95話
自分の軍が停まっている仮キャンプ地のある森へと到着したカイルはまず、完全に正常な状態であるはずの自身の目を疑う事になった。
軍から用意してもらった樹々に溶け込む緑のテントが全て潰れていて、見当たるのは恐らくヒトであったと思われる残骸だけ。
何が起きたのか、まるで理解が出来なかった。
だが、その状況でカイルは、今更悲しいなどと思うことはしなかった。
「どうせ、敵だ。 殺すつもりだったんだ」
言葉とは裏腹に、その瞳はある感情に満ちていた。
仲間同士である彼らが殺し合って、死んだ事に気付いたのだ。
理由は何一つ分からない。
だが一つだけ確かなのは、このままでは何も出来ずに全てが終わってしまうと言う事。
もう、これ以上行動を躊躇う無駄な時間は用意されていない。
カイルが使用していたテントへと向かう。
奇跡か必然か、テントは無事だった。
中に入ろうとすると、微かに金属音がした。
「誰だ?」
先手を取って声をかけたその判断は正解だった。
「カイルか……おかえり」
「無事だったんですね!」
「よく生き残れたな! どうやって帰ってきた?」
同時に喋りかけられ、混乱しそうになるカイルの脳が最も長かったビオスの発言を気に留めた。
「どうやって帰ってきたかと言われても……普通にここまで走ってきただけだが……」
「んー……まあとりあえずそっちは後でいいや、君に手紙が来てるよ。 名前は分からないけど、仮面を付けた奴だった」
差出人の分かりきった手紙を受け取り、封を開ける。
その際、花弁の形をしたカマイタチと言う可愛らしいイタズラが仕込まれていたが、被害を受けた者はいなかった。
内容は、至極単純。
ブレイスの近くにある祠に来て欲しいと言うことだった。
それ以外は、何も書かれていない。
「さて、これを達成するに当たって問題がある」
「この惨状に関係……するだろうな」
「まあね、さっきブレイス本隊から攻撃を受けた。 多分、指揮系統が混乱してるのかな。 状況が全然見えないけど、兄さんから一度だけ来た通信で言ってた、お前は俺の味方か? って」
味方か否か。
少なくとも、ブレイスの内部にいるならばそれを否定出来る者は存在しないはずだ
にも関わらず、わざわざ反応を見ようとした。
ハッキリと味方を見定める必要が生まれるほどに状況が悪い、もしくは味方が大幅に減ったか。
「メンドクセェ状況だな……」
「で、どうするの?」
カイルはあえて、先の事を言わなかった。
真っ先に言えなかった、というのが最も正確だが、とにかく言おうとしなかった。
外に、間者がいる。
数は少ないが常時魔法を使い、通信しているせいで、安易に殺すわけにいかない。
しかしブレイスのトップがもしも、カイルに沿わない決断をするのならもう、答えは決まっていた。
「リュウ、聞いてるんだろ? 近くにいる奴に通信機を渡させろ」
テントの入り口がバッと風に吹かれたように開いて通信機が現れる。
拾い上げる事はせずに、立ち上がって言った。
「現状の目的は?」
通信機からは、剣戟の音が聞こえた。
凄まじい速さで鳴り続け、すぐに、静かになり、森を駆け抜け、世界中に恐怖を煽ろうとする風の音だけがするようになった。
静寂な世界に似合う冷たい怜悧な刃を思わせる声が響いた。
「敵を全て殺す、だがダンテは手遅れだ。 アイツが計画を実行するのは止められない。 俺達は破滅の計画の後に備える」
「後? 破滅の後に何がある?」
「……アイツが進めてる破滅の計画の全貌が分かった、というよりも、送りつけてきた」
つまり、挑発だ。
滅びたくないなら止めてみろと、彼女は人類にそう言っている。
今からヒトとヒトで信じ合い、共闘出来るのなら、そうすれば良いと、ヒトの歴史や、存在そのものに喧嘩を売っているのだ。
この最後のチャンスで、止められなければ、そこで世界の歴史が終わるらしい。
その瞬間を見てみたい気持ちもなくはなかったが、代償が余りにも大きすぎた。
「それで?」
「説明してる暇がない。 今は味方同士、敵同士で争っていて、俺には、未来を護る為に信頼できる味方が必要だ」
言葉はないがリュウが自分の手を取れと、カイルに言っているのは分かる。
「そうか……世界を見捨てるというのがお前の決断か」
落胆したような声で、カイルは応答する。
それに周囲はビクッとしたが、彼は気にしなかった。
「違う。 最後の最後で世界を見捨てない為に、今は逃げる」
「俺は……今、世界を見捨てない。 その先に未来が存在する保証はあるのか?」
「ある。 だから、俺を信じてついてきてくれ」
カイルに縋る、その声がほんの少し心地いい。
誰かを征服したような気分になって、気持ちが良い。
立場が常に上だったリュウが今まで、そんな声を出しているのを彼は見たことがない。
という事は、この状況はカイルが主役として選ぶ事の出来る大きすぎる分岐点なのだ。
今、逃げれば、確かに悪魔の力を得たヒトは滅ばないかもしれない。
だが、それ以外のヒトはどうなるか。
その先でダンテはどうなるか。
何一つ分からない。
希望は依然として見えないままだ。
「俺は……馬鹿だ」
ずっと、二人の話の内に入らずに黙っていたミヤが口を挟む。
「で、君の決断は?」
「俺は、ダンテを止めに行く」
「馬鹿か! 条件はお前だ、アイツはそうなるように誘導すると」
「もう決めた事だ。 どれだけ必死に考えて動いても、今まで勝てなかった。 ダンテが待ってるなら、俺は迎えに行って、その後……どうするかも決めるよ」
最後まで言い終えると通信が切れる。
聞く必要のない決意を途中で切らずに、最後までリュウは聴いてくれた。
それで十分だった。
「事後報」
謝ろうとするカイルに、それを遮る声が早くも聞こえた。
「お、世界を救う為の最後の戦いって奴かぁ?」
「世界を救う為に、国を裏切るヒーロー。 燃えるねぇ」
「確かに! カッコいいかも!」
「お前達、そんな簡単に……」
「とか言っちゃってさ、どっちにしろもう遅いでしょ」
ここで巻き込んだのはカイル自身。
この状況になるまで追い込まれてしまった原因も、彼自身。
全部悪いのは、カイルのはずだ。
それなのに。
「さて、世界を救いに行きますか!」
「どうせ、ダンテさんを止めないと世界には何も残らない。 なら、やりましょう」
それを責めるどころか、励ましてくれる仲間達がいる。
「今更、謝るなんてナシでしょ」
目頭が熱くなるのを堪えてカイルは仲間と、自分自身、そして外で待ち構えているブレイスの盗聴を行なっていた者達に向けて宣言した
それを合図として、各自武器を持ち、前に向けて飛び出した。
「…………あぁ。 目標は、世界を救う、いや……大切な物を、全部守り抜く事だ!」




