60話
まだまだ死を悲しむには早すぎる時間だ。
目の前には敵がいる。
殺すべき存在が彼を見ている。
手の届く範囲で、少しつまらなさそうな顔をして。
「今日はもう用がないからまたいつか会おうか」
逃げ出そうとするその背に、ほんの少しだけ殺意が込められた刃の光が一閃する。
そこに見えた紅の反射はカイルがカムの動きを捉えたということ。
彼はこの戦争の中で、殺す事しか知らない奴隷として生きた日々を除けば人生で初めての明確な殺意を放った。
それは間違いなく成長だと言える。
しかしその成長は、何の成果も生まなかった。
斬りつけた部位が修復する。
まるで時間が巻き戻されたかのようで、しかし彼の剣は血で赤いままで、強制的にそうでないと理解させられる。
魔法の気配は無かった、がそれ以前に魔法では完全な修復を一瞬で行う事は出来ない。
生成は難しくないが、壊れた物の復元はその道の専門家であっても高難度だ。
「今は絶対に危害を加えるなって言われてるんだよ、殺されたくないからじゃあな」
追いかける事も出来る。
しかしそうしないのは彼の声からは恐怖が混じっていたと感じた事が関係している。
絶対に、という部分も意味深で、名前さえ知らないリュウと同じ直系の者ではないとまずは予想出来る。
そもそも、まだブレイスで研究がまるで進んでいないはずの力を持つ彼に恐怖を抱かせる程の実力者など存在している訳がない。
同じ力を持つダンテであれば、少なくとも逃げ切る事ぐらいは可能だとカイルには思えた。
思考するカイルを目指して歩いてきている存在に彼らは気付いた。
少なくとも、現時点では敵意がある様には見えない。
「あぁ、面倒なのが来ちゃったなぁ」
と、ミヤが呟く。
カイルにも、何となくその意味が分かった。
その存在はいつか敵になる。
そして彼は一度だけ会った事がある。
以前のリュウに連れて行かれた会議で、最年長と思われる大柄な男だ。
彼が着るブレイスの戦闘服、その胸元には何かの勲章のような物が付いていた。
身分を示すものである事は確かだが、リュウでさえそれを付けているところを見た事がない。
「カイル、だったな。 お前の力は何だ?」
単刀直入で、嫌な質問だ。
彼が発する威圧感も相まって、カイルは表情を維持しつつ答える事に多大な精神力を要した。
「俺の力、とは?」
少し物騒な答え方をしたのはここは戦闘が一時的に終わっただけに過ぎない戦場だからだ。
すぐに終戦が発表されると予想出来るが、報告はまだだ。
「ミラと互角に戦った力だ」
返答は素早く、その強い意思を秘めた視線がカイルに無駄な猶予を与えようとはしない。
「俺にも、とっておきの魔法があります。 誰にも真似が出来ない様な類ですけどね」
これは決して嘘ではなかった。
意図して勘違いさせる様に彼はそういう発言をした。
「ふむ…………」
重い沈黙が訪れ、ようやくここでカイルに助け舟が入る。
「ねぇ、リュウ兄さん」
その名は、ここにいる全員が聞いた事がある。
これをミヤのみが知っていたのは、情報統制が敷かれているからだ。
この一言は先ほどの沈黙以上に重い発言だった。
「そいつらと一緒に死にたいのか?」
威圧する訳でもなく、本心で死にたがっているのかと問いかける様な口調に、ミヤは軽口を叩くような口振りで答えてみせる。
「僕らを殺せば、兄さんもタダじゃ済まないよ?」
「当然冗談だが」
まるで冗談に聞こえない口調でそう言って、続ける。
「カイル、こちらに付くつもりはないか? それとミヤ、お前もだ。 どちらかが付くのなら、他二人も一緒でいい」
言葉の意味を、全員が理解し、場に緊張が走る。
「へぇ、で?」
これは挑発ではなく、ミヤはメリットを聞いていた。
そしてそれが理解できない筈もなく。
「この先の戦争で、そこの二人はお前達についていけば必ず生き残れない。 そして俺はアイツと違って優秀な部下を見捨てる事はない」
嘘だ。
そんな都合の良い言葉に騙されるつもりは彼にもない。
「俺はデシアを制御する為の情報を得た。 まだ完全に制御出来る量は極僅かだが、それでも効果は絶大で、実験も完了している。 だから、お前達のリュウの組織が勝つ事はない」
「誰から、手に入れたのでしょうか」
これはカイルのセリフで、この場で初めての、緊張が理解出来る声だった。
「それを教えてやる必要はまだない。 どうする?」
「ねぇ、やめてって言ったよね?」
また、厄災を呼ぶ声だ。
「ダンテか」
リュウは、かかったなとでも言いたげな笑みを浮かべた。
ダンテがそれに、言った。
「罠って言いたいんでしょ。 知ってるよ」
「だとすれば、何故来た?」
リュウが手を挙げる。
しかし、驚くほど何も起きなかった。
その事実に彼は目を見開いて、驚愕の表情を浮かべた。
「あ、計画に関わってた人は全員殺したよ。 あとついでにあなたの弟のリュウ一人もね」
あっさりとした口調で告げる彼女の顔は、やはり魅力的で、日常的な優しさをカイルに感じさせる。
「私がここにわざわざ来た理由、聞きたい?」
その視線がカイルを捉える。
聞きたいと答えてと、期待に満ちた子供のような瞳が可愛らしい。
彼女はこんなになっても彼を見る時だけは、いつもどこか違う。
しかし、見惚れてばかりはいられない。
「あぁ、教えてくれ」
「会いたかったから」
じゃあね、と笑顔で手を振る。
その一瞬の隙を見たリュウが動く。
しかし、腰から抜き放った白刃はダンテの小さな二本指によって、止められた。
決して遅い動きだった訳ではない。
マトモにぶつかれば、カイルでも無傷では済まない相手だと今の攻撃一つで分かる。
やはり、彼女はバケモノだ。
きっと、この世に存在していて良い生物ではない。
自分よりも遥かに大きいリュウを摘んだ剣を投げる事で、彼女は同時に投げ飛ばす。
まるでオモチャで遊んでいるかのような、絵面だった。
「カイル、いつか助けてね」
「助けて欲しいなら、今ここで止まれ。 なら救ってやる」
「それは出来ないの。 私は破滅というゴールを目指すから。 今までみたいにゆっくりしていたら、私があっさりゴールして終わっちゃうよ? あ、それか覚悟を見せてよ」
カイルが続きを目で促すと、彼女は言う。
「そこのお友達を今すぐ殺して、あなたは強いって証明して?」
一度、仲間を、友達を見る。
そして彼は考える。
殺さなければ、裏切らなければ前に進めない場面が本当に来たとして、それ以上先に自分は進めるだろうか?
彼女を救う為に、どこまで犠牲を許容出来るだろうか。
何もかも捨てて、枯れた涙を流しながら進む彼女を止めるは、それ以上の覚悟が必要だ。
その覚悟が、本当にあるのだろうか。
自分は所詮口だけで、以前の様に何も救おうとはしていないのではないか?
悩む彼を見て、ダンテはどこか嬉しそうに、寂しげな顔を見せた。
「でも、出来ないよね。 力の無いカイルが私を今止めるには、私が望む条件を満たすしかない。 だけど、決断出来ない。 あなたは優しいから、本当、この世界で生きるにはカイルは優しすぎるよ」
褒められたはずの言葉が、酷く胸に刺さる。
無力さを告げられている様に聞こえて、何も出来ない気がした。
「それじゃあ、お互いの力が拮抗する戦争を頑張ってね」
今の言葉で、カイルは現状を理解出来てしまった。
先程のデシアを制御云々の話が、繋がった。
お互いが争い合うように、彼女は同じ力を与えるつもりだ。
争い合っている間に進む研究、もしくは裏に隠されていたデータを、彼女は期待しているのだろう。
そして、戦争の終結が発表された。




