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40話

暗い夜道を歩くカイルの耳には、虚しい風の音だけが届いていた。

少し先に、大きめの看板の上に座る影が見えた。

誰か判別するには、光源が少なく、そこに誰もいないと言うには無理がある程度の明るさだ。

暗殺などの目的であれば、もう少し場所を選ぶべきだった。

わざわざ比較的目立つ場所に立っている以上は、敵である可能性は低い。


「カイル、さっきぶり」


 その声はミヤの物だった。

何故こんなところに、と感じた疑問を素直にぶつけてみる。


「こんな時間にどうかしたのか?」


「……また戦争になるかもしれない」


 国内で争っている場合ではない事は誰でも分かる。

協力したとしても、それは一時的な延期でしかない上、協力の中で互いを疑い合う事も考えられる。


「また攻めてくるのか」


「違う、国内で、だ」


 カイルはそれに驚かない。

ついさっきその可能性は知ったところだ。


「あぁ、そっちか。 今日聞いたよ」


「誰に?」


「リュウ、会議に連れて行かれた」


「兄さんが? 一体何を……」


 カイルはミヤがどこまで知っているのか、探ってみる事にした。



「ほかにニュースは?」


「大したものはないよ、色々動きはあったけど兄さんの実の姉、ミラって言うんだけどその人近辺が少し騒がしいぐらい」


「具体的には?」


「ん? 具体的に……か。 周囲の国全てとの一時的な停戦協定、一部との研究協力、後は……本当にどうでも良さげな物ばかりだったような」


 カイルにとっての一番聞きたい部分だけが、情報を削がれてしまっていてもどかしい気分だった。

重要な部分は少し考え込む仕草の後に語られた。


「後は……あぁ、ミラ姉さんに関しては、少しカイルにも関わってくるかもね」


「面倒事でなければいいが」


 話を聞く前から、そこに関しては諦めていた。

それを見たミヤは小さく笑みを見せる。

表情は尊敬へと変わり、語り始める。


「ミラ姉さんは純粋なブレイス血統の中では唯一の良心って感じで、あの人がいたから、僕もあの頃に比べれば救われた」


「信じられないな」


「姉さんが? それとも僕?」


「そいつもだが、お前はもっと信じられないな」


「ハハッ、ひどいな。 まあそれで、姉さんを慕う者は少ないけど、確かにいる」


「いい事じゃないか」


 その善人を暗殺しに行くというのがカイルの現実だ。


「だけど、姉さんは半端に権力を持っているせいで、狙われやすい、と言うよりも。 人体実験や戦争を止めようと動いてたせいで、屋敷に閉じ込められてる」


「それで?」


「……まあ関係ない過去は飛ばそうか」


「そうしてくれ」


「屋敷内にいても、正統なブレイスの血を継いでいる以上はその力はそう簡単に消えない。 姉さんは閉じ込められたまま色んなところに干渉してたんだ」


「それで、殺されそうになっていると?」


「いや、流石にそこまではしないはずだよ。 仮にも彼らは家族だ。 命までは奪わないはずだ」


 この反応から任務の件を知らされていない事が分かった。

事実を語っていない可能性もあるが、カイルは信じても良いと判断した。


「奴らが本当にそうしないと何故言える?」


「それは……」


 彼らは家族であっても容易に手にかけられる事はもう知ってしまった。

ブレイスの中で生きているならば、そのような繋がりに大した価値はない。

それをカイルよりも良く知るミヤは答えを返す事が出来なかった。

ただの願望だという事実を突きつけたのはカイルだ。


 それによって、ミヤが守護の為に動く可能性もある。

そうなれば元々あるのかさえわからない任務の成功率は更に下がる。

しかし、カイルは言ってしまった。

後悔だけが残る。

ここ最近の彼の行動は、後に後悔ばかりが続いている。

だが今なら、全てが悪い物ばかりではないと、カイルは考える事ができる。


 正しい選択ばかりをしていては、出会えなかった存在がある。

守る事の出来た人がいる。

まだ彼は何もかも失ったわけではないのだ。

だから、きっと彼女も救えるという願望を抱く。


「で、俺にどう言う関係が?」


 任務について知らないと分かったからにはこれに大した情報は含まれていないだろう。

しかし何らかの行動についてであれば、人物像を補強する事ができる。

暗殺するにあたって、ある程度の行動を読む必要がある。

その為には、些細な事であってもデータは大切だ。


「兄さんが姉さんに会った時毒薬を飲ませてる、のはいつもの事だけど、最近彼女の近辺に対する干渉が多いんだ。 一週間以上前に、近々護衛を付けたいって言ってたけど君の名前が挙がっててね」


 そこまで話されていたとは思わなかったカイルは思わず目を見開いた。

しかしミヤの立場を考えれば、それほどおかしな事ではなかった。

考えの甘さに反省しつつ、任務について話す事を決断した。



「……はは。 そこまで聞いてたのか」


「ん、どうし……」


 1つの可能性に気付いてしまったらしいミヤは、一歩、下がった。

カイルは自嘲の薄笑いを浮かべて言った。


「詳細はまだ知らなかったが、俺がその護衛役、を演じる事になってるんだろうな」


「いや……嘘だ、よね?」


「嘘でこんな事を言うと思うか?」


 カイルの顔に浮かんだ悲壮感がそれが真実であると物語っている。

それを察する事ができないミヤではなく、泣きそうに顔を歪めて呟いた。


「クソ……どうあがいても、どっちかは助からないのか」


「多分、助からないのは俺だろう」


「そう……だね。 君はヒトを殺せない」


「違うな、俺にはミラとやらを殺すだけの力がない」


「いや、君がその気になれば、難しくないよ。 彼女の戦闘能力じゃ、数十人いなきゃ君には敵わない」


 それが嘘でないならば、この情報はカイルにとっての救いだ。

運命の女神様はまだ完全には彼を見捨てていないと言う事になる。


「そうか、俺にはまだ生き延びる未来があるのか」


「カイル、すぐにこの国から逃げたほうがいい。 手伝うよ」


 そう簡単に、この国から逃れられるはずがない。

厄介事を他国が受け入れるはずもなく、逃げたところでカイルが国の中枢に関わりを持ち始めた以上何をしても、状況は何も変わらない。

もう、最初から最後までブレイスの支配下だ。


「お前まで、死ぬつもりか?」


「誰も死なせるつもりはないし、死ぬつもりもないよ」


「なら、お前は動くべきじゃない」


「それじゃ君が……」


 悲痛な、声にならない叫びがカイルの心にも届くような、不思議な感覚だった。

そのせいかこれから、死の危険が待っているというのに、清々しささえ心の中に存在していた。


「俺は暫く学校を休む。 生きてたら、また会おう。 ナナを頼む」


「ふざけるなよ……彼女を養う事にしたのは僕じゃない。 生きて君がやれよ!」


 返す言葉は見当たらず、ただその場を去る事しか彼に出来る事は浮かばなかった。

そんな彼の背中に投げかけられた言葉は、突発的な感情による暴言や、嫌味の類ではなく、長くはないが確かに友人として共に過ごした者としての言葉だった。


「あの時、奢ってやったのを返してくれるのを待ってる」


 いつの事か思い出せずに、思わず笑みが溢れて振り向く。

カイルの視線の先にある顔には、もう先程の悲しみや辛さは見えなかった。

いつものようなどこか能天気な、それでいて強気な笑みだった。


「いつのだよ」


「さぁ、財布忘れて奢られたり、その逆も何度かあったけど僕の方が多く奢ったでしょ」


 確かに、そういったやり取りは数多く有った。

2人でよく買いに行くケーキ屋があるのだが、財布を持ち歩かずとも買物が成立する店も多く、どちらも忘れがちだった。

そんな中、偶然着いてきていたユウカに2人して奢られたりもしたのだが、カイルの記憶ではミヤの方が忘れた回数は多いはずだった。


「は? 俺の方が何度も多く奢ってやったろ」


「ははっ、嘘を吐くのが好きだねぇ」


 なんて、いつもの応酬。


 この世界においては、貴重なやりとりだ。

利害関係や、家族等が一切絡まない純粋な個人の付き合いなど、本来不要な物だが、だからこそ価値がある。

今のカイルはそう考えていた。


「じゃあ、また、ズル休みが終われば会おうか」


 その言葉を聞いて、彼はただ笑った。

言った本人もまた、笑った。

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