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第三話 ティーアの婚約

 六年間も婚約していて、結婚も間近だった私たちが婚約を解消した。その話題は瞬く間に社交界に広がった。その理由を憶測するような下世話な噂も飛び交っている。

しかし、それは長くは続かなかった。

 幸いだと言うのは(はばか)れるが、私たちの婚約解消から数日後に衝撃的な事件が起こり、その話題が社交界を席巻したのだ。子爵家同士の婚約解消の話題などはすっかり霞んでしまい、すぐに人々の口端にも上らなくなるだろう。


「お兄様!」

 妹のマリッカが目を真っ赤に腫らして早々に夜会から帰ってきた。その理由はわかっている。

「ユスティーナ様のことを耳にしたのか?」

 そう問うと、妹は涙を流しながら頷いた。


 それは昨日のこと、王太子の元婚約者であるユスティーナが処刑されたのだ。しかも斬首刑だったらしい。なぜ公爵令嬢に対してそのように残酷な刑を執行したのか、殆どの貴族が疑問に思っている。

 しかも、切り落とした髪の毛を王宮前広場に晒しているらしい。

 夜会に参加するため王宮へ出かけて行った妹は、その髪を見てしまったのかもしれない。


 ユスティーナが処刑されたことを聞いたのは今日の夕方だった。それから急いで帰宅したが、妹は既に出かけた後だったのだ。妹と会えていれば、夜会への参加を止めたのに。


「ユスティーナ様は冤罪に決まっているわ。あのライラの策略に()められたのよ」

 私は眉をひそめた。それが真実であったとしても、絶対に口にすべきではない。

「マリッカ、不用意なことを言ってはいけない。刑を執行したのは騎士団だ。罪は確定しているのだから」

 ユスティーナの罪は、新しく王太子の婚約者になったライラを亡き者にしようとしたことだ。彼女は使用人として雇っていた暗殺者にライラ暗殺を命じたらしい。


 たとえ王太子といえども、貴族の令嬢を証拠もなしに処刑するようなことは許されない。そんなことをすれば、貴族制度を揺るがしかねない。

 しかし、今回は父親である公爵が娘を見捨ててしまった。将来の王と敵対するより娘を見殺しにする方を選んだと、社交界では噂されていた。

 そんな噂を妹は聞いてきたのだろう。


「でも、私は聞いてしまったのよ。三か月ほど前の夜会の時、王太子殿下とダンスを踊りたいと思って近づいたの。するとライラに『子爵の娘のくせに厚かましい』って責められたのよ。そこを助けてくれたのが当時殿下の婚約者だったユスティーナ様。その時、『彼女に国を任せることができるほどの器量があれば、私はいつでも引くのに』ってユスティーナ様が呟いたの。そんなユスティーナ様がライラを殺そうとするはずないわ。もしそんなことをしようと考えたのならば、それは国のためよ。それなのに彼女を処刑するなんて、酷いわ」

 妹は何度も首を振って、『酷い』と口にしていた。


「マリッカは疲れているんだ。今日はゆっくりとお休み」

「お兄様、私は怖いの。ライラに嫌われると処刑されてしまうわ。もちろん、王太子殿下に近づくつもりはないけれど、いつどこでライラの不興を買ってしまうかもしれないもの。騎士団だって守ってくれないのよ」

 それは貴族の誰もが不安に思っているだろう。妹のように口に出せないだけで。


「マリッカ。次の夜会からは私と一緒に行こうか?」

 今まで母方の叔父や妹の友人の親族にエスコートを頼んでいたが、私と一緒にいた方が妹も安心するだろう。

「本当に? お兄様、約束よ」

 妹はやっと落ち着いたようで、部屋に向かった。



 翌日、私は王宮前広場に向かっていた。

 私と同じように婚約者に裏切られたユスティーナを、せめて悼んでやりたいと思ったのだ。


 見覚えのある豪華な長い金髪は、十字架の天辺に括りつけられていた。風になびく長い髪を見ていると、まるで十字架に人が磔になっているような気がしてくる。

 その美しい金髪の所々に血がこびり付いて、ユスティーナが既にこの世にいないことを物語っているようだった。


 侯爵家の庶子だというライラが社交界に現れたのは、私の父が死んた以降のことだった。まだ半年も経っていない。この半年間、夜会に参加しなかった私はライラに会ったことがない。

 そんな短時間に王太子の心を掴み、長年の婚約を破棄させ、前の婚約者を断罪してみせた女。

 ティーアの心を奪った名も知らぬ男とライラが重なるような気がいた。


 ユスティーナの冥福を祈り、私は王宮前広場を後にした。



 それから三か月ほど経っていた。

 ティーアの残した傷はまだ癒えそうにもないが、私は殊更忙しく働き、気を紛らわせて過ごしていた。

 三回ほど妹を伴って夜会にも参加した。煌びやかな場には変わりないが、様相は以前とはすっかり変わってしまっていた。

 誰も王太子やライラに近づかない。不興を買うのを皆は恐れているのだ。それでも、二人は気にした様子もなく楽し気にダンスを踊っていた。


 そんなある日、私はティーアが婚約するとの噂を聞いた。相手は父親ほどの年の伯爵だという。

 私は彼女を忘れなければと、更に仕事にのめり込んでいた。

 しかし、ティーアはそんなことも許してくれないらしい。

 彼女が我が屋敷にやって来たのだ。


 赤の他人となったティーアと部屋で二人きりになることはできない。しかし、彼女の深刻そうな様子に、人払いが必要だと思い、私は我が家の庭に誘った。


 この庭にも二人の思い出が染み込んでいる。もう二度とティーアと肩を並べて歩くことはないと思っていた。

 かつてより少し間を開けて、私たちはゆっくりと歩いている。


「私の婚約が決まりました」

 ティーアはそう口にした。

「それは聞いている。伯爵の後添えなんだってな。伯爵には男の子が三人もいて、孫も産まれている。君には子を産む義務は課せられない。あの伯爵ならば、恋人を持つことも許してくれるのではないか? 良かったな。おめでとう」

 わざわざ私の心をかき乱しに来たティーアが憎かった。彼女が私にどのような返事を求めていたのかわからないが、私の口からはかなり辛辣な言葉が出ていた。


「オリヴェル様は私のことを何一つ信じてはくださらないのですね」

 ティーアは辛そうに目を伏せていた。まるで消えてしまいそうなほどに儚げだ。

「君の何を信じろと言うんだ! 何一つ真実を語らなかったのに」

 私はかなり苛立っていた。今更なぜティーアはこんなことを私に言いに来たのだろうか。


「お時間をとらせて申し訳ありませんでした。私はオリヴェル様のためにウエディングドレスを着るのを楽しみしていました。それだけをお伝えしたかったのです」

 ティーアの目から一筋の涙が流れ出た。

 そして、呆然としている私を残して彼女は立ち去ってしまった。


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