逃避
今回まで重い話です。
苦手な方は読み飛ばして下さい。
次話の前書きに10・11・12話のあらすじを載せるつもりでいます。
「で、次は誰? ……指名させて貰えるなら、あなたの話が聞きたいわ」
そう言って誠也くんを指差した上原さんだが、目線は智佳さんに向けている。
「あなた達、話したい事があるでしょ? ……って言うか、本物はどっちなの?」
上原さんの言った言葉の意味が僕には良く分からなかった。だけど誠也くんは大きなため息をつく。
「気付いてたの?」
誠也くんが上目遣いで上原さんを見る。上原さんはホールドアップのポーズで首を横に振った。
「明確な事は分からないわ。ただ、これまでの流れで考えたら整理券は1人1枚かな?って」
そう言われて考えてみると北川姉弟(?)は誠也くんが整理券を見せてくれただけだ。
「誠也くん、……」
夜見は優しく声をかけ、顔を上げた誠也くんと目が合うと軽く頷いた。誠也くんは少しだけ口を尖らせる。
「分かった、話すよ。上手く言えるか分かんないけど。……僕が小さい頃からお母さんは怒ってばっかりだったんだ、『パパが死んだのはお前のせいだ』って。……お母さん、叩いたり、お皿を投げたりする。わざと当たらないところに投げるんだよ。で、破片が飛んで来て、怪我して血が出るんだ。後は、髪を掴まれて引きずられたりとか。……それから寒い日の夜家に入れてくれなくて、アパートの奥の自転車を置くところで小さくなってた。……ときどきそういう夜があって、そしたら智佳ちゃんが来てくれたんだ」
上原さんの話も驚きだったが、誠也くんの話も正直聞くのを止めたくなる話だった。
「智佳ちゃんがお母さんに『そういう事はやめた方が良い』って言ってくれて、だけど、お母さんはもっと怒っちゃって。智佳ちゃんにも『殺してやる』って言って、智佳ちゃんの上に乗って殴ったり、包丁を持って追いかけ回したりしたんだよ」
誠也くんが「ね?」と言って、智佳さんと手を繋いだ。智佳さんはとても悲しそうに誠也くんに向かって頷いた。
「私は誠也くんを守るために生まれて来たのです。……でも、誠也くんの盾になると、誠也くんはお母さんに余計傷付けられてしまって……」
智佳さんは視線を落として話し続ける。膝に乗せた誠也くんと繋いでいない方の手が固く握られ、力が入っているのか小さく震えている。
「それで、必死に近所の人に助けを求めました。その人は最初は児童相談所等に連絡を入れてくれた様です。けれど良くある話の様にあの母は口が上手くて、皆、誠也くんが虐待を受けている事を見抜けなかった…!」
「僕も悲鳴を上げると余計殴られたり蹴られたりするのが嫌で、いつも声を圧し殺していたから周りの人もお母さんのことをただのヒステリックな人だと思ったんだ。お腹を蹴られると息が出来なくて、叫ぶどころか喋れなかったのもあるし。……誰も本当の事か分からなかったんだよ、智佳ちゃんのせいじゃないよ」
「ある日二人で遠くへ逃げようとしました。駅に着いて電車を待っているとき、『逃げてもきっと逃げ切れない』、『どうせ何処かで誰かから家に連絡が行く』と思ったのです。……だから衝動的に、つい入って来た電車に……。誠也くんを守ると決めていたのに、私のしたことはあの母よりも酷いことでした……」
智佳さんは顔を覆って泣き出してしまった。それを見た誠也くんは、涙をこぼして怒った様に叫ぶ。
「智佳ちゃんのせいじゃないってば! 全部アイツが悪いんだ! アイツは僕の事を殺そうとした、智佳ちゃんは見てただろっ? 智佳ちゃんは悪くないっ!」
そのまま暫くの間、二人の嗚咽や鼻をすすりあげる音が続いていた。上原さんは腕を組んで下唇を噛み、中空を睨んでいる。僕は酷い虚しさを感じていた。
……二人を見守っていた夜見が、諭す様に誠也くんに話しかけた。
「誠也くん、もう智佳さんを解放して上げたらどうでしょう? いえ、あなたの中に戻してあげるときですよ。……元々あなたの一部なのですから」
夜見の、誠也くんが二重人格である事をさす言葉に僕は驚いてしまったが、上原さんは一瞬だけ驚き、直ぐに納得したという表情を浮かべた。
「だめ、……だめだよ。僕、智佳ちゃんと一緒に行きたいところがあるんだ」
誠也くんの目に少しだけ元気が戻って来た。
「僕、智佳ちゃんと遊園地に行きたい。行ったこと無かったから……。そこで二人でいっぱい笑うんだ。それからなら、一人に戻っても良い」
夜見は誠也くんに向かって優しく頷くと、タブレットを取り出した。