私は信じたい
「本当に恐ろしい女だったわね。あなたもあの女に誑かされた結果を真摯に受け止めなければならないわ。あなたは王太子なのだから」
近衛騎士に連れ去られるライラの背中を、凍えるような冷たい目で見送った王妃は、王太子に向き直ってそう言った。
「私は罪のないユスティーナを……」
王太子はやっと自分のしたことの結果に思い至ったようだ。頭を抱えるようにして俯いている。本当に今更だけどね。処刑を命じる前に考えるべきだった。
「ユスティーナさんは生きているわ。いくらなんでも処刑などさせられない。でも、私が反対して処刑を取り消させても、おまえたちはまた彼女に罪を着せるかもしれない。何より、暗殺の危険があった。だから、苦労して彼女を脱出させたのよ。おまえたちを納得させるため、あの美しい長い髪を切ってもらったの。本当に可哀想なことをしたわ」
王妃はハンカチを目に当てているけれど、本当に泣いているのか私にはわからない。
「母上、ユスティーナには本当に申し訳ないことをしたと思うが、その、彼女との結婚は、その……」
顔色をなくした王太子は言い淀んだ。どうもユスティーナとの結婚を嫌がっているようだ。
「ユスティーナさんとあなたを結婚させるつもりはありません。よく考えてみなさい。自分に無実の罪を着せて処刑させたような男と、結婚したいと思うような女性がどこにいるのです。私もそこまで非情ではないつもりです。あなたには早々に別の女性と婚約してもらいます」
王妃はかなり非情だとは思うけど。もちろんそんなことは口にしない。
「しかし、私には妃にしたい女性がいます。彼女と結婚したいのです!」
王太子は全く凝りていなかった。我が又従兄ながら情けない。あの愚かな近衛騎士のお陰で、ライラのことはさっさと片付いたが、また別な女が出て来たらしい。
妹はまだ王太子を誘惑することを継続しなければならないのか。ちょっと可哀想になってきた。
「私が勧める相手はトゥルペイネン公爵令嬢ですけれどね。あなたは彼女でも断るのですか?」
王妃は余裕の笑みを浮かべて王太子を見た。
王太子と妹はさっき会ったばかりだから、王太子の気持ちを訊いたところで判断材料は殆どないだろう。それに、今そんなことを言えば、妹の仕事がやりにくくなると思う。王太子に近づくのは下心ありと思われてしまうだろうから。
そんな心配をよそに、王太子の顔は一気に明るくなった。
「それならば私に何も異存はない。あのような素晴らしい女性は初めて見た。彼女こそ私の妃に相応しい」
呆れてものが言えない。この王太子は本当に妹がビシバシ鍛えるしかなさそうだ。妹なら何とかしてくれるだろう。
王妃は勝ち誇ったように私を見た。
「ヤルヴィレフト子爵もそれでよろしいでしょうか?」
王妃の問いは、とても駄目だと言える雰囲気ではなかった。
「私は妹を養女に出した身です。彼女のことに口を出せる立場ではありません。結婚は伯父が決めることですので」
そして、最初から決まっていた。
「もちろん、トゥルペイネン公爵には内諾をもらっているわ。でも、実の兄である貴方にも了承して欲しいのです。王太子には、今度こそ国を挙げて祝福してもらえるような結婚をさせたいと思うのよ」
「私は妹の幸せを望んでおります。王太子殿下には、妹を大切にしてやって欲しいと切に望みます」
気が強い妹だが、まだ十六歳なのだ。もちろん伯父や私の後見があれば、王宮で蔑ろにされることはないと思うが、何分王太子は惚れっぽい性格のようだから心配だ。
「義兄殿、安心してくれ。私はマリッカだけを生涯愛し続けることを誓いますから」
何とも軽い誓いだ。それに、私はまだ義兄ではない。結婚してから言ってほしい。
「王妃陛下に一つお願いがございます。私は愚かにも婚約を解消してしまいましたが、それが間違いだと気づきました。そのため、ティーア嬢と再度の婚約を結ぶ所存です。将来ナルヴァネン子爵家は私と縁続きとなります。どうか、ヤルヴィレフト子爵家と同じようにお引き立てをお願いしたいと存じます」
ライラの暗殺時に暗殺者とやり合ったターヴィは、明確な殺意を感じとったはずだ。だから、ライラの自演だと言い募ることができず、王妃は真実を話して仲間に引き入れた。
ライラの自作自演ということで幕を引きたい王妃にとって、真実を知るターヴィは邪魔でしかない。それはティーアも同じだろう。
だから、私はナルヴァネン子爵家に手を出すなと王妃を脅すことにした。
「わかっております。ヤルヴィレフト子爵には今後も我が王家の助けになっていただかなければなりませんものね」
王妃は少し引きつった笑顔を私に向けた。私は『銀の貴公子』に相応しいような笑顔を見せようと思ったが、成功したかどうかはわからない。
こうして一夜明け、私はナルヴァネン子爵家を訪れた。
玄関ホールまで出迎えていたティーアの目は真っ赤だったが、私を見た途端笑顔を向けてくれた。
「オリヴェル様、腕の傷は大丈夫なのですか?」
「傷はそれほど深くはないし、もう血も止まっています。心配はいりませんよ」
「良かった。本当に良かった」
そう言って、初めてティーアから私に触れてくれた。私の胸で泣き始めたティーアをそっと抱きしめる。
その場にはたくさんの人がいたけれど、私のために泣いている彼女を突き放すことはできなかった。今まで遠慮がちだった彼女との距離が少し縮まった気がしていた。
その後、私は無事ティーアと正式な婚約を結ぶことができ、当初の予定通り父の喪が明ける三か月後に結婚式を挙げることになった。
一生に一度のことだ。ティーアには豪華なウエディングドレスと大きなルビーを送ろう。もちろん片手で軽く持ち上げられるくらいの石だが。
ニエミサロ侯爵家は当然取り潰しとなった。そして、ライラは王宮地下に投獄されている。処刑しないのは新たに王太子妃となった妹の温情だと発表された。
正式発表では、ライラと王太子の婚約までが醜い野心を抱いたニエミサロ侯爵の罪を暴くための偽装だったことになっていた。
しかし、ユスティーナは死んだことになったままだ。それは妹のためには良いことかもしれないが、罪もない彼女をこの世から抹殺するようで、私は納得できなかった。ユスティーナは自分が世に出ることで、王太子妃と望まれ妹と争うことを避けたかったのだろうか? しかし、それならばユスティーナ側が婚約を断った形にすれば済むことだ。彼女ならいくらでも結婚相手が見つかるだろうし、結婚してしまえば国民だって納得する。
そんな疑問を抱いていたが、ナルヴァネン子爵家の庭で、ターヴィと仲良く歩いているユスティーナを見て疑問が解けた。
彼女は公爵令嬢に戻るよりも、子爵家次男の近衛騎士の妻になることを選んだようだ。美しい髪を犠牲にした彼女にはそれくらいの自由が許されてもいいのだろう。
「ティーア、私は何があっても君を信じるからね」
それは言う程簡単なことではないだろう。不信に囚われるあの不快な気持ちを追い払うのは容易ではない。でも、私を助けるため剣の前に飛び出したティーアのことを、私は信じたいと思う。
「私もオリヴェル様を信じます」
そう言って、彼女は微笑みながら私の手を握った。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
顔だけはいい駄目男が、顔を武器にそれなりに頑張るラブコメディを書きたかったのですが、いつものように前半部分のシリアスパートに力を入れすぎてしまったかもしれません。
こんな作風だとご容赦ください。




