第八話 兄と妹の覚悟
何とかしてライラを排除できないか。そんなことを考えていたが、良い案は中々浮かばない。
どうしたものかと悩んでいたある日、父の兄である伯父のトゥルペイネン公爵が訪ねてきた。伯父は現王の従弟にあたる。もちろん私の父も王の従弟であるが、傍系であるため力など何も持たないが、伯父はそれなりの発言力を有していた。
「オリヴェルは『銀の貴公子』と呼ばれていた父と益々似て来たな。私の下の息子など、社交界の女性の心をオリヴェルが全て持って行ってしまうと嘆いていたぞ。早く新しい婚約者を決めないと、未婚の男が泣くことになる」
「またご冗談を。今日は私に縁談でも勧めに来られたのでしょうか」
伯父は何を言っているのだろうか? 父方の祖父は先代王の弟だった。私が幼い時に亡くなったので姿はあまり覚えていないが。ごく普通の中年男だったような気がする。『銀の貴公子』と呼ばれていたとは思えないし、本当ならば恥ずかしい思いをしていたはずだ。
伯父は時たま真面目な顔で冗談を言うから対応に困る。
「伯父様。私はお兄様の婚約者としてティーアさんは少し地味だと思っていたのだけれど、お兄様を狙っている、まるで猛獣のようなギラギラした目をした方たちが義姉様とになるのは嫌だわ。それくらいなら、ティーアさんの方がましよ」
「ましって、マリッカは何を言っているんだ。ティーアは十分可愛いだろう。それに、私を狙っている女性など、どこにいるんだ? 出会ったこともないぞ」
妹は前にもそんなことを言っていたな。変な妄想癖でもあるのではないかと心配になる。
「まさか、無自覚なのか? それは愉快だ」
伯父はそう言うが、全く面白くもない冗談だ。
「それで、本日の用は何でしょうか?」
私だって忙しい身だ。変な冗談に付き合っている暇はない。
「今日はマリッカのことで相談があってやって来た。マリッカを養女として我がトゥルペイネン公爵家に迎えたいのだが。そして、然るべき相手と婚姻を結んでもらいたい。これは王妃も了承済みだ」
確かに伯父には娘がいない。そのため、王太子の婚約者としてユスティーナが選ばれたのだ。
しかし、公爵である伯父が娘を政略結婚させてまで縁を結ばなければならない家はないはずである。
そして、王妃も了承済みだということを鑑みれば、伯父がマリッカに何を望んでいるか明らかだ。王妃からのお茶会への招待は、妹を見極めるためだったのだろう。全く有難くないが、妹は王妃に気に入られたらしい。
「マリッカを危険に晒すようなことはできません」
少々気が強い妹ではあるが、それでも大切な妹だ。しかも妹はまだ十六歳なのだ。
「ユスティーナが無事目覚めたらしい」
それはティーアのためには喜ばしいが、そんなことを言い出した伯父の意図がわからない。
「伯父様、それはどういうことですか? ユスティーナ様は処刑されたのではないのですか」
妹も戸惑っている。
「ライラが暗殺未遂を自作自演し、ユスティーナにその罪を着せた。そして、ユスティーナを処刑しろとライラは王太子を焚きつけたのだ。王妃とユスティーナ?の父親であるレイニカイネン公爵は、さる令嬢の協力も得てユスティーナを脱獄させた。ユスティーナは生きているのだ。しかし、現状のままでは家にも帰れず別人として隠れ住まなくてはならない。哀れなことだ」
もし王宮がライラを排除することができれば、それは公式の事実となるのだろう。王妃がライラに暗殺者を送ったことは永遠に明らかにされることはない。
「その令嬢って、もしかしてティーアさん? 脱出したのは夜会の時?」
妹が伯父を見上げて訊いている。伯父は黙って頷いた。
「あの時、ティーアさんが抱き合っていたのはユスティーナ様だったのね。男性にしては線が細いなと思ったのよ。ごめんなさい、お兄様。私が不用意なことを言ったから、婚約を解消してしまったのよね。最近のお兄様はティーアさんと殆ど会っていないようだったから、仲が良くないと思っていたけれど、そうではないのよね」
妹は涙目になりながら、私に謝ってきた。確かに妹の言葉が切っ掛けではあったが、婚約解消を決めたのは私だ。
「マリッカのせいではない。私がティーアを信じ切れなかったからだ」
「お兄様、私があんなことを言わなければ。でもよく考えると、全てはライラが悪いのよ。罪のない女性に無実の罪を着せて処刑させようなんて酷すぎる、そんな女を王妃にできないわ。伯父様。私が公爵令嬢となって、王太子様と結婚すればいいのですよね。そうしたら、ユスティーナ様を助けることができるし、ライラは捨てられてしまうわ。いい気味よね。私は全力で王太子様を誘惑してみせるわ」
なぜか、妹の目は獲物を狙うように鋭く輝いていた。
妹にも伯父の意図がわかったようだ。しかし、ユスティーナのためだとか、ライラが憎いとか、そんな一時の感情で決めてはいけない。妹の一生がかかっているのだから。
「そうしてくれると有難い」
伯父はそう言うが、私は認めることはできない。
「マリッカ、わかっているのか? 王太子殿下を誘惑して心を奪うことができれば、殿下と結婚することになるのだぞ。それに、失敗すれば未来の王妃に嫌われることになる。結婚だって難しくなるのだ。そこのところをきちんと考えないと駄目だ」
「それくらい私にもわかっているわよ。もし、王太子様と結婚することになったら、未来の王に相応しくなるようにビシバシ鍛えてやるわ。女に誑かされて元婚約者を処刑するなんて、王族を何だと心得ているのかしら。権力には義務も発生するのよ。小さな領地を運営するだけのお兄様だって、婚約者を放っておいて寝る間を惜しんで執務しているのに。国の舵をとるなんて、もっともっと努力しなければならないわ」
妹は私が無能だと言いたいのだろうか? 本当のことだから反論もできないが。
伯父を見ると、嬉しそうに笑っている。確かに妹ならば、あの王太子を再教育できるかもしれない。
「無茶なことだけはしないで欲しい」
手を固く握りしめて熱く語っている妹に、私はそう伝えることしかできなかった。
「伯父上、マリッカ。『銀の貴公子』の話は本当ですか? 私は女性に好まれるような容姿をしているのでしょうか?」
「今まで気づかなかったのか? まあ、社交界へのデビューとほぼ同時に婚約を結んだからな。仕方がないか」
伯父は呆れたようにそう言った。妹も頷いている。
それならば、私もやってみよう。少しでも妹の手助けをしたい。
妹が伯父の養女となる話は、思った以上に速やかに決まっていった。そして、王城での夜会で披露されることとなった。その夜会には私も一緒に参加することになる。
その前に私はティーアに逢いに行った。
ナルヴァネン子爵は二人で庭を歩くことを許してくれた。再び肩を並べてこの庭を歩くことができて嬉しいが、もうティーアは婚約者ではないので、手を握ることも口づけを交わすこともできないと思うと少し寂しい。
「ヴァロが無事目覚めたのですよ。すっかり以前のように元気になっています」
ティーアが本当に嬉しそうに私に告げる。彼女に口から親しそうに男性名が発せられるのは、わかっていても複雑な気持ちになる。
「それは良かった」
私は短くそう答えた。ティーアは私がそのことを聞きに来たと思ったのだろう。彼女は少し怪訝そうに顔を上げる。
「今日は、どのようなご用なのでしょうか?」
「伝えたいことがあって。私がティーアを裏切るような真似をしていると噂が流れるかもしれないが、私を信じて待っていて欲しい。必ずヴァロを元の身分に戻して、君の憂いを取り除く。そして君に求婚するから。だから、私を信じて欲しい」
もし失敗すれば、私は王太子の敵になる。命はないかもしれない。
妹は伯父の養女となり、母は領地へ行っている。トゥルペイネン公爵の縁の子爵家だ。私が死んでも取り潰されることはなく、従兄弟の誰かが継ぐことになるだろう。私以外に累は及ばないはずだ。
私はターヴィのように剣でティーアを守ることができない。しかし、私の容姿が武器となるのならば、最大限にそれを活かして彼女を守りたい。
「私はオリヴェル様を信じます。だから、絶対に迎えに来てください。どうか、危ないことはしないで」
「わかっているよ。私は臆病だから、危険なことなどしない」
私は笑ってみせた。これが最後の逢瀬になるのであれば、私の笑顔を彼女の心に刻みたい。