくらいだが。


(これが、天才ってやつですか)


 途方もなく洗練された操作で、彼女は空中に浮かんだノード(ブロックのようなもの)を組み立てていた。もちろんそれに並行して、思考制御での操作も行なっているはずだ。


――他と対して相違のないような小学生が、今は遥か遠くにあるように思えた。


 ハルが操作している間、エルクもその工程をじっと観察していた。

 少し経って、突拍子もなくハルが口を開く。


「これ」


 計算の過程で作られたノードを、結果が全てだと言わんばかりに全て閉じてしまうと、残った一枚のウィンドウを拡大する。

 要するにこれが、ハルの持つ情報量でふるいに掛けた数。

 そこに映された数字を覗き込む。頭に書かれた総桁数が予想を遥かに超えていた。


「今ので出てきた該当件数の数」

「まじか」

「うん、まじ」


 このデータもだいぶ絞ったものらしいが、それでも途方の暮れる数。

 さらにこれでも、フィルターでふるい分けたあとのものだから、その前に手元にあった母数は計り知れない。


「スパコンを通せばもっと絞れないか? お前なら《REAPERリーパー》弄るのも難無いだろ」

 リーパー、というのは、ちょうどこの街の中核部にある都市機構が持つループ方式の量子計算機だ。

「やだ。都市機構の人たち怖いし」

 不正アクセスは気兼ねなくやる割には、何を今更小学生みたいなことを。

「そうじゃなくても、このデータを通したところで精度が上がるくらい。量子コンピュータってすごそうだけど、使ってみたらぜんぜんすごくない」

「やっぱ……難しいか。薄々は気づいてたけど」


 天才小学生さんでさえお手上げとなると、より一層希望がなくなった。


「……ねぇ、こうやって一帯のログを総当たりするのより、直接この《beast》って人に頑張って聞くほうが早いよね」

「……は?」

「だって『IP』の人と唯一関わりがあるのはその人なんでしょ?」

 そう。そう言えば昨日の出来事の詳細は、彼女には教えてない。


 エルクの脳裏に、最後の光景がフラッシュバッグする。


 ――道行く通行人。喧騒の中で潰れたカエル。ぐしゃぐしゃになった《beast》の表情。すでに生気は無かったが、その目は最後に執念深く、エルクの方を睨みつけていた。

 事故を起こすように一般道に向かわせたのもエルクだし、混乱をさせたのだってエルクだ。

 あの光景を望んで造ったのは、紛れもなくエルク自身だ。



「……無理だね。十中八九死んでるし、そうでなくちゃ困る」



 そんな自分の言葉に、初めは感じていた心の冷気に、気づけなくなっていることを、エルクは知らない。

 名の無き亡霊アンノウンとしてハッカーの世界に初めて潜り込んだ時の感覚は――『チャイ』という少女を思う熱量で暴走していたあの頃の感情は、すっかり消えてしまっているということにも。



 この場合において正常な考えの持ち主は、間違いなくエルクではなく隣の女子小学生だった。『死』の単語を出した瞬間から、そこまでのルーズな会話で緩んだ表情が引きつった。

 しかしそれも、一度だけだ。うつむきから顔を上げると、元の澄まし顔に戻っている。

 エルクのしていることは彼女だって、それがどんなことであるかを理解している。


 それでも、彼女はエルクの方から目を背けていた。宙を見つめる顔は、間違いなく後悔の表情だった。


「……そういう仕事はしないって」

「してないよ。仕掛けてきたのは向こう側。ただ、今回は俺が迂闊だった」

「……」

「全部、『Cloner』を見つける為だよ」


 その言葉が本心か偽りか、今はエルク自身にもわからなかった。



 ふと道路の向こうに、都市バスのシルエットが見えた。

「あれに乗る」

 ハルがそう言って立ち上がった。バスが目の前で停車し、彼女はステップに足をかける。

「話は終わってないぞ」

「来て」


 それだけ呟くように言うとさっさと入っていってしまった。エルクも渋々、行き先の知らないバスに乗る。

 座席に着くや否や、ハルがすぐさま切り出す。

「このバスで終点まで行く」

 終点? と、エルクは窓の透過ディスプレイにマッピングされた運行表を見た。

「これの終点って駅前だろ」

「うん。だから、電車を使っていくの」

 なるほど、とエルクが納得。しかし行き先はまだ教えてくれないらしい。


 ハルはランドセルを下ろして、手際悪く持ち上げると、目の前のフックに引っ掛けた。それから何でかバスの中をぐるりと見渡した。その動きは天敵を警戒する小動物のように見えた。


(スパイごっこでもしてんのか)


 天才の考えることはわからない。そうして周囲のカバーリングを終えると、一安心といった様子でまた、端末を弄り始める。顔を合わせた時と同じように、「んっ」と強調した感じに、エルクにウィンドウを突き付けた。


 暗号で書かれた一単語。集音マイクに拾われるとまずい類のものらしい。それには、こう書かれていた。


《 D v o r a k 》


「これは知ってる?」

 身にも覚えのない単語である。デボラック、ディボラク、ドボラク……と、読みを想像する。

「いや……知らないな」

「最近出来たレギオンの名前。急に出てきて、誰も中身がわからない」

「分からない? 活動してないだけだろ」


 レギオンは、ハッカーの集まりみたいなものだ。

 『チーム』として活動する物の中では比較的大きなものを指す。過去に存在した物で、多くに周知されていたのは《アノニマス》や、それに派生した《ライズセック》なんかが当てはまる。

 全てのデバイスが常時ネットワークに紐付けされた今の時代、どんなことをするにしてもそこでの行動の全てはログという足跡に残される。

 現代のハッキングにおいて重要なのは、どれだけその足跡を残さないか。番犬の眠る横で砂利道の上を歩くのだ。大人数になればなるほど危険も増す。

 そんな集団の内部情報なんか、足跡を辿れば幾つだって見つかる。


「でもね、『被害』は出てるし、分かってるのもその人たちがサイトで発表していることだけ。それ以外はさっぱり」

「そりゃ変だ」

「そう。へんなの。だから見てきて」

「なるほど―……は?」


 脈絡ない小学生の言動に、エルクが言葉に詰まる。


「見てくるっていっても、その人たちのセキュリティーシステムが見たいだけだから」

「いやいや、情報が無いなら見に行くも何も……まさか――」

「見つけちゃった。《beast》さんを探してるときに」


 エルクには到底考えが及ばない。アサシンみたいなステルスを持つようなハッカー集団は、小学生に『ついで』で攻略されてしまうほどのものなのだろうか。


「まあ、途中で変なコードを受け取ってクラッシュアウトしちゃったんだけどね。でも場所は分かった。それが、これから行って欲しいところ」

「行くって……結局どこだよ」

「都市機構のすぐ手前」

「……ああなるほど……とは言えないな」

「そこから、ローカルネットを辿る。とにかく、行けばわかるとおもう」


 突拍子もないにも程があるが、エルクはもう何も言わないことにした。それよりも、この小学生にハッキングを教えたのが自分であるという事実にオロオロしていた。


 その時、バスのアナウンスが終点の二個前にある停留所に止まった。


「わたしは帰るから。行く場所はあとで送る」


 おもむろに立ち上がったハルは、ずり下がった頭上のベレー帽をぐいぐいと引き戻し、そして、またランドセルを背負い直した。


「はあ、俺はお使い頼まれに来たってわけだ。それも小学生に」

「小学生なのは関係ないでしょ。……でもそういうこと」


 よろしくね、とエルクに言い残すと、停車したバスの出口へとハルは歩み始めた。



「――あ、そうだ」


 しかし最後、思い出したように立ち止まる。


「ラックにもよろしく。また今度おはなししようって」

「分かった…――は!?」



 独りでににつんのめったエルクを置いて、その小学生はさっさと去っていってしまう。


「……」


 呆然としたまま、バスは再び動き出した。


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