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それぞれの想い5



「奥様、そんな事はおやめください!」


「そうです。掃除なら私達がやりますから」


 亡くなった義理の娘の部屋を掃除してたらメイドさんに叱られた。


「きちんと母子になってあげられ無かったんだもの、これぐらいやらせて頂戴。それに私には『そんな事』じゃないわ、娘の部屋の掃除は大切な事よ」


 『そんな事』発言をしたメイドが青くなり、慌てて頭を下げる。


「申し訳ありません!」


「謝らなくて良いわよ。私が前もって話を通して無かったのも悪いんだから。……あなた達は他にもやる事があるんでしょ? それが終わってもまだ私がこの部屋の掃除をしてる様なら手伝ってくれる?」


「かしこまりました。」


 二人はお辞儀をして立ち去った。


 私は部屋の南側に面した大きな窓を開けて、空気の入れ換えをした。そしてハンディタイプのモップの取っ手を伸ばし、天井と壁の埃を丁寧に払った……。





 夫である上原秀一と彼の前妻の美恵子、そして私・陽子の3人は元々幼馴染みだ。とある学園の幼稚舎で出合い、そのまま小・中と学舎を共にした。3人共読書が好きで休み時間はお互いに好きな本を紹介しあったり、感想を言い合ったりして過ごす事が多かった。


 美恵子は体が弱く、よく熱を出して学校を休んだので、秀一と二人で気遣ったものだ。本人も私達を頼っている節があり、同い年なのに何だか妹の様な存在だった。


 変化が起きたのは中学部に上がったばかりの頃だ。思い詰めた表情の美恵子に呼び出され、秀一の事をどう思ってるか訊かれたのだった。


 私は周りの子達より体の成長が早かったが、心の方はまだまだ子供だった。だから、美恵子の質問の意図に最初は気付かなかった。彼女の真っ赤な顔を見た瞬間、突然目の前に大人への入り口が開いた様で驚いた。正直に答えたく無いと変な意地が出て、逆に聞き返して誤魔化したのだった。


 そんな私の質問に美恵子は絞り出す様な声で「秀ちゃんが好きなの。」と言った。「告白するの?」という私の言葉に、彼女は泣きそうな顔で首を横に振り下を向いた。私は前屈みになって顔を覗きこんだ。彼女の目元には、うっすらと涙が溜まっていた。私は美恵子のそんな表情を見て、『初恋を応援してあげよう』と思った。


 けれどその日の夜、親から話があると言われた。何だか今日はやけに打ち明け話のある日だな、と内心思いながら応接間に行った。


「……すまないが、」


 と前置きして始まった話は、私のそのときの全てを捨てろと言うような物だった。父が経営する会社の傘下の子会社の内、何社かが経営破綻したのだという。


「とにかく社員達を路頭に迷わす訳にはいかない。中学に上がったばかりだというのにすまないが、公立に転校してくれないか。屋敷も車も売り払うつもりだ。……陽子、本当にすまない」


 久しぶりに会った父は疲れた顔で言った。私は子供だったから、父の立場で物事を考えるのは無理だったが、何か大きな時代のうねりの様な物をぼんやりと感じていた。


「……もう、お父さんとお母さんには決まってる事なんでしょ?」


 それだけを絞り出すように言った。呼吸が浅くなり、ちゃんと酸素が吸えていない様な感覚だったのを覚えている。


「いつ?……いつ転校するの?」


 ……私は転校理由を誰にも知られない様にする事と、手続きの済むギリギリまでは学園に通える事をお願いして自室に戻った。





 秀一に再会したのは、それから7年後の短大の2年のときだった。独り暮らしをしているアパートの近所の居酒屋で、アルバイト中の事だった。彼は友人達と店に来ていた。


 私は一目見て彼だと気付いた。とは言えこっちは仕事中だし、金曜の夜は忙しい。無論個人的な話なんか出来る筈もなかった。が、彼らが帰るときに秀一が代表して支払いに来た。そのときに連絡先の書かれたメモを渡された。


 それまで彼と美恵子の事を考えなかった訳では無い。突然何も言わずに引っ越し、秀一と美恵子がどう思ったか。美恵子は私がいなくなって心の支えになってくれる様な友人は出来たのか。また、秀一との関係はどうなったのか……と。生活がどうにか安定して来てからも、何だか連絡を取り辛くて、そのまま年数を重ねてしまっていたのだった。


 私は悩みに悩んだ。秀一に会ってから4日たって、火曜の夜に電話をかけた。


 彼とのは思いの外、話が弾んだ。彼の父親の仕事と私の父の仕事は業界が同じだったから、私の転校理由やそれを話せなかった気持ち等、全部分かってくれていた。


 ……思い起こせば彼は思慮深く聡明な少年だった。私と美恵子が女子らしく騒ぎ、彼がやんわりと受け流しながらさりげなく正しい方へ向かわせる、といった場面が何度もあった。そんな彼らしい物言いは、7年経っていても損なわれて無く更に洗練されていた。私はいつの間にか心が弾んでいることに気が付いた。


 ふと時計を見ると、それなりの時間になっていた。名残惜しい気持ちを悟られぬよう、再会を約束して電話を切った。


 それから時おり秀一と会うようになった。とは言っても、私のバイト先でだったが。


 彼は彼の父親の仕事を継ぐ為、多忙の様だった。ある日、お客さんが少ないときに「ちょっと愚痴らせて欲しい」と、ボソッと言った。私は少し考え、「バイトが終わるまで待って」と答えた。バイト上がりの時間に行けるファミレスの様な店は近くに無かっので、私は自分のアパートに彼を招いた。


 途中で寄ったコンビニでお酒とツマミを調達し、部屋に着くと少しドアの外で待ってて貰った。慌てて脱ぎっぱなしのパジャマを押し入れに突っ込み、散乱したレポートの為の資料を部屋の隅に重ねて置いて取り繕った。


  男友達を部屋に招き入れたのは始めてのことだった。私は内心どぎまぎしていたが、何でも無い風を装った。


「ごめん、狭いし散らかってるけど……。あまり、ジロジロ見ない様に。」


「いや、俺の方こそ。愚痴を聞いて貰う側なのに悪いね」


 私が(すすめ)めた座椅子に、彼は申し訳なさそうに小さく座った。おかしくて私は笑ってしまい、お陰で緊張が解れた。


 少しの談笑を挟み、彼の話を聞いた。大学の話と、彼の父親の会社の話。落ち込み気味に言葉を選んで話す秀一に、「それは、こういう事だったんじゃない?」と違う観点からの相槌あいづちを打った。その度に秀一は驚いた顔をし、「そっか、そういう見方もあったか」と呟いていた。


 そして話題は美恵子の話になった。あんなに気にしていた美恵子のことを、私はこの時まで忘れていた。そんな自分に驚愕した。でも彼が続けて話した内容は、もっと私を驚かせたのだった。


「相変わらず直ぐに熱を出して寝込んでるよ。……実は、もうすぐ結納なんだ」


 私は何でも無い風を装った。(むし)ろ「おめでとう」と言った。が、指先が(ふる)え、持っていた缶ビールを落としてしまった。慌てて拾おうとすると、今度は勝手に涙がぽろりと落ちた。彼に対する気持ちに気付いた瞬間に失恋していたのだった。


「俺は美恵子を愛している。俺に頼りきってる美恵子を放って置けない。……でも、ときどき息がつまるんだ。……陽子と話して分かった。俺には陽子みたいに一緒に社会と戦ったり、その深刻さを笑い飛ばしてくれる様な人が必要なんだ。美恵子に対する気持ちとは別の意味で、陽子、お前が好きだ」


 言われた瞬間は意味が飲み込めなかった。次に美恵子に申し訳無いと思い、申し訳無いと思うということは私の気持ちは決まってるんだ、と思った。


 彼はその日、私のアパートに泊まった。





 自分の半生を思い出してみて、後悔はしていないと改めて思ってしまった。ただ美恵子とその娘の茉莉、私の娘である亜沙美には申し訳無いことをしたとは思っている。……特に茉莉には。


 もっと違う生き方もあったのに生きにくい方を選んで、周りの人達にも生き辛い思いをさせてしまった。私は私が犯した罪を抱いていく事しか出来ない……。




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