59話
気付けば何もかもが手遅れだった。
救うと言っておきながら結局は何も出来ない程に無力だ。
カイルに唯一出来たのは、2人の心が壊れかけている事を感じ取ってやるぐらいだった。
カムという研究者が何をしようとしていたのか、意図を理解してやる事さえ出来ない。
瞬く間に世界が暗くなる。
しかし、もうこれ以上哀しみを連鎖させるわけにはいかない。
彼にはまだ死ぬことが出来ない言い訳がある。
誰かが求めてくれる限り、生きる意味はある。
何百という数の兵が魔法を放ち、槍を投げ、銃を撃つ。
その狙いは全てカムとミラに向けられた物で、状況に気付いているはずの2人は頭を抱えたまま動かなかった。
数多の魔法と投擲、射撃といった遠距離攻撃が視界を埋め尽くしていて、しかしカイルだけは一瞬の隙間からその場で起きた一部の出来事を把握する事が出来た。
彼が見たのは緑の液体が入った注射器と、それを肌に注入した部分だ。
その結果、黒い輝きが発された。
それが彼に理解出来た全て。
何故、魔法を含む全ての攻撃が消えているのか、ヒトの気配を感じないのか、まるで理解出来なかった。
ただそこにあるのは、純粋な欲望だとカイルだけでなく多くの者が気づく事が出来る。
それなのに、誰一人として気付こうとしなかった。
こんな世界でも、絶望的な力を前にした防衛本能が働いてしまう事が今もう一度証明された。
それに意味はなく、価値もない。
何も分からずに攻撃が再開され、今度は先の位置が全く見えなくなる密度で高威力な単発魔法で統一されていた。
その中には純粋な魔力砲撃、火、水、風、雷、光、と言った攻撃として使用可能な魔法はどれも使われていた。
それはどんなバケモノでも簡単には受けられないはずで、魔法障壁で防ごうとしたのならダンテであっても無傷では済まないだろう。
魔法同士がぶつかる爆音が鳴り響き、遅れて魔法兵器も集中砲火に加わる。
圧倒される様に状況を見つめていたカイル達四人は、周りが全く見えていなかった。
「おい、ここまで来たら流石に気付けよ」
カイルのすぐ真横に、此処に存在出来るはずのないカムが立っていた。
飛び退くより早く、足を払われ無様に転がる。
ほぼ同時にユウカが彼の腹部をナイフで突き刺し、言った。
「このナイフには毒があります、距離を取ってもらえれば、対処法を教え」
彼女が全て言い切る事が出来なかったのは、反撃を受けたせいだ。
自分の持っていたナイフを奪われ、背を向けたままのカムにそのまま突き刺され、言葉が止まってしまった。
すぐさま後ろに飛び、距離を取った判断は正しい。
彼女は戦闘において、決して無能ではない。
彼女は隠し持っていた瓶の水を傷を負った部分にかけて、何かの魔法をかけた。
それはカイルも知らない種類の物で、模倣出来る様な簡単な類の物ではない事は確かだった。
「持って、あと20秒だと思いますけど」
カムはそれに頷いた。
「そうか、じゃあ20秒数えてみよう。 1、2」
そう言って数字を数え始める。
「19、20。 うん、身体に変化はないな」
「そんな……この猛毒で、あり得ない……」
信じられないと言った視線の彼女は隙だらけで、カイルはいつでも背後からカムに攻撃を仕掛けられる様に準備していた。
しかし彼は一切の攻撃を仕掛けようとしなかった。
「あ、彼女も限界らしい」
彼女も限界、と言われ真っ先にユウカを見るが、限界とは程遠い様子だった。
他の心当たりは、もう一つだけだった。
そうでない事を願いつつ、その方角を見る。
地面にキスでも迫る様に、激突したミラの瞳は、カイルのそれを捉えていた。
何かを喋っている様だが、声は彼の強化された聴力を持ってしても聞こえない。
しかし、彼の視力は唇の動きを把握出来る。
彼女が言ったのは、これだけだった。
「お願い」
どうとでも捉える事が出来るこの言葉を、彼は都合良く理解して、どうにかして答えを返そうとした。
『彼女に聴力はもうないわ、とっくに捨ててる』
『伝える手段はないのか』
彼は、マトモに会話してはいけないと知りつつも話してしまった。
この力はこう言った欲望を利用する。
希望を伝えるべきではなかった。
『当然あるけれど、ならまず貴方が一歩私に近付いて』
もう既に彼は気付いていたが、心の中の時間は酷く遅い。
どれだけ長い様に感じても、現実では数秒で、その苦しみが理解される事などない。
全てが白い世界に美しい女が生成され、彼女を認識した途端、その周囲が黒くなる。
それを理解した彼女は笑っていた。
『あんまり時間をかけると、あの子は死んでしまうわ。 ……あ、貴方は救うよりもメッセージを伝える方が重要だったっけ』
と、嘲笑うような笑み。
怒りも、哀しみも全ての感情を抑えて彼は一歩近付く。
たった一歩で、ヒトとして大切な何かを1つか2つ失った事が分かった
『じゃあ次は二歩、と行きたいところだけど、こういう男って一度で求めすぎたらもう食いつかないのよねぇ。 まあ言葉だけだしこれで良いわ』
その言葉を聞いた途端、彼は奇妙な感覚に陥った。
心の外と中に同時に存在している様な不思議な感覚だった。
同時に、彼は言葉を伝える手段を得た。
どういう理屈かは分からなくとも、伝えられるという事実だけは理解した。
『任せて下さい』
彼女の死の間際、それだけを言うために、彼はデシアに心への侵入を許した。
侵入される事を知った上で自ら近づいた。
それを伝わったと彼が気付いてすぐに、彼女は命を失った。
何の力も持っていない平和な優しい世界を望んでいた彼女は、強制的に力を手に入れさせられた挙句、裏切り者として殺された。
可哀想、なんて言葉で片付けてはいけない虚しい悲劇だ。
しかし、それは完全に無駄な事ではなかった。
少なくとも、カイルに一つの大切な心を伝えたのだから。
そしてこの出来事が、未来を大きく変えた。
世界を滅ぼし、世界を作り、彼に最後まで、本当の意味で生きる心を与えた。




