第十話 犯人は
ふと視線を感じ振り返ると、淡い黄色のドレスを着たティーアの姿が見えた。彼女は不安そうに私から目線を外す。彼女の隣のいるのは父親のナルヴァネン子爵だった。
ティーアの傍に行って声をかけたいが、今はライラの気を引かなくてはならない。
私は笑顔を作り、飲み物を持ってライラに近づいた。
「マリッカさんには貴族女性としての嗜みが欠けているのではなくて」
ダンスが終わっても王太子と歓談している妹を睨みながら、ライラが私を責めるようにそんなことを言う。私は『おまえが言うか?』と返してやりたかったが、何とか堪えた。
「マリッカは今日がデビューみたいなものだから、許してやってくれ」
「そうなの? こういう場に慣れていないのね。お兄様も大変ね。妹さんがあのような感じでは、貴方まで悪く言われてしまうわ」
おまえ程ではないがなと、私は内心で毒づいていた。
「それにしても、マリッカさんのドレスは素晴らしいわね。オリヴェル様が贈られたの?」
「いや。あれは伯父がマリッカに贈ったものだ。息子しかいない伯父は娘ができて嬉しかったようで、あのドレスには金に糸目をつけなかったらしい」
「羨ましいわね」
ライラは自分のドレスに目を落とした。ドレスに詳しくない私には差がわからないが、マリッカが着ているドレスに比べて安価なものらしい。
「よろしければ、私にドレスを贈らせていただきたい」
「まあ、嬉しいわ」
ドレスの一着くらい必要経費だろう。そう言えばティーアの着ているドレスは私が贈ったものだ。あまり高価なものは悪目立ちするから、普通の子爵令嬢が用意できるくらいのものがいいとティーアは言った。
だからあのドレスはそれほど高価ではない。でも、ティーアはとても喜んでくれた。あの笑顔を早く向けてもらえるようになりたい。
それからライラは自慢話と妹に対する小言をしゃべり続けた。彼女は自分がこの場で一番の女性でなければ我慢できないらしい。そんな彼女の相手をしていと、私は少し疲れを感じてしまった。
妹が王太子と離れた隙に、ライラは王太子のところへと去って行ったので、私は思わず安堵のため息を漏らした。
妹のことが気になり、そちらを見ると隣には伯父がいた。妹のことは伯父に任せておけば大丈夫だと思い、私は夜風に当たるため庭に出る。
庭には所々に篝火が置かれていて、うすぼんやりと明るかった。会場からは宮廷楽師たちが奏でる優雅な音楽が漏れてきている。それすら、ライラのことを思い出させて私を苛つかせた。
私は建物から少し離れることにする。
篝火の間隔が広くなり暗さが増した。昼間に見ると庭は見事に整えられているのだろうが、暗い中では少し不気味だ。
風に木の枝が揺れる音だけが聞こえる中、足音がした。気配を消して私を追ってきたようだ。
「ライラ様にこれ以上近づくな。ライラ様は子爵風情が触れてもいい女性ではないのだ」
そうは言っても、私からはライラに触れた覚えはない。ダンスの時は彼女から密着してきただけだ。そんな言い訳をしたいが、顔に突きつけられた剣先を見て、下手なことは言わない方が身のためだと思った。
私に剣を向けているのは、ずっと私を睨んでいた近衛騎士の一人だ。ライラに惑わされるような馬鹿な男だとは思っていたが、ここまでとは読めなかった。
「ちょっと顔がいいからと思って、ライラ様を誘惑しようなどと、身をわきまえない馬鹿な男だ。これ以上ライラ様に近づくようならば、その自慢の顔に傷を作ってやるぞ」
私は男だから、別に顔が自慢というわけではない。他に何が自慢かと問われても困るが。しかし、この顔を使ってライラを誘惑しなければならないから、自慢の顔でもないが、傷をつけられるのは困る。痛そうだし。
どうしようかと思案していると、
「キャー」
突然、辺りの静寂を破るような悲鳴が響きわたった。そして、こちらに向かって淡い黄色のドレスを着た女性が走ってくる。あれはティーアに違いない。
「オリヴェル様!」
悲鳴に驚いた近衛騎士は振り向きティーアに剣を向けた。そこに走り込んでくるティーア。
このままでは駄目だ。
私は近衛騎士に思い切り体当たりをした。体重は彼の方が重いのでふらついただけだ。しかし、ティーアから剣が逸れた。その時に剣の先が私の腕をかすめ鋭い痛みが走ったが、私は構わずティーアを抱きしめて、近衛騎士の剣から彼女を隠した。
「ティーア、何て危ないことをするんだ!」
「だって、オリヴェル様が殺されそうになっていたから。私はそんなの嫌! オリヴェル様は危ないことをしないって、絶対に私のところへ帰って来てくれるって言ったのに」
興奮しているティーアはかなり大きな声でそう叫んでいた。
金属同士がぶつかるような音が響き、
「殺人未遂容疑者を捕らえました」
そんな声が聞こえてきた。その声の主はティーアの兄であるターヴィだ。そして、松明を持った騎士たちが集まってくる。
辺りは急に明るくなり、ティーアは私の腕から血が流れていることに気がついたようだ。
「オリヴェル様! 死んじゃ駄目。私を置いて死なないで」
いくら私でもこれくらいでは死にはしない。
「大丈夫だから」
そう言っても、興奮状態のティーアには届かない。彼女は『死なないで』と私にしがみついてくる。
「私が君を置いて死ぬわけがないだろう。ティーアこそ、こんな危ない真似をしてはいけないよ。私は君を失うことの方が怖いから」
衆人の前で少し恥ずかしいが、私は彼女を抱きしめている無事な方の腕に力を込めた。ティーアが精一杯の力で私を抱き返す。
そうしていると、ティーアは徐々に落ち着いてきたようだ。
「ティーア、落ち着け。オリヴェル殿を医師に診せなければならないので、とにかく離れろ」
ターヴィの呆れたような声が聞こえてきて、ティーアは驚いたように周りを見回した。そして、恥ずかしそうに私から腕を離す。
その後、私は王宮医師のところに連れて行かれ治療を受けた。傷はそれほど深くなく、出血は多かったが痕も残らず治るそうだ。腕に傷痕が残るくらい別にいいが、ティーアがそれを見て今夜のことを思い出し怖い思いをするのならば、治るに越したことはない。
私が治療を受けている間に、夜会はお開きになったらしい。治療を終えた私は王宮の一室へと案内された。案内をしたのはターヴィだ。
「妹はオリヴェル殿に会うのだと帰るのを嫌がったが、父が無理やり連れて帰った。忙しいと思うが、明日にでも顔を見せてやってもらえないか」
部屋へ入る前にターヴィが私に頭を下げた。
「ナルヴァネン子爵殿にも心配をかけた詫びをしなければならないし、明日お伺いするよ」
私はもうライラから手を引こうと思っていた。こんなに目立ってしまった以上、私が下手に動けば、ティーアにまで危険が及ぶかもしれない。私を脅す目的でティーアに手出しでもされたら、私は自分を許せないだろう。
まだ十六歳の妹がこれから一人で奮闘することになるが、とにかく頑張ってもらうしかない。
部屋の中では王妃が座っていた。王が不在なので一番高位の位置だ。その次に王太子が座る。ライラは立ったままだった。王太子の婚約者の立ち位置ではない。そして、私を脅した近衛騎士が縄をかけられ、王妃の護衛に無理やり膝をつかされていた。口にはさるぐつわをされていて、しゃべることも許されないようだ。
「あなたがヤルヴィレフト子爵を殺せと命じたの? 子爵はあなたの又従兄で、我が国には必要な重要な方なのよ。わかっているの?」
私自身は全く重要人物ではないが、私の領地の宝石や貴金属は、外国でも非常に価値が高い。そのため外交上の重要な物品となっている。国へは特別価格で卸しているそれらを正規の価格に引き上げるだけで、王宮は困るはずだ。
「違う。あの男は私の命令など聞かない。ライラに従うだけだ」
王妃の問いに王太子は首を振った。
「私ではありません!」
ライラが叫んだ。それはそうだろう。彼女は私に高価なドレスや大きなルビーをねだろうと思っていたのだ。近づくなと私を脅す理由はない。
「それならば、命じたのはライラさんの父親であるニエミサロ侯爵ね。その男は侯爵が送り込んできたのでしょう?」
王妃は自信ありげにそう言うが、あれはただの嫉妬のようだった。
「そ、そうだ」
王太子はライラを疑っているのが、王妃の言葉を否定しなかった。
「侯爵は度々ユスティーナさんに暗殺者を送っていたから。警戒していたのよ。でも、まさか王宮内でヤルヴィレフト子爵を殺そうとするなんて」
王妃の言葉がどこまで本当なのか、私にはわからない。しかし、王妃が口にした以上、それが真実だ。
「ユスティーナが?」
訝しそうに王太子は王妃の方を向いた。
「そうよ。だから私はユスティーナさんを護るために、あなたとライラさんの婚約を認めたのよ。投獄だって、牢の中の方が安全だって思ったの。それなのに、その女は自分が暗殺されそうになったと自演して、ユスティーナさんに罪を着せた」
「そんなはずは……」
王太子は自信が持てないのか、言葉は切ってしまう。
「ユスティーナさんはとても責任感が強い人だった。王妃としてあなたを支える覚悟をしていた素晴らしい女性だわ。でもね、婚約者ではなくなったあなたに執着するほど、あなたを愛しているとは思えない。ライラさんを暗殺する理由なんてないのよ。しかも、ライラさんは事件の後すぐにユスティーナさんが放った暗殺者だと騒ぎ立てたのよね。最初からそう仕組んでいたのでしょう」
王妃は人を殺せるくらいの冷たい目線をライラに向けている。
「ち、違います」
ライラは小さな声で異を唱えるが、その声はとても震えていた。今更恐れるくらいなら、最初から王妃に取り入っておけば良かったのに。
「犯人が素直に認めるわけはないわね。とりあえず、これ以上ライラさんを庇うのならば、あなたには王太子を降りてもらいます。あんな女に誑かされるあなたに、王となる資格はありません」
「待ってくれ。母上。私はライラとは結婚しない。あのように強欲で傲慢、いつも男を侍らしているような女など妃にはできない。私はどうかしていたのだ。今夜すっかり目が覚めた」
それは今更だと思うが。最初から気づけと言いたい。
「そう。安心したわ。その女を牢にでもぶち込んでおきなさい。その女の取り巻きも全てよ。ニエミサロ侯爵家は当然取り潰し。王家の血を引く尊き人物を殺そうとしたことは許されることではありません」
血の濃い薄いは当然あるが、何代も遡れば大概の貴族は王家の血が入っていると思う。しかし、私は王太子の又従兄なので、侯爵家を潰す名目にはなるのだろう。
こうして王妃の命令によってライラと何人かの近衛騎士が部屋から連れ出された。




