話66
気が遠くなるような激痛が短い間続いた。
気絶することはやはり出来ないが、苦しみも終わらない。
少しして、カイルは『もう良いか』という声を聞いた。
その意味を認識出来た途端すぐに痛みが嘘のように消える。
立ち上がる事が可能になり、当然話す事も出来るようになる。
毒薬投与に対する敵意を剥き出しにした視線を物ともしないシビアの返答がこれだった。
「随分長かったねぇ。 少し彼女の計算から外れている。 ま、これに関してはまだまだ未知の領域だし研究も完璧じゃないから」
「何が言いたい?」
「君の身体はもう、毒薬如きで死ねるような身体じゃないってこと」
カイルの身体は元々ある程度は毒薬に耐性がある。
最低限、自白剤に対する耐性を身に付ける事が出来なければ、価値がないとして死んでいる。
そういう世界で育った。
彼の場合は、人が死ぬ猛毒のほぼ全てに耐性があり、都合の良い一部を抜粋すれば一般人の致死量数十倍までなら丸一日耐えられる。
流石に動きはある程度封じられるが、治療するには十分な時間を確保出来る事から毒のみでの暗殺は完全に不可能だと言える。
しかし、幾ら耐性があると言っても人を数秒で殺す薬品を、数秒で無毒化する事は出来ない。
何か別の要素が絡んでいる事だけは確かで。
しかし彼は事前に何か解毒薬の類を体内に用意しておいた訳ではない。
「いきなり妙な薬を注射してくる様な奴の言う事を信じろって?」
「うーん、そういえば、力を寄越せって言ったのは誰だったかな。 それに、その制御方法だと、遠くないうちに意識を乗っ取られる。 そうなれば……」
何も救えない。
結局、また選択肢が1つだけになった。
計算を崩す為にあえて何もしない、という手も無くはないが、結局その場合力が無く何も出来ずに終わるだけになってしまう。
それだけは望まない、だから選択肢に存在しないのと同じだ。
何も言わずに、足元に落としてしまった注射器に手を伸ばす。
針を刺す位置は心臓か首か迷って、首を選んだ。
理由は特にない。
あえて挙げるとすれば、少しでも早く意識を失えそうという気分的な物だ。
覚悟を決めてみれば一瞬だった。
変化は明白で、それに気付かないフリをする事は出来なかった。
彼自身の心の最深部に暗い暗い闇が根付いた。
今まで不安定に中を彷徨い、彼の過去を見て、経験して遊んでいたデシアがとうとうそれを止め、彼の心で居場所を確立した。
しかし、制御はされていて、暴走する気配は全くない。
『こんにちは』
本当の彼女が姿を現した。
腰まで伸びた黒の髪に闇を感じさせる若干伏せかけの眼。
服は着ていない。
身長はカイルより大きい。
しかし、それは本当の彼女ではなかった。
その後ろの、更に巨大、全く同じ容姿で立っていた。
彼の数十倍の体格を持つ彼女は、ゆっくりと顔を動かして視線を向けてくる。
誰もが恐怖するであろう絵面に、彼は大した驚きを感じなかった。
この中ではどんな揺さぶりがかけられてもおかしくはないと、常時警戒している。
だからこそ、彼女を排除出来なくなったという事を知って彼は恐怖を感じた。
胸もそれなりに目立ち、顔立ちも良いが肌が異様に白く、性欲など感じられる程の色気はない。
干渉するための力を失ったというのに、焦りだとかの感情はその表情には見られない。
それどころか。
『はぁ、貴方と混ざって、外に出られるその時が待ち遠しいわ』
こんな風に余裕を見せてくる程だ。
『そんな時は来ない、永久に』
『来る、彼女が用意すると聞いている』
『彼女?』
ここで名前が浮かぶのは、1人しかいない。
推測から浮かんだ彼女の像に対して、欲が出る。
すると、唐突に世界が変わった。
一つ欲が出ると、便乗して増え始める。
今までよりも、暴れやすい事が分かった。
しかし、知識を今更得てもまずは今を対処出来なければ何の意味もない。
対処を考える為に、状況を把握する。
彼には自身の欲望がよく見える。
何に対して苛立ちを感じていて、何がしたいかが分かる。
と同時に。
『あなたの近くに彼女がいる』
若干暴走気味の力によって鋭くなった感覚が、ダンテの存在に気付いた。
今まで以上に勢いの良い暴走を止めるには、彼だけの力では不可能だ。
その危険な状況はあっさりと終わった。
「はい、そろそろ良いですか」
頬を軽く打たれて、現実に引き戻される。
ただ、殴られただけではこうはならない。
戦争で力が暴走しそうになりミヤに腹部を殴られたが、あの時はそれが直接な要因として治ったわけではなかった。
やはり、シビアという男には何かある。
今の出来事でカイルのシビアに対しての警戒度が引き上がる。
「なんだ、いきなり」
痛みを全く感じなかった彼が選んだ回答は、こうだった。
感覚を一部支配されていたせいで、痺れのみが伝わってきて、自分の感覚を訝しむ。
そんな彼に、シビアが言った。
「さて、貴方には、現状余りにも強すぎるブレイスの戦力を削ってもらう必要があります」
「何故俺がそんな事をしなきゃならない?」
「彼女がそれを望んでいるからです」
だからといって、やる理由がない。
なら、もう脱出で問題ないだろう。
「アイツを救う為に来いと言ったのは、なんだ?」
カイルがそう聞いた時の反応は、純粋な笑いだった。
そして、次の言葉は予想出来ていて当然の答えだった。
「あ、ホントだと思ってたんだ? 力を手に入れる為にリスクを冒してきたんだと思ってたけどねぇ」
「……そうか」
笑いが混じりながらの発言は、まるで彼を嘲笑うかのようで、しかしそれに苛立つ程に彼は理性を失ってはいなかった。
「いやいや、君は親にさえ売られて、そんな状況にあるわけなのによくそうも信じようという気になるねぇ」
信じたわけではない。
ただ、力が欲しかった。
その為のデメリットはある程度仕方ないと今でも彼はそう思っている。
「アイツは近くにいるのか?」
「彼女の性格からして外で待ってる、はず」
必死に笑いを堪えながら、彼はそう言っていた。
ここでも、誘導されているだけの可能性があったのに彼は馬鹿正直に外へ向かってしまった。
そんなバカにかけられた声があった。
「ほら、またそうやって」
そのあとは、意図して聞かないように意識した。
外の扉の前に、黄金が煌めいて、塞いでいた。
戦う意思のない黒のドレスに、銀の髪飾りも前髪に付けている。
わざわざ中で待っていたという事が示すのは。
ここから出ると完全に予想されていて、それを伝えている。
やはり、まだ計画の内でしかない。
ここまで完璧に、完全に、掌の上で踊らされ続けている。
だから、開口一番。
「もう、ウンザリだよ」
彼は自分が疲れた、という事を伝えた。
「私の事嫌いになっちゃった?」
弱々しい声で、カイルの態度を伺っていた。
しかし、彼はダンテの演技に騙されない。
「当たり前だ、何処の誰が自分を危機に追い込む存在を好きになる?」
「でも、これをやったのは私じゃないから……」
信じてほしい、と彼女の優しくて、悲しげな目が言っている。
「なら、誰がやった?」
「それは……」
「やっぱり、そういう事だろう? 話す事なんてないはずだ」
「あぁっ! あのね! 弁明とか、してる暇はなくて。 でもでも」
ダンテが焦っていることは声にも出ていて、早口ではあるが中々本題には入ろうとはしなかった。
しかし聞くメリットはない。
カイルは自らの意思で素早く足を進める。
横を通り過ぎる瞬間、言った。
「聞くつもりはない、じゃあな」
「もし今後私が連絡した時は」
無視して歩きながら、消え入りそうな声が耳に入る。
「それは私じゃない、だから……絶対に会わないで」
全く雑音が無く美しくて泣きそうで、諦めかけた声が、妙に印象的で、それが無視した彼の弱い心を大きく切り裂いた。
最後までダンテというキャラクターが一切弱体化されないという事実
設定が強すぎる




