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第四話 消えゆく人

 目を閉じると、涙ぐんだティーアの顔が浮かんでくる。三か月の間にかなり痩せたのだろう。血色の良かった柔らかい頬は、透き通るような白さになっていた。

 それでも私には彼女にできることはない。婚約の解消を申し込んだのは私だ。別の男と婚約を結ぶ今となって撤回はできない。その前に、私に隠し事をしている彼女を妻と呼べそうにもなかった。私たちの信頼を壊したのはティーアだ。

 私にできることがあるとすれば、彼女を忘れることだけだ。

 あと数か月も経てば父が亡くなってから一年になる。そろそろ新たな婚約者を探さなければと考えていた。



 ティーアが訪ねてきてから数日後、夕食を終えた我が家に思わぬ来客を迎えることになる。その男はまるで押し入るように私の執務室に駆け込んできた。

「こんな時間に連絡もなく突然訪ねてくるとは、いったい何用ですか? ターヴィ殿」

 騎士のターヴィは苦しそうに肩で息をしていた。よほど慌てて来たらしい。彼はティーアの二番目の兄だ。彼女を忘れるためにもあまり会いたくない男だった。


「失礼は後ほどいくらでも謝る。お願いだ。我が家へご同行願いたい。妹に、妹に会ってやってくれ」

 ターヴィは床に膝をついて私に懇願し始めた。

「ティーアが、いや、ティーア嬢がどうかしたのか?」

 まさか、新しい婚約に絶望して、自ら死を選んでしまったのか? 儚げな彼女の様子が頭を過る。

「とにかく我が家へ来て欲しい。お願いだ」

 私は頷くしかなかった。慌ててコートを手にターヴィについて屋敷を飛び出した。


 ターヴィは馬で我が家に来ていた。ためらう私を無理やり馬の後ろへ乗せ、ターヴィはすっかり暗くなった道を走り出した。


 私があのようなことを言ったので、ティーアを追い詰めてしまったのだろうか?

 彼女を信じて、全てを話してくれるまで待っていれば良かったのか?


 私はナルヴァネン子爵邸に着くのが怖かった。私を待っているティーアが物言わぬ亡骸に変わっているのではないかと恐れたのだ。

 全身を襲う震えは、決して寒さのためではない。

 

 永遠に着かないことを願っても、馬で駆け抜けると大した距離はない。程なくナルヴァネン子爵の屋敷が見えてきた。

 門を騎乗のままくぐると、ターヴィに引っ張られるように屋敷に入り、そのまま二階に向かう。

目の前には見慣れたティーアの部屋のドアがある。ターヴィが静かにノックした。

「俺だ。ターヴィだ。入るぞ」

 中からは返事がないが、ターヴィがドアを開けた。


 目に入って来たのは艶やかな亜麻色の髪だ。こちらに背を向けてベッドの横に座っている女性はティーアに違いない。

 私はターヴィを退かすようにして部屋に中に入った。


「ヴァロ、ヴァロ、起きて。お願いだから」

 その女性は確かにティーアだった。彼女は私が部屋に入ったことにも気づかず、ベッドに眠っている男の手を握りしめながら、ただひたすら彼の名を呼び続けていた。


 なぜターヴィは私をここへ連れてきたのだろうか? ティーアの恋人を見せたかったのか。望まぬ婚約からティーアを救い出さなかった私への罰のつもりかもしれない。


「お願い起きて。ヴァロ、お願い」

 ティーアの悲痛な声が部屋に響き渡る。

 私はベッドに横たわる男の顔を確かめた。短い金髪が乱れて顔にかかっている。顔はティーアよりも更に白い。怖いほどに整った顔はまるで蝋人形のようだった。


 彼が身に着けているものは確かに男物のシャツとプールポワンだ。

 しかし、その鮮やかな金色の髪に私は見覚えがあった。

「まさか、ユスティーナ?」

 私のその声にティーアが初めて反応した。

「オリヴェル様? なぜここに?」

 驚いたように私を振り返ったティーアは更に細くなっていた。


「私がオリヴェル殿に来てもらったのだ。このままではティーアまで倒れてしまう。オリヴェル殿、お願いだ。何か口にするようにティーアを説得してくれ。もう三日も何も食べていないんだ」

「でも、ヴァロは私のせいでこんなことになったの。私があんなことを言ったから」

 ターヴィに向かって首を振りながらティーアが泣いていた。


「生きていてくれて良かった」

 私はティーアをこの世界に繋ぎとめておきたかった。このままでは消えてしまうのではないかと思う程、彼女の震える肩はあまりに小さくて頼りない。

 私は跪いて、椅子に座っているティーアの肩をそっと抱いた。柔らかかった感触は硬く変わっている。それでもその温かさに変わりはない。

 ティーアが生きていてくれたことがこれほど嬉しく感じるとは、自分でも思ってもいなかった。


「私は君を失うことが何より怖い。たった今それがわかった。君には生きていて欲しい。ただそれだけを私は願う」

 ティーアに私の言葉が届いたのか、彼女はヴァロから手を離し私の腕を掴んだ。その細い指は頼りなく見えるが、掴む力は思った以上に強く、それが私を安心させる。


「ヴァロは死んでいない。そのうち目覚めるかもしれないんだ。その時にティーアが死んでしまっていれば、ヴァロが悲しむと思わないのか! 責任を感じて再び毒を呷るかもしれないぞ」

 ターヴィがそう言うと、ティーアはゆっくりと頷く。彼女の肩の震えは止まっていた。


「軽食を作らせてくる。オリヴェル殿、妹をしばらく頼む」

 そう言ってターヴィは部屋を出て行った。


「君の食事が終わったら、全てを話してくれるな」

 そう私が問うと、ティーアは一瞬ためらったが、

「はい」

 彼女ははっきりとそう答えた。

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