17、裁縫士、尊厳を取り戻す。
あの丘での騒動から数日が経った。
ぼくは近くの川で洗い物をしながら、ボォーっとあの時のことを思い返す。
あんなに怯えるジャックをぼくは初めて見た。
ジャックもあんなに震えることがあったのか……。
とにかく、ぼくは、ぼくの名前を取り戻した。
スノウ。
スノウだ。
あれから街でジャックとすれ違ってもジャックはぼくに絡んでこなくなった。
まるで厄介な隣人から逃げるように、ぼくと目を合わせようともせず、目の前から消えるのだ。
正直に言うと気分が良かった。
だって、ジャックのそれは、まるで負け犬の態度そのものだったからだ。
それからは、世界の全てが違って見えた。
すべてが輝いて見えた。
これが誇りをもつ風景か、と思った。
そんなことを思って油断していると、手に持っていたお皿を川の中に落としてしまった。
「あ、まずい」と思い、ぼくは手を伸ばし、皿を川底から拾い上げる。この川はとっても浅いのだ。
すると、ぼくの表情を見て不審に思った板倉ちよが話しかけてきた。
「旦那様。なにやら最近顔がゆるんでおいでですね」
「え? そうかな?」
「そうですとも、おちよには分かります。あの日を境に旦那様はすっきりした顔をなさるようになりました。絶対にこのおちよを連れてはいかない、と言ったあの日でございます」
「ああ、そうかも……」
「……」
ちよが眉をひそめてジッとぼくの顔を伺う。
「な、なにさ」とぼくは目をそらしていった。
「あ、旦那様。いま目をそらされましたね」
「そ、それは、そっちが顔を近づけてくるから」
「やはり……この反応は……女でありますね。このおちよが居るというのに、新たに女を作ったのですね旦那様!」
ええぇ!??
「ななな、なに言ってるの。全然違うよ」
「おちよは悲しゅうございまする!」
「ちょ、ちょっと、ちよさん落ち着いて」
「まさか! 側室を持つことを許せとおちよに言うておるのですか?」
「ちよさん!」
「おちよは、悲しゅうございます!!」と言って、ちよさんは泣きながら去ってゆく。
ああ、本当に誤解なのに……。というか、どうしてちよさんはそんな誤解などしたのだろう。
ん? というより、ちよさんはもうぼくと結婚したつもりなのだろうか?
宿なしというから、今は置いてあげているだけなのだけど……。
……。
はぁ……女の人ってやっぱり気難しい……。
すると、街の方から誰かが走ってきた。
キャー、と言って焦って逃げているようだった。
不思議に思ったぼくは声をかける。
「ねぇ、どうしたの? そんなに焦って」
すると、その女性はヒステリックにぼくに向かって叫んだ。
「南部が裏切ったのよ! 南部のオーウェン卿が、このミッドランド王国に反旗を翻したのよ! その軍勢が、もうすぐここにやってくるのよ!! 殺されるわ。ここに居る人間は皆殺されるんだわ!」
ぼくの心臓がドクンドクンと音をたてて鳴り始めた。
皆殺される? だって? ぼくは急いで洗い物をやめ、人の家の屋根にのぼり、南の方角を……みた。
すると、確かに丘の上に旗が立ち並んでいた。
それが南部オーウェン卿の軍隊だと、ぼくは瞬時に理解した。