77話
「あは、カイルだけの女にされちゃった」
カイルはそんなからかいにどう返して良いか分からずに、戸惑う。
「あ、照れてる……ありがとね」
彼女は立ち上がり、ドレスを整える。
そして、真面目な顔をして言った。
「あなたは今日、私を殺してくれた」
発言の意味が分からずに、思わず聞き返す。
彼は殺してしまうような行動を何も取っていない。
「殺した? 俺が?」
「そう。 カイルは弱い私を殺した。 あなたの事を求め続ける、私の最も弱い部分を」
「本当にそうか? いやそもそも、弱さを隠す必要なんてない。 多分、それこそが俺達ヒトの本質だ。 だから、それを信じてみてくれ」
「信じて、何か変わる?」
ひどく重い言葉だ。
「弱いだけじゃダメなんだよ、それじゃ何も救えない」
言葉が頭で反響する。
分かっていた理屈が、ひどく心に刺さる。
理想とは程遠い現実に、苦悩しているだけの彼では一度は止まったはずの涙を拭いてやる事すら出来ない。
「でも、カイルは本当に成長してる。 あなたが悪魔から認められるなんて思ってなかった。 私の計算をとっくに超えてるよ。 まあ、そこはちゃんと修正したけどね」
以前悪魔はカイルの力を報告しないと言った。
それを修正したとはつまり、このデシアという力が報告されたという事。
どのような意味があるのか、彼にはまるで分からないが、状況が悪化した事だけは正しい。
結局は全てが彼女の思い通りで、彼はまだ駆け引きの場に立てていない。
「さて、そろそろかな?」
「何の事だ?」
彼女は答えない。
何かを待っている。
凄まじい砲撃の轟音が幾千も鳴り響き、それに乗じて、各地で殺気が膨れ上がる。
「あはは、今日からまた、戦争が始まる。 ちょっと噂を流すだけで争いっちゃうような人類は、もう、滅ぶべきだよ。 滅ぼして、2人だけで生きていこう?」
平然とした顔でそんな事を言ってしまえる彼女は間違いなく狂っている。
「断る。 俺は守りたい物を全部守り抜く」
「そして全部失っちゃうんだ?」
「いいや、失わない。 その為にできる事をやる」
「やっぱりカイルは強いよ。 私、本当は別にしなきゃいけないことがあったんだけど今日だけは、仲間のピンチにあなたがどういう行動を取るのか、見てるね」
爆音の中、彼女が窓から去っていく。
彼女は、涙と共に何かをカイルの視界に落として行った。
意図した物だと思われる、だから、それを拾う。
黒い宝石。
どうやって測ったのか、少なくとも彼には完全な立方体に見える物体は、醜い感情を撒き散らしていて、触れるだけでどういう物体か理解出来た。
そんなことはどうでも良かった。
彼女を泣かせたまま、遠くに行かせてしまった。
その罪悪感と、虚無感ばかりが残る。
カイルの家が囲まれる。
数は三桁を軽々と超えている。
彼一人にこれだけの人材をかけるという程に、今回の攻撃は、本気だと言うことだ。
ミヤ、ビオス、ユウカ。
優秀な彼らにも、攻撃は間違いなく行われているはずだ。
つまり、救出に向かう必要がある。
彼は窓から家の外に出る。
家には、数日分の障壁用の魔力が残されている。
ターゲットであるはずの彼が家から出ていけば、ナナは安全だ。
ブレイスを相手する上で、彼女程度の実力者に、力を割いている余裕など、どうあがいても存在しない。
カイルを襲う魔法攻撃、その全てを彼は防ぎきる事が出来ずに、圧縮した魔力の砲撃を10発、被弾する。
吹き飛んだ方角は幸い家から直角に離れる方向で、少しだけ戦いやすくなる。
魔法の後は、何百何千と、空を覆い隠すに十分な矢の雨が彼を襲う。
それを防ぐ為に彼は物理障壁を10枚、一度の魔法で生成する。
強度より速度を重視した一枚が簡単に割れ、次々と強度が上げられた障壁の、5枚目まではたった数本の矢に破壊された。
対魔法用コーティングされた矢だと、気付く余裕がない。
6枚目は、10秒程持った。
7枚目は、魔法と合わせて瞬殺された。
8、9枚目はもう何も存在しないかのように、役目を終えた。
彼が時間をかけて最大強度でギリギリで生成した10枚目だけが、唯一マトモに防壁として機能する。
しかし、敵の魔法師は不幸にも想像以上に有能らしく、複数人で防壁破壊の為の魔法を練り上げている。
もう持たない、カイルはそう判断した。
この攻撃が、仲間達にも行われるのだとすれば、ミヤはともかく、残る2人は全く抗えないだろう。
彼らは多数の高出力魔法攻撃に対する防御手段を持ち合わせていない。
カイルでさえ苦戦するほどの魔法力は、恐らくデシアによって引き出された力だ。
それも、何人かは彼を超えるレベルで制御されている。
にも関わらず、近付いて来ないのは、無用な犠牲を出さないようにする為だろう。
早く助けに行かなければ、仲間は死ぬ。
それはダンテとて同じ事だ。
全てを諦める事が出来るなら、もっと楽だった。
しかし、カイルはまだ、諦めたくなかった。
まだ道は残されている。
誰にでも理解出来るように、わざと用意された、ハッキリとした道が残されている。
だから。
「分かった、分かったよ……望み通り狂ってやる。 でもそれは多分、お前の望む未来の為じゃない」
大切に想う心。
大切な仲間。
そして、自分自身の想い。
そういった大切な全てを。
「全部守って終わる為に、何も諦めない為に、俺は今日……俺自身の未来を諦める!」
それは自分を捨てない為に、自分自身の存在を捨てるという熱い魂の誓いだった。




