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54話

 カイルが一歩、動いた。

踏み出した足が地に完全に着いた時には、光さえ超える程の速度で目の前にミラが迫っていた。

もう、完全に魔力も、デシアもカイルを超えたレベルで近いこなしている。

身体強化の魔法は不完全だが、それは仕方のない事だと言えた。

これだけの速さを持つのなら必要な場面などそうそう訪れない。


 世界ごと薙ぎ払う勢いの一撃を受け流す為に剣を斜めに構え、若干間に合わずに受けた。

腕が折れそうなほどの衝撃と共に、大きく吹き飛ばされる。

常人なら風圧だけで全身の骨が砕けて死んでいた。

魔法で肉体を強化していたカイルだからこそ、生きていられたが、二歩目を踏み出す事が出来ていたなら、間違いなく死んでいた。


「まっ」


 吹っ飛びながら、言い切る前にビオスとユウカが傷を負った。

恐らくは真っ二つにされそうなほど、深く。

次に、ギリギリ反応が間に合ったらしいミヤがカイルから見て右に吹き飛ぶ。

遅れて、ビオスとミヤの幻術が同時に発動する。

ビオスは最初から幻術を発動しようとしていたが、ミヤはマトモに戦えないと即座に気付き、咄嗟に切り替えただけだ。


 見えない何かと戦い始めたミラが放った魔法の1つが、制御ミスでミヤに命中する。

幻術だけで手一杯で避けるほどの余裕が無く、腹部を貫通した痛みを堪えながら幻術を維持している。

二重の幻術ではあるが、どちらかが途切れた瞬間に全滅する可能性がある。

そもそも、どちらが効いているのか分からない。

幻術は強力だがそれほど便利な術ではない。


「クソ、俺の判断ミスだった。 来るべきじゃなかったのか……?」


 唯一動けるのはカイルだけ。

だが勝てる気がしなかった。

余りに動きが違いすぎる。

技術でどれだけ上回っていようと、力の差が大きすぎて全く歯が立たない。


「さて、貴方には二つの選択肢がある。 一つはこのまま仲間が死ぬのを見守るっていう事。 もう一つは貴方も彼女と同じ力で戦う事。 あ、貴方は私が守ってあげるから安心してね」


 背後から聞こえたダンテの声に、振り向く。

もう、ミラと戦っても勝てない事は分かっている。

決断に時間をかけすぎると、ミヤとビオスの幻術が切れて全員が死ぬ。

カイルが助けようなんて余計な事を考えたせいで、死ぬ。

彼が生きていたせいで、殺される。


 デシアの言いなりになれば、きっと助けられるのだろう。

しかしそれはカイルの為に頑張ってくれている仲間達に対する裏切りでもある。

それが彼には耐えられなかった。

力を受け入れ、ヒトでなくなる以上に辛い行為だった。

同時にこのまま守れない事も同じぐらい辛かった。

このまま彼らが死ぬぐらいなら、自分だけが死んでいた方がマシだったと、彼は思った。



「それでも、決断出来ないのなら。 ほら、飲んで」


 ダンテは自分の唇を軽く切って、顔を近づけて来る。

戸惑う間に、赤い雫が一滴地に落ちる。

血を飲めと言っているのだろう。


「飲んで、どうなる?」


「考えてる暇があるのかな?」


「お前は本当にダンテか?」


「それが今の貴方がすべき事に関係ある?」


 結局、全てが彼女の思い通りだ。

カイルが今決断した事もきっと彼女の思惑通りだと分かる。

そして、ここでそれに従えば、この先もずっとこうなのかもしれない。

本当に彼女を救いたいのなら、どこかで彼女の計画を破壊しなければならない。

これはそのチャンスの1つだ。

次がいつ訪れるかなんて分からない。

これ以外に存在しないかもしれない。

それでも。



 そうしなければ救えない。

だから、仕方がない。

これしかもう彼に見える道がないのだから仕方がない。



 ダンテの命の雫がまた一滴、溢れ落ちようとして、それを飲む。

当然、2人は密着する事になる。

それに、彼女が嬉しそうにしていて、カイルにはもう何もかもこれで終わりでいいんじゃないかとさえ思えてしまった。

当然、皆が笑い合ってハッピーエンディングと言う雰囲気ではなく、世界は無慈悲に進んでいる。


 一滴と触れた一瞬に唇を伝わって来た僅かな血の味に、顔を顰める暇はなかった。


 少量の血が全身を暴れ回り、全身が沸騰するかの如く力が漲る。

欲望が、今まででは脳裏にすら浮かばなかったような極僅かな望みだけで思考の全てが奪われる程に、全ての感情が肥大化し始めて、もう抑えられなかった。

体が破裂しそうな程に全身が活力に溢れていて、とにかく何かを壊したかった。

唐突に湧き上がる殺意と破壊欲以上に、彼の中にある強い想い。


「俺は……アイツ、らを、失いた……くない」


 『……ろ! ……ろせ!』


 半分発狂しているような声が、よく聞こえない。

まだ手遅れではないと感じる。

リュウがあの時渡してくれたあのペンダントの様な何かのお陰だ。



『何だ、まだ正気なの?』


『黙ってろ、今の俺には無意味だ』


「これなら、私の血が貴方の中に消えるまでで済む。 だから、その間に本当の力を、快感を手に入れてみてよ。 それを知った貴方はきっといつか深い闇に堕ちる。 だけど、大丈夫。 私が貴方を守るから。 そして次の世界がどんな物でも、きっと幸せになれるように」


 この会話の間にも、少しずつ、本当に少しずつではあるが感情が弱まっていくのをカイルは感じていた。


 そして、ようやくミラの方を見る。

その傍、世界の果てで誰かが殺された。

今度は極近くで誰かが戦って死んだ。

また、1人殺された。

次に、地下で受けていた拷問で誰かが死んだ。

殺して、殺されて、結局は無意味なそれを狂った様に何度も繰り返す。

それがヒトという種だ。

全ての殺戮行為に言い訳はあったとしても、その根には結局誰かの欲望が根付いている。


 それはきっとヒトとして重要な事だ。

だから殺す。

だから殺される。

そうした1つ1つの命のやり取りが手に取るように今のカイルには理解出来るようになってしまった。

今、世界中で数千単位で拷問を受けている人がいるなんて彼は知るつもりはなかった。

辱めの為だけに惨い拷問を受けたり、娯楽の為だけに命を弄ばれる存在がいると気付きたくなかった。


 感覚が敏感すぎて、感覚で理解出来る範囲の物は全て、勝手に理解してしまう。

カイルはそんな存在になりたくなかった。

ただ、護れなかった仲間を守りたかっただけだ。

世界は残酷で、そんな彼に覚悟を決める時間なんて与えようとはしなかった。

2人の視線が交錯して、カイルが一瞬、早く動いた。

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