人間標準使用期間
今朝、仕事にでかける時には、いつものように妻の容子が見送ってくれた。娘の千里はすでに登校した後だった。
正午、おかしな話が流れてきた。
社員の誰それと連絡がとれない。その人数が少しずつ増えていった。
何か事件かと思ったが、まさか、こんなことになろうとは。
午後2時。
テレビやネットなとで同時にあのメッセージが流れた。
「各位へ。
人間は製造開始より51万4600年を経過しました。
このまま使用すると動作不良により死亡事故に至る恐れがありますので、
製造者責任をもって明日より六日の期間中に全ての人間を停止いたしますことをお知らせ申しげます」
最初は悪質ないたずらだと誰もが思っていたし、それよりも、連絡がとれなくなった社員のことで頭が一杯だった。
それでも、仕事に区切りをつけて帰宅してみると、今度は妻と娘がいない。
携帯に電話しても、メールをしても連絡がつかない。
ネットをみてみると同じようなことが彼方此方起こっている。
こんな大量の失踪が同時多発的に起こるなんて、心配と不安で眠れずに朝を迎えると、とりあえず仕事にはいかなければと思い駅に向かった。
すると、改札の前で人混みができている。
近づいてみると、駅員が足りず駅が開けないという。
押し問答が激しくなり、一人の男性が駅員に殴りかかろうとした瞬間、その男性が止まった。大きく振りかぶった右手と地面から浮いた左足をそのままに、それ以上動かなくなった。
数分後、その場にいた人の三分の一は同じように停止した。
残った人々は皆、顔面蒼白になりながら、散り散りになった。多分、家に帰ったのだろう。
仕方なく皆と同じように家に帰るまでの間、自家用車やバスがあちこちに突っ込んでいた。運転手が突然「停止」したからだろう。
あまりの現実感のなさに呆然しながら家に入ると、妻と娘にどうにかして連絡をとろうしたが、駄目だった。
そして、また、眠れないまま朝が来た。
テレビをつけると報道特別番組をどの放送局でも流していた。まだ、テレビが機能しているのに安心した。
けれども、アナウンサーが伝える内容は滅茶苦茶だった。
あの巫山戯たメッセージ以来、失踪者は国内だけで推定50万にものぼるらしい。また、「停止」した人間の数は昨日だけで推定6000万人、全世界だと35億人だという。
「明日より六日の期間中に」というメッセージは本当だったのか?
カーテンを閉め、戸締りをし、ただ妻と娘との連絡だけに心を集中した。そして、また、翌日がきた。
付けっ放しのテレビからは同じような内容が繰り替えし流れていたが、お昼になると、大学教授が「停止」にいたる兆候が判明したと言い出した。
白い顎髭をたくわえた中年の男は言った。
「まず、皮膚から皮脂が流れ出して服と下着を汚します。
次に、髪の色素が抜け始める。
次に、体臭が変化する。
次に、体液が漏れ始める。
次に、記憶がなくなる。
これらが僅か五分ほどの間に連続するので、始まってからどうこうするのは無理ですけど」
気まずい沈黙が番組を支配した。
こんなことがわかったからといって、どうしろっていうんだ。
「治療法というか、特効薬はないんですか?」
司会者が綺麗なつくりの顔を歪めて訊いた。
「それは私の専門でないのでわかりません」
教授は当たり前のように言い切った。
すぐに洗面所にいき、鏡をみて体の匂いを嗅いで、裸になって体を触った。
大丈夫だ。そう思った瞬間、ガシャン! と物が壊れる音がした。隣からだ。
裸のままカーテンの隙間から覗いてみると、隣のご主人が暴れている。2分くらいして、両手をふりかざしたまま停止した。
今度はテレビから悲鳴が聞こえた。
ふり返ると、画面の中で司会者が教授をペンで滅多刺しにしている。教授は椅子から転げ落ちて画面から消えた。そして、司会者は数分後、血まみれのペンを握ったまま停止した。
床にへたりこんだ。そのまま夜がきて眠ってしまった。そして、また、朝がきた。
スイッチの入ってたはずのテレビが消えていた。調べると、電気がきていない。寝ている間、物が壊れ続ける夢をみていたが、外を覗いてみて、それが周囲の喧騒のせいだとわかった。普通の住宅街だった景色は、一夜にして盗賊に襲われたように壊れ、壊した人間たちの姿だけが妙な生々しさで「停止」した姿を晒していた。
冷蔵庫の前に立った。電気が止まったのなら、食べてしまわないと。中の物を手当たり次第食べた。食べ終えた時、玄関を開けようとする音がした。
気が狂った誰かがとうとう我が家も壊しに来たかと思い、防犯用に買っておいた木刀をもって扉の前で身構えた。
鍵が開く音がした。
扉が外側へとゆっりく開いた。
「容子? 千里か?」
堪え難い暫しの沈黙の後に、
「おかあさん」
と、千里の声がした。
「無事だったか!」
と、喜んで木刀を手放し扉に手をかけた。
「おかあさん、まだ、動いているよ」
「おかしいわね。殆どが今朝までに停止したってメッセージがきてたのよ」
扉から手を離して後ずさりした。
何をいってるんだ?
「ねぇ、裸だよ」
「いやね、何してたのかしら」
「またにしようか?」
「そうね」
木刀を手に取った。
「待ってくれ!」
これまでの人生で一番くらいの大声で叫んだ。
二人は裸の姿を唖然としてみた。そして、これ以上はないという冷笑を浮かべた。
「ごめんないさね。もう停止していると思ったから」
と、容子が言った。
千里は興味なさそうに手元の機械を弄っている。
「教えてくれ。なんなんだ?」
容子は仕方ない、という風で言った。
「いいわ。もう動いているのはあなたくらいでしょうから」
と、言った。
「あなたを含めた人間の標準使用期間が終わったのよ。だから、誤作動する前に停止したの」
標準使用期間? 家電製品とかのあれか?
「理解できないわよね。人間には」
「ねぇ、おかあさん、もう、いこう」
と、千里がいった。
「千里は無事なんだな?」
千里は相変わらず反応を示さず、かわりに容子が応じた。
「無事も何も、私たちは人間じゃありませんから」
何を言ってるんだ?
「あんたとわたしとおかあさんは別物なの? まだわかんない?」
突然、千里が言った。
別物?
「そうなのよ。私たちは神。あなたは人間。人間は神が大昔に作った機械なのよ」
容子は、もういいでしょ、と去っていった。
呆然として後ろ姿をただ見ているしかなかった。
二人の姿が本当に小さくなり、涙が溢れそうになったその時、二人が炎に包まれ、火柱が空に舞い上がった。
周囲からも火柱が何本も立っていた。
裸のまま全力で走った。
さっきまで元気だった二人は、人型の塩のような結晶になって地面にこびり付いていた。
悲しみと怒りでふるえながら、僕はある考えに至った。
神が作ったという人間に期限があるのなら、確実に神にも期限があったのだろう。それが皮肉なことに、人間よりも数日早く到来したのだ、と。