84話
「ねぇ、君はどれだけのヒトを殺したの? それ、気持ち良かった? 楽しかった? 最低だね」
先ほどのミヤとの戦いの中での会話は、カイルにはこう聞こえていた。
「君を信じた僕が馬鹿だった。 仲間や友達なんて、やっぱり間違いだった」
違うと言いたかった。
それなのに、声帯が言う事を聞かない。
「は、当たり前だろ。 誰かを信じるような弱い奴には何も救えない。 知ってただろ?」
「たしかに、信じた僕が悪かったのかもしれない。 それでも」
そしてここから先だけが、気持ち悪いほど妙にハッキリ聞こえた。
それこそが真実の声だと信じたくなる、優しい響き。
「君を信じる為に、僕らが仲間である事を証明してくれよ」
そう言って手を開いたミヤはひどく隙だらけで、絶望した。
何故抵抗してくれないのか。
何故自分を殺してくれないのかと、絶望した。
カイルには理由はわからないが今までとは数段違う強さを持った今のミヤなら、自身を殺せると思っていた。
そして、どうせ殺されるなら、仲間に殺されたいと願っていた。
それなのに、その仲間は唐突に死を選んだのだ。
辛かった。
苦しかった。
殺してしまう自分が嫌だった。
だが本当はもっと早くに、その確信を疑うべきだった。
自分の衝動に抗う事を忘れていなければ、彼は数百人程度の命を救う事が出来ていたかもしれない。
しかし、言葉の意味をマトモに理解してようやく、自分が心の中で暴れ続ける殺意に抵抗する事を忘れていたと気付いた。
だから、先程はギリギリで殺さずに済んだ。
これで、仲間をみんな守る事が出来たのだと達成感があった。
そして、逃げた先でみんな救われた、と安心した。
安心すると、すぐに心の闇が迫ってきて、気付けば完全にカイルの心は呑まれていた。
何も見えない暗い世界。
心に残る微かな恋の香り。
それを辿った先にいる彼女は、彼を見ている。
だからカイルは、手を伸ばしてみる。
手が触れかけた瞬間に、全て崩れ落ちる。
世界が変わる。
色鮮やかな世界。
現実の世界と違って、誰もがカラフルに彩られて、自由に生きている。
その中に、ダンテが笑って手を伸ばしてくる。
「こっちに来て!」
彼女の瞳の奥に、あの女がいた。
関わってはならない、闇そのもの。
髪も瞳も、闇を示す黒で、触っていい事なんてない存在だ。
もう既に仲間は救った。
だから、これ以上先には進む必要はない。
しかし、足が止まらない。
心が勝手に動く事を強要して来て、もう、何もかもダメだった。
理性が働かない。
理性はそれが正しいと言う。
以前はそれが危険だと示してくれた彼自身を構成する全てがそれを今度は正しいと告げていて、もう、止まる事が出来ない。
一歩、二歩。
近付く度に外では大勢の人が死ぬ。
多分、もう敵は侵攻を諦めていると、気配だけで彼は理解出来る。
それなのに、攻撃をやめられない。
何故かと言うと、それが心地いいからだ。
誰かを傷付けると言うことにはどうしようもない程に快楽がある。
今は襲撃に対する制裁という大義名分があって、何度も何度も快楽が重なっている。
それを仲間に指摘された。
関わったみんなが呆れていて、もうカイルは仲間では無いとまで言われた。
それを聞いたせいか、身体は止まってくれない。
長い時間のうち、カイルの意識が目覚めるタイミングを狙ったかのように彼女は現れた。
彼は本当に救うべき存在を忘れていた事に気付いた。
まだ、終われない。
現実の世界を見ていながら、まるで現実を見ていないカイルは決意を固めた。
「カイル、どうだった?」
金の髪が靡く。
それはまるでカイルの安定しない心を示しているようだった。
黒く闇に染まった刃が彼女に真っ直ぐに向けられる。
それはまるで彼女の安定した意思を表しているようだった。
目的からブレずに、真っ直ぐに突き進むことの出来る彼女と、何度も寄り道を繰り返し、守りたい物が多く、中々前に進めないカイル。
彼女を止めるには、何もかもを失う覚悟が足りなかった。
だから今日、変わった。
全て壊して、彼女を救えるだけの力を得た。
彼女以外の全てを殺せば、もう敵はいない。
世界を滅ぼす必要もなくなる。
後は覚悟を決めるだけだ。
『そう、あなたは変わった。 くだらないしがらみを捨てる覚悟を決めなさい』
苛立ちをぶつけるように、強烈な一撃を叩き付ける。
しかし、空を切るだけに終わる。
いつのまにか左にいた彼女に向けて右足を横薙ぎに振り回す。
飛んで避けられるが、燕返しのように上に向けて跳ね返った右足が胴体を捉える。
カイルは初めて、ダンテにマトモな一撃を加えた。
「痛っ! もう!」
彼女は攻撃を受けた勢いを利用して下がろうとするが、必要以上に距離は空けさせない。
闇に染まった風が、ふわふわとした不気味な音を立てながら回り込んで彼女の退路を断つ。
胴体から伸びる魔力の腕が逃げ場を無くした彼女の首を掴もうとする。
しかし、そこに彼女はいなかった。
背中に衝撃、後ろに気配は感じない。
だからカイルは前を狙った。
金属同士がぶつかり合う感触がして、そちらが正解だと判明する。
「ね、それにしても心の中に話しかけるって、難しいね」
背景となっていた、誰もが自由に笑い、未来に期待する理想の世界の色が、急激に変わり、カイルとダンテの愛の巣、要は、彼らの家の風景が視界いっぱいに映る。
当然と言うべきか、彼女もまだ存在する。
「これは……どういう事だ」
「さっきのはあなたが無意識に思い描く理想かな? 私には分からないけど、貴方は優しいから、あんな世界を望んでるんだろうね」
優しい。
それはいいことでは無い。
優しい奴では何も救えないと、彼は知っている。
優しさは必ず苦しみを引き寄せる。
「ほら、見て? 外が賑やかだよ」
ずっと見えていたはずなのに、見ようとしなかった外に意識を向ける。
死体ばかりが増え続ける悲しい世界。
その内の1割程は、何の関係もない市民も混ざっている。
戻れない所まで来てしまった。
その後悔が彼を一段と前に進ませる。
前に進むたびに、見た目が心の闇を具現化して、もう今の彼はヒト型の何かにしか見えなかった。
「これから……俺はどうなる?」
殺される、それ以外の未来なんてないと、彼は思っていた。
しかし、返ってくる返事は予想と違っていた。
「それは貴方が決める事。 貴方の力は世界に必要だから、やろうと思えば世界の支配者にだってなれるはずだよ」
カイルには自分が支配者になる意味が分からなかった。
強くなれば強くなる程に、弱みを狙われる。
それ以前に、この先を生き抜く自信が全くない。
「さて、カイル。 ここから先を生き抜くにはきっと、覚悟が必要だよ。 世界が滅ぶ条件はもう9割が整ってるの」
それを告げて、彼女は霧のように霧散して消えた。
そして外を、現実の方を見る。
カイルは気付けば軍事施設の中心にいた。
多分誘導された、しかし、力の差は悲しい程にハッキリしている。
「あなたは彼女を救いたい。 しかし覚悟が足りなかった」
カイルは自分の口から放たれた辛い現実に何一つ反論出来ずに、心の中で俯く。
「仲間を守ろうとした結果、こうして追い込まれてしまった。 だけど彼らは本当に仲間なの? 役に立つ? こんな世界でそんな感情は成り立たない。 つまり、利用されているのよ」
立て続けに放たれた正論が刺さる。
なら、何のために今まで守り続けたのだろう。
『それでも、俺は……』
「信じる? さっきあなたは裏切られたじゃない。 まだ仲間がいると思っているの?」
言葉に続いた冷笑に、とうとうカイルの心が折れる。
自分が間違っていた、そう理解してしまった彼の心は黒く塗りつぶされてしまう。
『友情なんてあり得なかった、それが真実なのか……?』




