88話
人類は、ひどく愚かだ。
自分達の想像を超える力を前にして、自分達が出来る範囲の事でそれを抑えられると思い、安心していたのだから。
その証拠に、彼らが作り出した自慢の封印術を破られて、誰もが動けずに固まっている。
弱い者がどれだけ集おうと、次元の違う実力を前にしては何も出来ないという事を考えもしなかったのだろう。
甘すぎる考えだが、対策の立てようが無い事実で、それは力がないという原因が全て悪い。
弱者はどれだけ良い心をしていても、力が無くてはただ全てを失うのみだ。
優しさでは、誰も救えない。
真っ先に友達、というひどく時代遅れな価値観を抱いてしまったミヤが直進してくる。
遅れて、デシアを所有する者達全てがそれに従う。
先頭を走るミヤが軍から突出する。
ただのヒトでは、異能を排除すべく生まれた力を持つ彼には追い付けない。
身体から放たれた眩い輝きが、槍となってカイルを襲う。
数が増え、回避は不可能に思われる。
だが、所詮はヒトが1人だ。
瘴気を纏う魔力が、その勢いを奪い、最後には消滅させた。
防御だけでなく、それと同時にカイルは攻撃も行なっている。
その全てをミヤは回避し、肉薄する。
人間らしく、汚い感情と綺麗な感情は混ざり合う闇に、神々しく、何の感情もなく、ただただ、無、それらがぶつかり合う。
それだけで、もう誰も動けなくなってしまう。
瘴気が溢れ、恐怖のような負の感情が支配されて、動けなくなった。
ブレイスだけでなく、兵士は基本的に恐怖によって支配されたものばかりだ。
恐怖に全てを支配された者は戦えないが、魔法は便利な物で、それを可能としてくれる。
だから、兵士はまず最初に国家への恐怖を叩き込まれる。
カイルの瘴気が弱い洗脳に似た精神干渉魔法を吹き飛ばし、彼らに取り付く強迫観念が消えた。
その結果、圧倒的な力を前にした恐怖で動けなくなる。
友情だとか、くだらない感情に支配された者を除いて。
打ち合いでミヤを吹き飛ばした直後。
「カイル!」
女の声。
男の声も聞こえるが、そのどちらも余りに弱すぎた。
カイルに向かってくる、つまりは馬鹿だ。
そして、こんな力に手を出してしまった彼こそが、本当の馬鹿だ。
馬鹿を信じる馬鹿にそれを信じる馬鹿。
救いようのない存在だと、笑われて当然だ。
だがなぜか、それを笑えない。
無力化は一瞬で、心がザワついたせいで殺す事は叶わなかったが、医療機関が機能しているか怪しいこの状況で、致命傷を負って生き延びる事は難しい。
生きる事を諦めたのか、兵達の止まっていた時が動き出す。
カイルは動いた時を物理的に凍らせた。
この世界では有り得ないはずの、遠隔魔法。
一人一人を対象とし、何の繋がりもなく直接的に凍らせる。
そんな現象は従来の魔法理論では到底実現不可能だった。
それを彼は容易に成し遂げて見せた。
これが平常時の出来事なら、革命だ。
魔法学が大きく進歩し、世界はまた一歩破滅へと進んだ事をメディアはそれと知らずに祝い出していただろう。
唯一、身体を覆う氷を破壊出来たのはたった1人、マトモに戦える力を持つミヤだけ。
ここで戦いを挑まなければ、幾らでも未来は広がっていたはずなのに、挑んでしまった愚か者。
「たった1人で、何が出来る?」
「それ、君も同じでしょ?」
確かに、と思う。
お互いに戦力は1人だ。
だが。
「お前のようなヒトから抜け出せない半端者と、私が、対等だと思っているのか?」
彼は、未だにヒトの身体で居続けようとしている。
精神をヒトの物のまま、肉体だけを強化する事を望んでいる。
ヒトを辞める覚悟が無い、だから、弱い。
速度はほぼ同じでも、一撃の重さが違う。
ミヤは回避も、受ける事も出来ずに吹き飛ぶ。
受け身が取れずに転がる彼に追撃をかける。
蹴り、魔力を剣を持たない左腕に集めて防ごうとするが、純粋な脚力だけでへし折った。
短い呻きと共に転がって、無理やり立ち上がった彼の胴体を漆黒の風が薙ぎ払う。
しかし、血が出ない。
何故ならその部位を力が支配しているから。
そして今更、カイルの意識が闇に勝つ時間がやってきた。
空間の支配が消えて、押さえ込まれていた血が大地を濡らす。
目を覚ませば、死にかけている仲間が目の前にいて、視界の端にも傷付いた仲間が倒れている。
「ミヤ……何故……」
声が出ないのか、意識を失っているのか、分からなかった。
少なくともミヤは再生が始まっていて、死んではいないことが分かる。
助ける事は出来るが、ここにいては今度は殺してしまう。
これでもう、ハッキリした。
「俺に、お前達の側にいる資格なんてもうないんだな……」
その場を離れようとするカイルに、否定の声をかける者はいない。
ツノが生え出した哀しみを背負った背を追う事が出来るものも、またいない。
彼はただ、その場から少しでも離れる為に全速力で移動を始める。
移動の最中、視線を感じて、目を凝らして見つめてみると、そこには心の中を含めるならさっきぶり、という言葉が当てはまる黄金の髪を持つ彼女だ。
彼女はこんな時でも愛おしくて美しく、可愛らしかった。
口が動く。
年齢にしては幼く、大人っぽさを求める声は彼の聴力を持ってしても聴き取ることが出来なかった。
口の動きはこう言っていた。
「あ」
「い」
「し」
「て」
「る」
「今の貴方なら、彼女だって手に入る。 だって、今、貴方は間違いなく友情というくだらないしがらみを壊そうとしていた。 それは正しい」
『違う、それじゃダメなんだ』
「でも、何かを壊さなきゃ、変えないと前には進まない。 あなたはそれを知っているはずよ」
話す度に、人間性が食い潰されて心が闇に染まっていく。
しかし今更もうそんな事を気にする事は出来なかった。
何故なら、彼はもうヒトではないのだから。
そこからしばらくの間、カイルは何も言い返せずに、黙り続けていた。




