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98話

覚悟を決めて、正面突破を試みようとした瞬間だった。


 陣を組み、構えていた強敵達は全員が同時に、全身から血を勢いよく噴出させた。

状況に理解が追い付かず、四人は黙って眺める以外の行動を取る事が出来なかった。


「ダレ? こいつら」


 女の声が何処からか聞こえた。

カイルには、回答する声は聞こえないが、答えた事だけは何故か感覚として理解出来た。

それに他3人は反応を見せず、それを聞くことが出来ているのは、どうやら彼だけの様でもあった。


「はぁ……トップの命令とは言え、何でこんな奴らを殺す為だけにここに来なきゃいけないのよ」


 声を聞いている間、ずっと世界が揺らいでいるような感覚を感じていた。


「え? こいつアタシに気付いてんの? 殺さなくても良いのかな?」


「あぁ、そういうこと。 じゃあ頑張って」


『逃げて』


 ひどくザラザラとした蹄に似た形の何かが、カイルの肩に触れた。

姿は見えなくともそれを事前に察知し、咄嗟に回避を試みようとしたが、全く間に合わなかった。


「……ぁああ、ぁあああああ!」


『……気付くのが遅れた』


 肩が一度ドロドロに溶けて、更に中心に向けて身体が溶け始めようとした瞬間、強化された再生機能が働いた。

変わりなく身体は溶け続ける、が、内に秘めた力がそれをはるかに上回る速度で溶解した部分を再生し、最後には元の状態に戻してくれる。

戦闘中の全身に力を張り巡らせた、回復に全てを注げない状態であれば、カイルは死んでいた。


 彼の身体治癒能力は現状、誰よりも高いと言われているが、何度も深い傷を負ったり、戦闘の為に力を使用している場合は、致命傷を負えば、もう戦えない。

所詮、その程度だ。

何処まで力を追い求めようと、ヒトは不完全で、弱い。

最も、彼女のように目的以外の全てを諦めて生きる事が出来るのなら、その常識は覆るのかもしれないが。



「カイル?」


 仲間達は、どうやら何が起きたのか全く理解出来ていない様で、彼の肩が一度溶けた事には気付いていない。

しかし、カイルには触られた瞬間、何かが見えてしまった。

白く濁った昆虫じみた眼が二つ、それ以外に何も付いていない縦長の顔。

その下の毛が生えた胴体から伸びる異形の5本の足と二本の触手を持つ何か。


 眼と足と触手と言っても、知る言葉の中で最も近い言葉を探した結果がソレなだけで、ヒトと同じ名称では呼べるモノではなかった。

一言で表現するなら、この世の物ではない形容をした本当の化け物だった。


「何でもない」


 見えていないのか、とは言わなかった。

カイルは今見た何かを言葉にしてはいけない存在だと思った。

本能的な忌避感が、今の出来事を一寸も伝えてはならないと告げている。


「今のはあなたが?」


 タイミングから考えると、これは不思議な発言ではない。

むしろ、そう考えるべきで、彼も取り繕うべきだったのかもしれない。

しかし、そうしなかった。


「俺じゃない、多分何かが……起きた」




「何で、彼らは死んだんだろう?」


 カイルには、何故こうなったのか大まかな予想が付いていた。

トップからの命令と言っていたが、ここだけを都合良く襲撃する理由など、そう有りはしない。

こんな状況で彼がピンチになるであろう場面を推測し、都合良く強力な戦力が送られてくる様誘導出来る人物など、一人しかいない。


 少なくとも今は、何処の所属で、どんな存在なのかは重要な情報ではない。

ただ、脅威が取り除かれたという事実だけを見れば良い。


「大事なのは、脅威が消えたと言う事実だ。 今はそれで良い。 解明は後にしよう」


 納得出来ていない様子だったが、それはカイルも同じだった。


 いつも彼には、脅威に対抗するために必要な何もかもが足りない。

だが、今度ばかりはもう負けてしまった、では終われないのだ。

何があろうとも勝って生き延び、完全なハッピーエンドを目指す為に戦っている。



「ま、楽が出来た、って考えれば良いのかな」


 カイルの一度は溶けた肩が二度、他の二人には見えない様に叩かれる。

後ろにいるため表情が見えず、気付いているのか気付いていないのか、彼には分からない。

それでも、ほんの少しだけ孤独な気分が和らぐような気がしていた。





 驚くほど生きた兵士の姿が見えず、近くの街のホテルに忍び込むのは難しくなかった。

下の階から上がってくる事が出来ない様に細工をして、今彼らは無賃で泊まっている。

睡眠不足や今が異常事態であることが重なって、扉を壊す事に誰も何の疑問も感じなかった。


「はぁ……」


 一度溶けたはずの肩を撫でつつ、一人で窓から見える凄惨な景色を眺める。

街内は比較的、本来の形を保っているが、外はもう以前の面影も見えない有様だった。



 森は激しく燃え、草原はただの荒地、旅人にとって憩いの名所と呼ばれた滝は燃え盛る樹々を消火しながら下流へと運ぶという妙な役目を担っている。

その樹々が塞き止めた水が溢れ、今は荒地を潤すだけに止まっているが、下手をすれば街に到達する勢いだ。


『ねぇ、いつまで休憩するの?』


「多分、明け方前だ」


 今は深夜には少し早い夜。

大移動を予想されるであろうこのタイミングに、四人は隠れたまま動かない事を選択した。


『あなたはいつ寝るの?』


「さっきの話聞いてなかったかよ、交代で寝るって言っただろ」


 今はカイルの見張り番の時間で、彼は部屋に侵入する者はいないか、部屋の前の通路を歩いたり、こうして窓の外を眺めて暇を潰している。


『……暇ね』


 話す事なら幾らでもある。

これからの世界について。

先ほどの化け物について。


 何故か妙に広く知識を持つ彼女には、聞いてみたいことは山ほどあった。

しかしカイルは何も話そうとはしなかった。


『あ、そういえば一人起きてるけど、良いの?』


「起きてる訳ないだろ……丸2日寝てないんだ。 本当ならずっと眠っていたいはずだ」


『そんな事を言われても、事実なんだもの。 あ、出てくるわ』


 それだけ言って存在を潜める。

何の意味がある嘘なんだと思った彼の背から、ドアが開く音がする。

振り返るとそこには、ユウカがいた。


 開けた窓からの風が光を織り込む黒髪を美しく乱れさせ、それが心に響いたかの様に彼女は不安そうに笑った。


「カイル……」


「どうして起きてる? 眠くないのか?」


 手を後ろで組み笑顔を携えた彼女がゆっくりと近付いてきて、横に並んだ。

その横顔は今までに見たことの無い妙な気色をしていて、少し色欲を感じた事に、カイルは後ろめたい気持ちを抱いた。


「眠たくないとは言えないけど、少しぐらいお話をって思って……」


 部屋は今彼らがいる階に全部で4室あるが、人の気配がなかった2室の内の一室を使用している。

ベッドは二つあるが、女性である彼女が自然と一人になる形になった。

ベッドが完全に空いていると思うと邪心無しに眠りに向かいたい衝動に駆られたカイルがそれを抑え込むには少しの苦労を要した。


「まあ、いいか……」


 了承を得て喜ぶ顔にも、元気が足りない。

一歩間違えば死ぬ戦闘を2日も続ければ憔悴するのは当たり前だ。

そんな状態なのに、彼女は眠る事よりも会話をする欲が勝ったのだ。

だから少しぐらいは、それに応えてやろうと、カイルは思う。


「じゃあね、カイル……私は貴方が好きです」


 ただの告白とは重みが違った。

命懸けの戦いを共に潜り抜けて、告白も以前に受けた事がある。

想い人が彼にいる事を知った上で、ずっと好きでいてくれて、それを主張し続けてきてくれた。

そんな彼女が真摯な瞳を向け、不安に揺られながらも距離を取り、そう言い放った。


「今日……共に……」


 だからこそ。

例え非情だと言われたとしても、その消え入りそうな心細い声にカイルは本当の自分の想いを告げなければならない。

嘘で好きだと言って関係を持つ、そんな選択肢もある。

それはもしかすると正しいのかもしれない。

だが、彼はそうすべきだとは思わなかった。



「俺はお前の事は大切に想っている。 だが、それは恋人にしたいとか、女としてという訳じゃない。 アイツが何処まで異常な世界を目指して突き進んだとしても、俺の心からはずっと昔からある気持ちが消えてくれないんだ」


 そう言って、彼は謝った。

彼女は傷付いた顔を隠しきれずに、残酷な現実を受け入れた。


「そっか……ダメかぁ」


「すまない……」


 もう一度謝罪したカイルに、ユウカが言った。


「ううん、謝る必要なんてない。 本心じゃないままに好きだって言われても、私達はきっと、スッキリしない終わり方しちゃうと思うから」


「今、終わり方って言われると、なんだかまるでこれから死んでしまうみたいだな」


 冗談のつもりで言ってみたのだが、言ったカイル自身が冗談だと思い切ることが出来なかった。

状況はそれほど悪い。

一時的に事態は好転したが、まだまだ目的地は遠く、全て切り抜けた上で、最後の闘いは熾烈を極めるだろう。

例え、万全な状態で戦えたとしても全員が無傷とは行かない事は分かっている。


「そうならない為に、頑張ってるんでしょう?」


 それでも今更、立ち止まる事は許されない。

その為に多くの命を奪い、世界で最強の組織であり、国家でもあるブレイスの決定に抗ってでも護りたいもの全てを守り抜くと決めたのだから。

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