男どうし、女どうし
漫画部には部員は三人しかいない。
しかも漫画部というのは建前で、中身はBL同好会だった。
「ホワイト貸して、みさき」
もう四代前の部長のときからこんな状態らしい。部室が狭いことも災いして、他の女子はアニメ研究会という部で活動している。
だからごくせまい部室で、机をみっつ突きあわせるようにして漫画を描いていた。
Gペンの音がカリカリと響く。
いまは年に二回発行する部誌の原稿に追われている。
アニ研からも寄稿を募り、30ページちょっとになる部誌はけっこう評判がいい。もちろん、一部のひとにだけだが。
「先輩、キスシーンの資料ってありませんか」
部員のうちわけは私と、同じ一年の空、部長の頼子さん。
「ちょっとまって。……あ、これこれ、数少ないけど」
新聞や雑誌のスクラップブックを本棚から抜き出してぽんと置いた。
ぱらぱらとめくってみるが、映画のキスシーンでは描きたい構図はみつからなかった。
私が描いているのは眼鏡兄×ショタ弟のキスで、とくに傾いた眼鏡の図がうまく処理できないのだ。
「眼鏡かけてるやつないですか」
先輩はすこし考えていたが、首を振った。
「写真はそれくらいしかないね。いちおう漫画ならいくつかあるよ」
しかし漫画を参考にすると、ついデッサンの崩れなどもそのまま写してしまう。けっこう真剣に描いている私としてはそれは避けたかった。
「じゃあいいです、家で探しますから」
そういって原稿に戻ろうとすると、ガタンと音をたてて先輩が立ちあがった。
「いいこと思いついた」
彼女がこんな発言をするときはいいことだったためしがない。
鞄からデジカメをとりだすと、邪悪な笑みをにまにまと浮かべている。
「……なんですか」
「あんたら、キスしなさいよ。空、手をとめて」
急に話を振られた空は、原稿と向き合っていた顔をびくりとあげてペンを置いた。
「どうしたんですか?」
まったく聞いていなかったようで、目をぱちくりとさせて私と部長をかわるがわる見る。
「だからね、みさきの漫画のためにふたりでキスするように言ってるの」
「ちょっと先輩」
面白いことが大好きな頼子先輩はときどきこんな悪ふざけをしては私たちを困らせるのだ。この前はハンズで買ったメイド服を資料と称して着せられ、さんざん写真を撮られた。BLしか描かないくせに。
彼女は、しかも一度思いつくとものすごくしつこい。
「ほれほれ、なにもはじめてってわけじゃないだろ」
自慢じゃないが生まれてこの方、キスなんて親としかしたことがない。それはおいても女同士でキスをするのはいかがなものか。
「そうですね。私はいいよ、みさきちゃん」
「え」
「だって漫画のためなんでしょ」
彼女はごく落ち着いた様子でキスを承諾した。
私は、彼女の言葉に驚いていた。
空とは幼稚園に入るまえからの幼なじみだった。
大人しくて気の弱い彼女は、いつも私のあとをついてまわっていた。
小さい頃はよく近所の男の子にいじめられて、そのたびに私が助けに入るのだった。
そのせいか彼女はあまり男と積極的に関わろうとしない。それは小学校でも中学校でも変わらなかった。
そんな彼女がキスをしたことがあるだなんて。
驚愕のあまり、先輩がてきぱきと構図のとおりに私たちの姿勢を変えていくのに逆らうことができなかった。
「みさきタッパあるから兄ね。空は眼鏡はずして、それをあんたが掛ける。髪がじゃまだな、しばっとくか。腕は背中に回す。もっと近づいて、そうそう」
ショックから立ち直ったときには、空の顔がすぐ目の前にあった。
無理やりにまとめられた髪がひっぱられて痛い。
「本当にやるんですか……」
「そりゃそうよ。リアリティーのためにぶちゅっといきなさい」
デジカメをかまえながらも口元は楽しそうにゆがんでいる。
どうやら、演技では許されないようだ。
空はすでに目をつぶって軽く首を傾げている。
ずるい、と思った。しかしうつむきがちな顔を上げた彼女はかわいらしかった。
彼女はかわいいのだ。三つ編みに眼鏡のやぼったい格好、下を向いてばかりの顔、しかもオタクということで気づいている人は少ないが。
くりくりした目や、小づくりな鼻、下がりがちな眉はどこか子リスを思わせる小動物の愛らしさをそなえている。男っぽい私とは全然ちがう。
「ほら、早くせい」
先輩にせかされて、しかたなく私は顔を近づける。
私は男、彼女も男と言い聞かせる。キスなんて漫画でならすっかり見慣れた行為だ。
どうにか唇をくっつける。度の合わない眼鏡で顔がぼんやりとしか見えないせいで思ったより冷静でいられた。
「この角度ね。みさき目つぶれ、しばらくそのまま」
フラッシュが何度もたかれて、私たちはたっぷり十秒はそのままの姿勢でいた。
「ごくろうさん、今日はもう遅いから部活終わりね。明日楽しみにしてな」
荷物を片付けると風のような速さで部屋からとびだしていく。
「家でプリントしてくださいよ!」
半ば諦めながらも走り去る背中に声をかけた。
「あのクソ部長め。私たちも帰ろう」
「うん」
原稿を片付けると、戸締りを確認して部室を出た。
「そういえばあんた、キスなんて誰としたの」
「それはひみつ」
帰り道で何気なくを装いたずねてみても、彼女は罪のない笑顔でうけながした。
「じゃあいつ頃? もしかして最近?」
「ずっと昔の話。もう相手もおぼえてないと思う」
それほど昔なら私が知らないのも無理はないのかもしれない。
彼女のことはなんでも知っていると思っていた私はすこし寂しい気がした。
「ねえ、あそこの公園覚えてる」
彼女が指さしたのは、近所にある小さな公園だった。
「よく来たね、そういえば」
幼稚園ぐらいまでは毎日のように、私たちはここで日が暮れるまで遊んだものだった。
今日みたいな夕暮れだってどれくらい一緒にながめただろう。
「たのしかったなあ」
独り言のようにぽつりとつぶやく彼女。その視線はとても遠いものを見ているようだった。
そう。
あの日が遠い過去になったように、今日みたいなことも思い出になるんだろう。
十年後、二十年後、私たちはどんなことを思うのだろうか。
きっと彼女のよさが分かる誰かが、彼女のとなりにいる。
ずっと昔のキスのように、どこかの誰かとくちづけるんだ。
「ここでいじめられてると、いつも助けてくれたよね。嬉しかったな」
自分がちょっと泣きそうになっていることに気がついた。
嬉しかったなんて、確認するみたいに言わないでほしかった。
あのころの記憶が風化していく思い出になってしまったようで、なぜだか――
「なに言ってんの。これからだっていつでも助けてあげるから」
私は、おどけて力こぶをつくるまねをしながら、彼女に笑いかけた。
「本当に」
「本当よ」
不安を打ち消すみたいに、私は笑った。彼女もいつものように笑っていた。
他愛のない話をしていると、すぐ家に着いた。
「あー写真怖いな」
「大丈夫よ、部長は悪用したりしないから」
「目線入れてネットに放流くらいやりかねないよ、あの人なら」
実際にすごくマニア受けしそうな空のメイド姿はブログに晒されそうだった。どうにか止めたけれど。
「ねえ、誰とキスしたか気になる?」
門の前に立ち止まって、彼女は急に尋ねてきた。
「それは……気になるけど」
彼女はじっとつま先のあたりに視線を落としている。
「じゃあ、耳貸して」
やっぱり、私には教えてくれるんだ。
こんなところに誰もいないのにと苦笑しながら、私はちょっとかがんで耳を差し出した。
手を筒にしながら耳に添えて、彼女は口を寄せる。
あたたかい息がかかった。
『あのね……これで三回目』
ふいうちだった。
キス、された。
しかも、唇に。
私の目は彼女の表情をはっきりと見ていた。
切なげにひそめられた眉。ふるえるほど強くとじられたまぶた。
必死に、思いつめたその顔。
くちづけたのは女の子の彼女で。
くちづけられたのは女の子の私だった。
心臓が三十を数える長いあいだ、彼女は唇を押しつけていた。
「また明日ね」
薄暗がりでもはっきりわかるほど、彼女は顔を真っ赤にしていた。手をぶんぶん振りながら私に笑いかけると、玄関へと消えていく。
私はぼうっとしながらそこに立ち尽くしていた。
さっきの衝撃ではっきりと思い出した。
昔あの公園で彼女とキスをしたことがある。
なんだか怖くなって、秘密にしようなんて子どもらしいよく分からない約束をした気がする。
空は、変なやつだ。
そんなことをずっと覚えているだなんて。
「……どうしようかな」
やらなければならないことがあった。
恥ずかしさに頭を抱えているだろう彼女にメールをしておこう。
そして、明日の朝は笑顔で話しかけてやろう。
さもなければしばらくは私の顔さえ見ようとしないだろうから。
でも。
あの写真をみたら。
キスする彼女の顔を思い出さずにはいられそうにない。
私はどうするんだろうか。
「……とりあえず、先輩のブログ荒らしとこう」
そんなことを決心しながら、私は家のドアを開いた。
作者は百合専門なのでBLを読んだことがありません。漫画を描いたこともありません。知り合いの話をなんとなく並べたので、おかしなところはご容赦を。指摘してくれると勉強になります。
ある掲示板で「腐女子で百合ってどうだろ」という発言がありました。それに「資料と称してキスさせられる」というアイディアが出て、びびっときた作者が3時間ほどで書き上げた作品。でも気がついたら幼馴染ものじゃないか。その節はお世話になりました。
帰り道のシーンで試みたことがあります。懐かしい思い出を語る空と、先のことを考えて不安になるみさき。悲しい気分を感じさせながら、読んでいる人に違和感を感じさせる……という。筆力不足ですが、効果があったかどうか聞かせてくれると嬉しいです。