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「…おい……おーい――起きなさい、おーきーろ〜って。はい、やっと起きた」


 耳の中、反芻。

 うるさい。外部の音に対するシンプルな答えは、頭の中で作用する。ここでコールされるのは、二度寝の動作。


「ん、うっさい」

「は?ちょっと寝ないで、起きて!ウェーイクアップ、エルク!起きろ――」


無理に呼び起こされた意識は、限度を振り切ったバネの要領で元に戻ろうとする。が、止めない。耳を塞いで、聴覚の物理的な遮断……完璧だ。


「――なあ、……為だから……だから体罰じゃない、あくまで姉としてだから、これ以上寝てると本当にやるからね!。サン、ニ、イチ、はいっ!」


 強烈な刺激が、再び落ちかけていた意識にダイレクトに伝った。

「ぶべらっ!?」


 ちゃんとした痛みになったのは後からだ。それも攻撃されたうなじだけじゃない。驚いて飛び上がった時、膝を机にぶつけた。これで痛みは二倍だ。


「いっ……痛っててて、なんなん急に…・あれ」


 視界が徐々に冴えていく。止まっていた思考は相変わらずローテンポだが、それでもこの状況で何かがおかしいことくらいなら、一瞬でわかる。


「姉ちゃん、なんでいんの」


 そう言うと、目の前の姉は一瞬、雷を見たアヒルのようになった。それから、うんざりしたとでも言いたげに溜息をつく。


「エルク……時計見てみなさい、ほら」


 なんのことだろうか、寝ぼけ頭で考え一つ浮かばない。お得意の三桁二乗の暗唱も、今じゃ出来るかわからない。姉がミサンガ型のリストモ(携帯端末の一種)を操作して、3Dインジェクタに現れた時計盤をエルクに見せる。


 15:24


映っていたのはそれらの数字。確か、眠りに入ったのは午前だったであろう。まあ、こんなのはよくあることだ。

 さっきから、姉の言わんとすることがわからない。


「いや、姉ちゃんなんで俺の部屋いるのさ」

「……ねえエルク、まさかお酒で酔っ払ってなんかいないよね?」

「は?」

「……あーもう、重症ね」

 頭を抱えた姉が本当に重大そうな声でそう言った。



「エルク、ここ学校よ」






 長い長い、無駄に長い廊下を通ると、隣接した大学部と共用で使われる教員棟がある。途中で、まさに今カツラを付け直している教頭と鉢合わせになったが、知ってたから気にはしない。無言の圧力を与える目力教頭を尻目に、ようやく一つの教員室へとたどり着く。


「っ痛てて」


 服が首筋を擦れるたびにヒリヒリする。最後の授業で姉に受けたしっぺの痕は当分の間は消えなそうだ。

 中野崎 ケイ。なんとも飾り気のない表札にはそう書いてある。エルクはためらう事なく

その扉をあけ放つ。


「たのもー」


 そう言うと、奥の仕切板からひょいと、こちらを伺うように顔を出した。


「ああ、エルクね」


 何かの作業をしてたのだろうか、椅子から立ち上がり、トントンと紙を纏める音がする。エルクは何も言わず、机の下にしまわれたスツールとデスクチェアの、後述の側の場所に座った。


「姉ちゃん紅茶ちょうだい、砂糖無し」

「……一応今日は教師然として呼び出した筈だけど。はあ……いいよ。味は?」

「『アッサム』で」


 渋々、と言った感じで、姉が棚からティーポットやら何やらを取り出した。エルクが教員用のデスクチェアを占領していることに気づいているのかいないのか、それはスルーされた。

 机の上に二人分の紅茶が並べられ、姉がスツールの方へ座る。


「それで」


 姉は、カールした茶髪を少し手で寄せながら、静かにそう言った。――姉、とは言うものの、エルクの白銀髪と姉の茶髪に血縁関係は無い。ただそれに近しい関係、と言うだけだ。

 小さい頃からずっと一緒だった。正しい関係を言葉として正すなら『幼馴染』だ。


「それで、エルク。最近はどう?」

「最近?何とも。ああでも今日はいっぱいあった。居眠りしてたら一限から三限まで時間ぶっ飛ばしてたとか。三限の最後に教師に起こされて体罰受けたり――」

「体罰じゃ無い。あくまで『姉』としてだからね」そこは意地でも認めないようだ。

「違う、そういうことを聞いてるんじゃない。……というか、言わなくても分かってるでしょ」

「あ、姉ちゃん前の彼氏と――」

「茶化さないの。真面目に聞いてる」


 語尾の強くなった言葉に、エルクはすぐに静かになった。

 この姉がする真面目な話は、ただ一つの事柄を指しているに他ならなかった。


「最近眠れてないでしょ。今だって、目にでっかい隈がある」


 そんな自覚は到底なかった。エルクは自分の顔を指でなぞってみる。


「そんなわけ……」

「立ち直れてないんでしょ。……いや、立ち直る方が難しいか。でも、引きずってちゃならない」


 姉が、まっすぐエルクの目を見る。


「私がまだ家にいた頃はすぐに様子見に行けた……今はそんなわけに行かない。弟がこうやってやつれてるのが心配なんだよ」


 姉が、机に置いたエルクの手を握った。


「……」


 この手は、きっと世界で二番目に暖かかった。一番目は言うまでもなく――記憶の底で残るだけの――あの少女の手。

 それを振り切る。振り解く。二度と思い出せなくなる。

 記憶の中の彼女さえも、亡くなってしまう。



 ただ、姉に心配をかけることとは、別の話だ。嘘だって吐きたく無い。


「ごめん姉ちゃん、心配かけて」


 心の底からの、飾りのない言葉。


「でもそんな深刻な話じゃない。学生って多忙なんだよ、姉ちゃんはもう違うけど」

「いや、多忙さなら今だって負けず劣らずなんだけど……」

 そこには突っ込みたかったらしいが、今はそれで飲み込むことにしたらしい。

「んー、まあいいや。……多忙って?」

「ゲーム」


 その一単語が、場の空気をバグらせた。

 姉は今までの深刻そうな表情を固まらせた。そのまま紅茶を一口飲む。

 渋い顔をして、するとその表情が崩れて気の抜けたような、さらに安堵の混じったような溜息をついた。


「そういう事なら良かった――いや全く良くはないんだけど、杞憂だったって事ね、私の話は」

「そうかもね」

「……はっきり言わないで。本当に心配したのに」


 スツールの背もたれに寄りかかって、溜息混じりに言った。


「ただ、もうあんまり夜更かししない事。それと、エルク。何か悩んでたら姉ちゃんに相談。わかった?」

「分かったって。ありがと」


 冷めかけた紅茶を、エルクはそこで一口に飲み干した。正直味はわからなかった。ただ、濃い刺激で意識が冴えるのだ。紅茶を飲む理由は、ひとえに眠気覚ましでしかない。

 ごちそうさま、とだけ言い残して、デスクチェアを立った。


「エルク、もう帰るの?」

「帰ってゲームだってしたいし」

「程々にね」


 エルクは食器を片して、扉に向かう。しかし……油断していた。

 じゃあこれ、と言う一言とともに、姉はひと束になった何かの紙を渡してきた。


「……これ、何?」

「プリント。エルクが居眠りしてた授業の補習用。いくら弟でも贔屓できないでしょ。たとえ、頭が良くてテストも高得点だったとしても、ね?」


 正直、あんまりだと思う。

 笑顔とともに押し付けられたプリントを眺めて、エルクは静かに項垂れた。


「じゃ、ファイト」


 その微笑は、暖かい姉のものなのか。あるいは冷徹な教師の嘲笑なのか。多分、両方だった。

1月5日までは毎日更新する(つもり(分からない(定かでない)))です。

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