1、まだ何者でもない者、スキルを授かる。
「ひゃあ!」と喉の奥から声が出て、思わず隣の妹に抱きついた。
妹のルルは冷めた目でこっちを見やる。
「ひゃあ、って……。お兄ちゃんってホントぉおおおおおに臆病ね。たかが虫じゃない。ちょっと、どいてよ」
妹のルルは片肘でぼくを退かすと、石畳の上をのそのそと歩く毛虫を足で遠くに蹴り飛ばした。ぼくらはちょうどセレロン市場から自分の家に戻る途中だった。このアヴァロンの街に住む者は大体そこで買い物をすると決まっている。
とにかく、その帰り道で、この毛虫に出くわしたのだ。親指ぐらいの大きさの毛虫だ。デカ! やっぱりデカいよ!
「お兄ちゃんさ、もう本当にしっかりしてよ! 男でしょう?」
だってぇ……、という言葉が喉の奥から出かかる。
ぼくが臆病なのは生まれつきだ。
だから、ほんのちょっとの刺激でもうダメなのだ。
ぼくは妹を見る。妹とは血が繋がっていなかった。小さい頃、孤児だった妹をぼくの両親が引き取ったのだ。それからぼくらはずっと兄妹として暮らしている。
きっと妹の方が勇敢なのは、ぼくとは血が繋がっていないせいだ。うん。絶対にそのせいに違いない。
でも、ぼくだって気を強く持てば、そんなに簡単に驚いたりなんて――
すると、突然耳の後ろから大声をだされた。
「ワッ!!!!」
「ぎゃあああああああああ」と叫んだぼくはまた妹にしがみつく。
恐る恐る瞼を開けるとそこには筋骨隆々としたボディを持つ陽気で攻撃的な男ジャックが腕を組んでいた。
「ヒャッハッハッハッハッハ。ギークは相変わらずだな。本当に面白いやつ」
ちなみにこのギークというのはぼくの名前じゃない。ぼくのあだ名だ。嘲笑すべきもの、という意味らしい。ぼくがあんまりにも臆病者だから、誰かが面白がってそんなあだ名をつけた。そして、それがいつの間にか定着してしまったのだ。
「ジャック!」と妹のルルが怒鳴る。「また、お兄ちゃんをいじめにきたんでしょ! 私が許さないからね!」
「おー恐い恐い。兄貴がギークなら、妹はデビルかな?」
「ジャック!」と妹ががなり声をあげると、ジャックはへらへら笑いながらぼくの後頭部を引っ叩き、そのまま去っていった。
ぼくはというと、今のジャックの後頭部への一撃で見事に地面に顔面から突っ込んでしまった。きっとジャックも全力じゃないと思うけど、あいつは筋肉ダルマだから、たったこれだけの攻撃で、ぼくはもうダメだ。
「お兄ちゃん大丈夫!?」とルルはぼくの顔をのぞき込む。
「う~ん……」とぼくは大丈夫じゃない声をあげると、後頭部を手で押さえる。あ、タンコブができてる……。
「だ、大丈夫だよ……」
ぼくは地面に手をつき、ゆっくり起き上がる。周囲を見回すと、なんだか通りを行き交う人々が、ぼくの方を見て嗤っているように見えた。
これがぼくの日常だった。
毛虫に驚き、友達にからかわれ、そして、臆病者とさげすまれる日常……。
「はぁ……」とため息をつく。
でも……。
でも、そんな思いも今日までだ。
今日……、つまり、七月七日をもって、そのような不名誉な人生にぼくは終わりを告げる。
七月七日。
そう、七月七日。
ぼくにとっても、この世界に住むものにとっても、七月七日は特別な日であった。
その日は、聖クシャルの生誕祭である。
そして、それはただ単に聖クシャルがかつて生まれた日を指すのではなく、ある特別な意味をもっていた。
この日、満十五歳に達した者は、枕元に立つ聖クシャルから、スキルを授かるのである。
成人――この世界の成人は十五歳――が一斉に自分の才能と自分の道に目覚める日……。
七月七日は、そんな日であったのだ。
ぼくは……。
ぼくは冒険者になりたかった。
だって、冒険者になり活躍すれば、皆は羨望の眼差しでぼくを眺めるだろうからだ。
それは、ギークと呼ばれるぼくにとって、名誉を回復しうる唯一の職業に思えた。
ようやく家に帰ってきたぼくは居間の窓から外を見た。すでに日は落ち、辺りは暗くなっていた。市場からここまで結構な距離があった。
あと数時間もすれば、ぼくの体には神の授けしスキルが宿るのか……。
そう思うとドキドキが止まらなかった。
今日で決まるのだ。ぼくの運命が……。
ジャックの顔や街のごろつき共の顔が頭をよぎる。
あいつらを見返してやりたかった。
そのためには強力なスキルが必要だった。
それさえあれば、絶対にもう馬鹿にはされない。
強力なスキルを神からもらい、冒険者になるんだ。
そうだ。臆病者だなんて……ギークだなんて……誰にも言わせないぞ!
「いよいよ明日だね」と買い物かごから野菜を取り出した妹が笑った。
「正確には今日の夜だよ」と、ぼくは手ごろな椅子に腰かける。
「なんか、ドキドキしてきたわ」
「なんでルルがドキドキするのさ。ルルは来年だろ?」
「何言ってるのよお兄ちゃん。お父さんとお母さんが行方不明になって、もう5年が経つのよ? もう我が家にはお金がないの。だからお兄ちゃんに開眼するスキルが、稼げるスキルか稼げないスキルか、っていうのは私にとって重大な関心ごとなのよ。いいこと? お金よお金! お金が大事なの!」
お金……かぁ……。
これが我が妹ルルの良いところでもあり、悪いところでもある。
この妹はとにかく金にシビアで、けち臭い。だが、この妹のおかげでぼくは今日まで飢えてこなかった。妹がなんとか金のやりくりをしてくれたおかげだ。
木窓の隙間から入り込んできた風で蝋燭の灯りが静かに揺れた。
「あ~無駄無駄。もったいない」とルルは言い、蝋燭の火を吹き消す。「もう夜だし、あとは寝るだけなんだし。今日は大人しく寝なよお兄ちゃん。でしょう? 早く寝て、明日はスキルが開眼したお祝いをするの! どう? この計画」
いいね! と思った。
だからぼくは、じゃあ寝るよ、おやすみ、と別れをつげ、自分のベッドの中に潜り込む。これはかつて父さんが使っていたベッドだ。
横になると、すぐに頭の奥が重くなってゆく。
予想以上にすでに眠くなっていたらしい。
つまり……いよいよその時がきたのだ。
心臓の鼓動が鳴りやまない。
今日、この瞬間からぼくは生まれ変わるのだ。
そして、ぼくの意識は暗黒の中に引き込まれてゆく。
奥へ……奥へ……と……
どこからか声が聞こえてきた。
『若者よ。アヴァロンに住む若者よ。聞こえますか?』
『そなたに、我が御業の一部を授けましょう』
「お兄ちゃん!」という妹の声でぼくは目覚めた。
「ねぇスキルは? どんなスキルをもらったの? ねぇ起きてよ!」とぼくの体をゆすった妹は、次いで木窓を開けた。
降り注ぐ光と共に、木窓の外からは無数の沸き立つ声が聞こえてきた。
「やったぜ! 俺は“剣闘士”のスキルだ」
「私は“土魔法”のスキルだったわ」
「吾輩なんて“鉄壁”のスキルを授かったぞい!」
まるでアヴァロンの街全体がお祭り騒ぎのように聖クシャルからもらったスキルに浮ついているようだった。
ゆっくりと目蓋をあげたぼくは唾をのんだ。
頭が真っ白になりそうだった。
歯がカチカチ震えていた。
こんなはずじゃなかったのに、という言葉が喉から出かかった。
「ねぇ! お兄ちゃんのスキルはなんだったの?」
ゆっくりと息を吐き出したぼくは、唇を震わせながら答えた。
「あ……その……【 裁縫 】のスキルだってさ……。縫い物や、編み物のような裁縫の腕があがるスキル……」