第七話 二度目の婚約は
昼食後に子爵家の侍女が総出で妹を磨き上げた。ユスティーナの喪に服すため、ドレスは灰色の地味なものだったが、プラチナブロンドの髪と大きな紫の目はかなり目立っている。
王妃の目的もわからず、王宮に妹を一人で行かせるのはかなり不安だが、王妃の招待を断ることもできず、招待されたのは妹だけなので私はついていくこともできなかった。
ライラの暗殺未遂事件は、ユスティーナが嫉妬のあまりに引き起こしたことになっているので、王太子と王妃は表立って対立しているわけではない。しかし、ライラは王妃を嫌っていると噂されている。それが本当ならば、王太子やライラの信奉者が王妃に招待された妹を敵だと認定してしまうかもしれない。
ユスティーナを処刑したことで、ライラの評判はかなり悪くなっている。ただの王妃の客である妹を直接狙うような馬鹿な真似はしないと信じたいが、まるで世間を挑発するように、ユスティーナの髪を燃やした女だ。ライラは何をしてくるかわからない。やはり不安だった。
そのようなことを悩んでいると、馬車が我が家の玄関前に到着したようだ。こうなれば妹を王宮へと送り出すしかない。
家令が玄関のドアを開けると、真っ赤な近衛騎士の制服を着た男が入って来た。彼には見覚えがある。ティーアの新たな婚約者である伯爵の三男だ。私の記憶が正しければ彼は私と同じ年齢のはずだ。
自分より年上の息子がいる男に嫁ぐ。それはかなり異常な事態だと思う。目の前の男が王妃派ならば、ユスティーナを王宮地下の牢獄から脱獄させる手伝いをしたティーアを守る意味合いがあるのかもしれないが、それでもティーアにとって辛いことには違いない。
妹を伴い近衛騎士の後ろについていくと、王家の紋章をつけた豪華な馬車が停まっていた。
「マリッカ。不用意なことをしてはいけないよ。貴婦人として振舞うんだぞ」
「わかっているわ。私だってもう十六歳なのだから、それくらい弁えているもの」
それは本当だろうか? かなり不安だが妹を信じる他ない。
「それでは十分に気をつけて」
私がそう言うと、騎乗した近衛騎士が私を睨んだ。
「マリッカ嬢は責任を持って私がお送りいたしますので、子爵殿にはご心配など必要ありません」
彼の言葉は慇懃だが、護衛の腕を疑うのかと不快に思っているのがありありとわかる。彼の実家は私より爵位が上の伯爵家だ。格下貴族に馬鹿にされたとでも思っているらしい。
彼の言葉と裏腹に私の不安は増すばかりだった。
妹を見送って、私も馬車の用意をする。ナルヴァネン子爵と会うためだ。婚約の解消を申し出たのは私なのに、再度の婚約は許されないかもしれないが、ティーアと伯爵の婚約だけは阻止してやりたいと思っていた。
ナルヴァネン子爵はあの時と同じように、眉間に深い皺を作っていた。ティーアはかなり落ち着いているようなので、それは安心した
「昨夜のことはターヴィから聞いた。まずは夜半にも拘わらず、我が娘のためにわざわざお越しいただいたことへの礼を言わなければならない。本当に感謝する」
不機嫌な顔のまま子爵は軽く礼をとった。
「いいえ、ティーア嬢のお役に立てたのならば、私も嬉しく思います」
そう答えたが、子爵は返事をしなかった。
「昨夜、我が家の事情を聞いたのならば、君のためにも、もうここに来ない方がいいと思うのだが」
あの日と同じように、子爵はドアを顔で示した。しかし、今回は従うことはできない。
「私はティーア嬢のことを忘れられません。私は彼女と婚約者として過ごした六年の時間をなかったことにはできそうにもないのです」
私は椅子から立ち上がり、深く礼をした。
「今更だな。私は君に一日でも早くティーアをここから連れ出してもらいたかった。父上の喪が明けるまで結婚は無理だとしても、ティーアを婚約者として君の屋敷に住まわせてもらいたいと思っていたのだ。あの日、全てを話してそれを頼もうと考えていた。しかし、君はティーアを半年も放っておいて、いきなり婚約の解消を申し出た。私は君に期待することを止めた」
「違うの。オリヴェル様は私とヴァロが抱き合っていると聞いて、私が裏切ったと思ったからよ。オリヴェル様は悪くないわ」
ティーアは私を庇ってくれた。それは大変嬉しいが、彼女の言葉を全く信じなかったのは私だ。庇われるような資格は私にはない。
「そのことをなぜ私たちに相談しなかった。私はオリヴェル殿が心変わりしたと思っていたのだぞ」
「私は怖かったの。あの夜、庭で私といたのがターヴィお兄様ではないとオリヴェル様が知っているとわかれば、ターヴィお兄様がオリヴェル様を亡き者にしてしまうのではないかと思ったの。だって、お兄様はヴァロのためなら人殺しもしそうだったもの。それに、誰がオリヴェル様に告げ口したのかも知るのが怖かった。それが女性だったらと思うと、私は……」
ティーアは言葉を途中で切った。
おそらくティーアは様々なことを悩んだのだろう。そして、誰にも言えないうちに私との婚約は解消された。
「済まなかった。私はティーアに甘えていた。いつまでも私を待っていてくれると思っていたのだ。だからこそ、君に恋人がいると知って許せなかった。お願いです。私にもう一度ティーアと婚約する機会を与えてもらえないでしょうか。せめて、ティーアと伯爵との婚約を白紙にしてもらいたいのです」
私は再度子爵に深く礼をした。
「伯爵との婚約はヴァロが毒を飲んだ日にこちらから断った。今回のことで、ヴァロの実家を敵に回してしまうかもしれん。今のところ動きはないが、ヴァロが死んでしまえばどうなるか。公爵に娘を諦めさせた王妃だって我々を許さないだろう。ただ、表立って処分することはできないだろうが」
ヴァロが死ねばライラの脅威は減るかもしれないが、公爵家と王妃から敵認定されるのは子爵家にとってはさすがに辛い。今の状態では、ターヴィがライラ派に寝返ったと思われても仕方がないだろう。
「ごめんなさい。私が全て悪いの。だから、私だけ幸せになるなんて許されない。私はこれからもヴァロの世話をしながら過ごしていきます」
「駄目だ。ここにいるのは危険だ。再び私とティーアは婚約を結び、行儀見習いというかたちで我が家に迎えることにする。とにかく急ごう。書類だけでも提出してしまわなければ」
以前の婚約は正式なものではなく、父とナルヴァネン子爵の口約束に過ぎない。だから、簡単に解消できたのだ。伯爵との婚約もそうだったのだろう。
王宮に届けを出す正式な婚約ならば、簡単には解消できない。
「ありがとうございます。オリヴェル様のそのお気持ちは本当に嬉しいです。でも、ヴァロを置いて行くことはできません」
そう頑なに言い張るティーアを説得することができなかった。
もしヴァロが目を覚ましても、ティーアがヴァロを見捨てて私と結婚するとは思えない。
私に残された道は、ヴァロが何の憂いもなく再びユスティーナへと戻ることができるようにすることだけだ。
口にするのは容易いが、どうすればそんなことが可能なのか私にはわからなかった。
良い考えも浮かばないままナルヴァネン子爵邸を辞そうと思っていると、ターヴィに庭へと誘われた。
かつてはティーアと歩いた場所だ。
「もしヴァロが目を覚まさなかったら、俺はあいつに殉じようと思う。俺の失態がそもそもの始まりだからな」
あまりにも平静にターヴィはそう言った。
「しかし、ターヴィ殿は職務を全うしただけではないのか。失態ではないと思うが」
ライラという女の所業の如何に拘わらず、彼は護衛騎士なので、ライラが襲われているれば助けるのが当然だ。
「それは俺の望みだから気にするな。惚れた女の死後だって守ってやりたいじゃないか。俺の命をもって詫びれば、王妃陛下や公爵殿も表立っては我が家を処分しないだろう。そのため、兄は領地へ行っていて、この件には関わっていないことになっている。ともかく、その時になれば、どうか妹を支えてやってもらえないか。ヴァロと俺が死ねば、妹はまた自分を責めるだろうから」
私は頷くしかなかった。子爵家を残すのには、それしか方法がないのかもしれない。
私が屋敷に戻ってしばらく経つと、妹も無事に王宮から帰ってきた。
「本当にお茶を飲んで、王妃様とお話しただけよ。帰る時にね、王妃様から『再び会うことになるわ。楽しみね』って言われたので、またお茶会に呼ばれるかも」
妹は首を傾げながら、そんなことを言った。
相変わらず王妃の目的はわからないが、妹も私も全く楽しみでないことは断言できた。