69話
酷い気分で地上に出て、知らされていた現在地が情報と相違無いことを確認する。
目的地は、迷った、だとか分からなかったの類の戯言がどうあがいても通用しない程度には近い。
「悪魔、ね」
彼は悪魔の存在を当然知っている。
しかし、見たことは無い。
資料が幾らも残されていて対抗策となる魔法が幾らも研究されている以上実在する事は疑いようのない事実だ。
一体悪魔がどの程度の実力で、今の自分が抗えるのかどうか、彼は知りたかった。
その知識欲には、少し闘争心が混じっていた。
カイルは歩くのでもなく走るのでもなく飛んだ。
基本的に誰も視線を向ける事がない民家の屋根に向かって。
顔色の悪い、としか表現のしようのない男が立っていた。
ブレイス国内では唯一と言って良い歓楽街に。
人が溢れる、と言うには少し少ないが、それでも十分すぎるだけの人盛りが出来ている。
今にも死にそうに顔が青白く、しかし明らかにヒトではないと悟らせる何かを纏っていた。
服装は、ただの白シャツに簡素な黒の半ズボンと目立つ物はない。
しかし、彼の持つオーラはソレだけでヒトとかまた別の存在であると強制的に人々に理解させるだけの物だった。
そのオーラさえ無視出来ればただの病人にも見える彼を見た群衆は叫んだ。
誰もがその男の額の紋章を見ていた。
それは悪魔のある種族の中でも特別上位の存在である事を示す紋章で、一定の魔力を持つ事で発現する、とヒトに伝えられている。
それは正しくないが、詳しい生態を知る者は現状この世界には存在していない。
「悪魔だ!」
「殺される!」
悪魔の存在を名前すら知らぬ者はいない。
しかし、実際に見た記憶がある者もいない。
誰もが会えば、殺されるか、口封じされている、と一般的には伝わっている。
情報統制がされていないのは、ブレイスに対する悪魔からの指示であるが、そこまで知る者はブレイスの直系程度ぐらいだ。
「戦う力を持てない臆病なニンゲンを無駄に殺したりしねぇよ」
見た目の年齢は、40程度。
控えめでありながら快活なイメージを持たせる笑いを見せたその姿はダンディと表現したいが、見た目が病弱すぎるあまり、そう伝えるには少し難がある。
彼が今発したニンゲンというワードは、悪魔がヒトを呼ぶ時に使う物でやがて、それがヒトの種族名として主流となる。
それがヒトの歴史の中に、一度悪魔が入り込む、と言う悲しい未来を指し示しているのではないか、と言う疑問に関しては、否定しない。
カイルは名も知らぬ他人の家の天辺から、遠目でその悪魔を見る。
目が合って、すぐさま後ろに飛ぶ。
しかし、気付けば悪魔はもう目の前に迫っていて。
「まあそうビビるなよ、若いの」
彼に伸ばされた腕を斬り落とそうとして、剣を抜く。
右と見せかけての左からの切り上げは、抵抗されなかった為、驚くほど綺麗に決まった。
アッサリと切断された腕が地に落ち、ヒトと全く同じ、赤い血が噴き出す。
そのままトドメを刺そうと首へ向けて刃を返す。
彼の青の愛剣は、宙に絵を描く様に血を振り払った。
その一幕は、彼が悪魔の背後に回り込みながら行った攻撃だった。
致命の一撃を回避した悪魔は、切断された右腕を左の手で掴んでいて、それを切断面に押し当てた。
今更、切断された部位がくっついた程度で彼は驚いたりしなかった。
「随分と早いな、それにその力……何処で手に入れた?」
「教える理由があるか?」
そう答えて、カイルは剣を悪魔の中心に向けた。
そこから、力を感じたから。
「ふむ、やはり、お前がそうか。 カイル、だな?」
悪魔はヒトの上位種だ。
ヒトが手に入れることの出来る情報全てを持っていたとして、そう驚く事でもない。
カイルはもう一度斬りかかる。
「そんなに力試しがしたいか、お前程の実力者なら叩き潰してやっても良いだろう」
直後、一瞬で背後を取っていたカイルは特殊な術を使用していた。
先程までいた位置に自分を転送する秘術。
これは彼にしか使えない、彼だけの最強の術だ。
どんな状況からでも回避し、攻撃に転じる事が出来る。
「なんだ、それ」
しかし、対する悪魔はそれでも完全には隠しきれない移動先に存在する魔力に対して反応してみせる。
この術はダンテでさえ初見では対処出来なかったのだが、それを完全に余裕を持って受けてみせた。
と言っても、今の彼女なら、対処出来るのかもしれないが。
「俺の最終兵器って奴だ」
二、三と続けて発動すると、少しずつ反応が遅れ始める。
6回発動し、次の攻撃で悪魔の反応を超えられるとカイルが確信した。
しかし、その術を完全に発動しようとして、不発に終わる。
「素晴らしい、信じられない程の素質だ。 それだけの力があるなら、言われた通り報告は無しにしてやろう」
「言われた通り?」
「お前の中に宿る、オレ達の魂に力だ。 まあ知らされていないのも無理はない。 教える理由がないからな」
コイツは面倒だ、とカイルは今更思った。
悪魔の中でも、階級がある。
簡単に別けて、兵士の下流階級と、それを支配する上流階級。
間違いなくこいつは上流階級の方だと、この振る舞いはホンモノだと彼の直感が言っている。
そしてきっとこうなることを見越していた者がいる。
言われた通り、というのは恐らく、彼女だろう。
悪魔に交渉出来るヒトは存在しない。
しかしヒトを完全に超えた彼女なら別だ。
「俺は戦いに来たわけじゃない」
「なら、何の用で?」
話しかけて来たはずの悪魔は何故か一瞬の間を空けてから、言った。
「ダンテ、って奴を知ってるだろ? そいつが世界を滅ぼす計画を実行している。 オレ達悪魔には大した影響はないだろうが、多分ヒトは絶滅する」
カイルはやはり、と思った
彼女は悪魔を何らかの形で誘導、もしくは接触している。
触れてはならない禁忌の存在にさえも触れている。
「それを伝えに来た、とでも?」
安直にそれを伝えに来た、と考えるにはカイルには不要な経験が積もりすぎていた。
今回は、その経験が無駄な推測を呼び寄せただけの結果となった。
「あぁ、そうだ。 お前らの大将は何処にいる?」
「そんな事を教える馬鹿が」
それを遮った声は、悪魔の物ではなかった。
「ここにいる、カイル、そいつには無駄に逆らうな」
「おぉ……なりそこないの一族か」
顔色に驚きを示してみせた悪魔にリュウが言った。
「どうせ知ってたんだろう?」
「まぁな。 で、なりそこないどもよ。 今後どうするつもりだ? 身内で争うのは良いが、程々にしろよ」
「成り損ない?」
「あぁ……俺らの間では成り損ないと言う単語がそいつみたいな、ブレイスの直系を指してる。 どういう意味かは…………そいつから聞けば良い」
「今は、少し敵が多い。 対処には時間がかかるだろう」
リュウは、少し宙へ視線を彷徨わせつつ答えた。
その行動は恐怖の感情からではなく、単純に目を合わせたくない様だった。
「敵、ねぇ。 ヒトってやつはホント愚かだ。 悪魔でさえ、ヒトが混じれば愚かで、貧弱になる」
「おい、それ以上は……」
今、悪魔は意地の悪い半笑いの表情をしていた。
病弱な印象は、もう、全くなかった。
ただただ不気味な強さを秘めている事がここまでで充分すぎるほどカイルにも見えてきた。
「おぉっと、そうだった。 悪い悪い。 一つだけ、アドバイスをしておいてやろう」
告げられたアドバイスは、カイルの未来にも響く物だった。
「お前が勘違いしているだけで敵は決して多くない。 間違えるな、とね」
それを告げると、その悪魔はたった一歩で消えた。
踏み付けられた屋根が崩壊して、その衝撃の強さを彼等に教えた。




