第七十三話 ハットラーとガップルス
「総統、本作戦における報告が前線のミンシュタイン閣下より挙がってきました」
レイトンがハットラーに報告文章を持ってきた。
「見せてくれ」
ハットラーは書類を書いていた手を止めて、報告文を読み始める。
「これは……」
その被害の大きさに思わずうめき声が出た。
開始時には35万以上いた軍勢が5万近い人数を減らし30万ほど。
人的損害以外にも数多くの戦車や重砲が破壊され、その数を大きく減らしているとその書類には記載されていた。
「一体、何があったというのだ!」
「どうも魔王軍と一大決戦に近い戦闘があったらしく、失った人員や兵器の補充を求めてきています」
「しかし、もうこの国にそのような国力は残っていないぞ! 元々、こちらは総戦力大勢にすら入っていない! そのことはミンシュタインだって分かっているはずだ」
「つまりはそのようなことが分かっていても補充を要請しなければならないほど、彼らは切羽詰まった状態にいるということです」
「しかし、現在の兵力に余裕はない。援軍を送ることは極めて難しい。やるとすれば、それは今の国家としての能力をさらに高める必要がある」
「総統、まさか非常事態宣言を宣告なさるのですか?」
この非常事態宣言とはジーマンにおける国家存亡の危機に関わるときにのみ発令されるものであり、未だかつて一度しか発令されたことがない。
これが発令されると自動的にジーマン国は総動員態勢に入ることとなり、ありとあらゆる権力が全て総統に一任されることとなる。
このことは憲法に記載されているが、同時に国民はこれが果して妥当なものかどうかを考えることもでき、もしこれが不当に発令されたと考えた場合は野党を通じて国会を解散。直ちに選挙を行い、新たな政党を内閣に据えることが出来るという事も憲法に明示してある。
「それしかあるまい。彼らは我が軍の精鋭達だ。仮にも彼らがこの国に帰還しなければ我が国は崩壊する! 見捨てることは出来ん!」
「しかし、急にそのようなことをなされて国民が納得するかどうかも分かりません! 最悪暴徒化し、総統ご自身の身も危険にさらされる可能性があります!」
現にかつてこれが発令されようとしたときがあったことがある。
それはまだ、ジーマンが誕生して間もない頃、コットン王国が攻め込んできたことがあり、それを撃退すべくジーマン軍が出動し返り討ちにしたことがあった。
この際にジーマン政府はコットン王国への反撃に必要な兵力を増員すべく非常事態宣言を発令したことがあった。
しかし、この事態に国民は納得をせず、猛烈な反発を喰らった。
この時、当時の総統であったガルム・ビスマルクは国民を納得させるために説明会を開くことを決断。
多くの国民の前に立ち、演説を行おうとした直前に凶弾に倒れた。
撃ったのは過激な反対派の若者であったクルーガー・ハットラーである。
その凶弾は脇腹から肩へ掛けて貫き多量の出血を招いていた。すぐに治療すれば助かったであろう。
しかし、彼はその傷をものともせず、その場で演説を始めた。
『諸君、我が国は今危機的な状況に立たされている。このままの状況では国土は敵に蹂躙され、数多くの血と涙を流すことになる』
この言葉から始まる演説は計十分にも及ぶ長いものであった。
そして、この演説が終わると同時に彼は倒れ、息を引き取った。
本来であれば助かったであろう命を投げ捨て、行った演説は多くの世論を味方につけ、ついにコットン国を打ち破るに到ったのだ。
お気づきであろうが、この暗殺した若者は現総統アドルフ・ハットラーの祖父だ。
アドルフ・ハットラーが政治の世界に入ったのはその総統に憧れると同時に自分の祖父の罪を償う意味もあった。
「総統! それでは今まで苦労して気付いてきた政治生命はどうなるのです!」
「そうだ。しかし、私はやらなくてはならない」
「何故です!」
「祖父の時の総統はこの国の危機を気付かせるためにその命をなげうって示した。今度は私の番だ」
「それはそれ! これはこれです!」
「レイトン、私は何故、ここまで上り詰めることが出来たと思う?」
「は? それは……」
「私の友人にガップルスという者がいることを知っているだろう?」
「右院の議員ですね」
「そうだ。彼の姓名はガップルス・ビスマルクだ」
「まさか!」
「彼は私の祖父が殺したガルム・ビスマルクの子孫だ。彼は政治の世界に入ってきたこの暗殺者の子孫を消すどころか手助けまでして、この地位にまで引き上げるよう尽力をしてくれた」
「なぜ……」
「彼はビスマルク家に伝わる言い伝えを教えてくれたよ。ガルム・ビスマルクは息を引き取る際に家族に向け、こう小さく言ったそうだ。『我を害した若者は道は違えど、国を思う心は一緒。その結果が違っただけのこと。恨むことをしてはならん』。そう言って祖父の事を許すよう言っていたそうだ。その言葉を彼は守り、私の能力を見込んで、この地位にまで引き上げてくれた。彼には本当に頭が上がらん」
「総統」
「私はそうした思いを受け、今この場にいる。決して己がためにその思いを曲げるようなことがあってはならん!」
「分かりました。私はあなたに付いていきます。たとえ、何があろうとも……」
そう言ってレイトンはその場を後にした。
「非常事態宣言か。現実というのはどうしてもこうも不思議な巡り合わせをするのやら……」
レイトンはその足で町外れにある廃屋へ向かった。
そこで暗闇に向かって話し出す。
「上手くいった。総統は非常事態宣言を出す」
「そうか。ご苦労だったの」
暗闇から返答が来る。
「この後、どうするつもりだ?」
「貴様には関係の無いことよ。ホッホッホッホッホ」
「ちゃんと最後までやり終えたら、娘を返すんだよな!」
「分かっておるわい」
暗闇の声は焦るなとでも言いたげに答えた。
「お主の娘は丁重にもてなしておる。お主はそれを気にするよりもこの計画の心配をした方が良いと思うぞ。何せ、娘の命がかかっておるのじゃからな」
「くっ!」
レイトンは呻いた。
「な~に、あと少しの辛抱じゃ。もう少しでお主も娘と会えるじゃろうからな」




