第051話 もう一度だけ * レイモンド村〈リュカ〉
リュカ目線。
炎天下での練習試合が終わった後、突然教官に呼ばれ、蒸し暑い教官室で告げられたのは、信じられない内容だった。
ミネアが、危篤……?!
頭を鈍器で殴られたように、声が出せなかった。
嘘だ。
とりあえず学校側から馬車を用意してくれるということで、急いで荷造りをした。
ミネアに貰った短剣を鞄に入れ、お守りの石を首から下げた。
泣いている時間などない。
早く、早く……行かないと…。
心は急いているが、何もかもが空回ってしまうほど、気が動転している。
もつれた足では速く走れなかった。
もどかしい、この距離が。
自分は、ずっとレイモンド村にいればよかったのかもしれない。
それならミネアの手を握ってあげることも出来た。
しんどいなら、背中をさすってあげることも出来た。
何故、自分は、こんな遠いところに居るんだ。
待って!
行かないで!!
ロクシアが失踪して、大泣きした毎晩、節くれだったその手で抱きしめてくれた。
『大丈夫、大丈夫よ。きっと帰ってくるわ』
あの手が、空っぽになった自分の心全てを支えてくれたんだ。
折れない心を、消えてしまいそうだった生きる希望を、
彼女が注いでくれたから、自分は、あの時立っていられたんだ。
なのに、自分は、彼女が辛い時に、傍に居られないなんて。
嫌だ!絶対嫌だ!!
急いで学校が用意した馬車に飛び乗って、レイモンド村へ急行した。
村を出たあの日から、一度も会っていなかった。
『あなたの幸せを心から祈っています。リュカ・フェリクス・グレイ』
あれが今生の別れだと、一体誰が想像するんだ。
自分は母親など知らない。
自分にとっての母親は、ミネアしかいない。
そのたった一人の彼女が、この世から旅立とうとしている。
また、大切な人が目の前から消えてしまう。
こんな遠い場所にいるのに。
膝の上で結んだ手に、大量の涙が零れ落ちた。
待って。
待って。
祈るように何度も頭の中で繰り返した。
伝わるはずもない言葉だった。
レイモンド村に着いたのは、一週間ほど経った昼頃だった。
無理を言って夜中も馬を飛ばし、異様に厳重な警護を通過してやっと村に入れたのだが、
全てが終わった後だった。
結局、魔法のように、祈りなど届くはずもなかったのだ。
その日の朝。彼女は眠るように息を引き取ったのだと。
既に、遺体は高台の墓地に埋葬されたらしい。
いつもひっそりとしていたミネアの離れには、沢山の村人が入れ替わり集い、生前の彼女のことを語り合い、互いに別れを惜しんでいる最中だった。
立ち尽くす自分の横に、気付くと背が少し伸びたジョイが静かに立っていた。
久しぶりに帰ってきた自分に村人達も驚いた様子だったが、表情を見るなり察したように同情の声を掛けてきた。
返す言葉などない。口を開いた瞬間涙が流れてきそうだったからだ。
もう、胸が、どうにかなりそうだ。
どこにもいないミネア。
ミネアの思い出が残り過ぎるこの場所に、辛すぎてとどまることが出来ず、走って自分に貸し与えられた小さな借家に向かった。
久しぶりに開けた自分の部屋は、驚くべきことに、家を出た当時のままの様子で、きれいに保たれていた。
人前で泣くことなど許されない。声が漏れないように寝台に伏せた。
あの頃の匂いが、そのまま残っている。
ミネアと居た他愛もない時間が目の前にあらわれては消え、涙が滝のようにあふれてきた。
料理をすると彼女は後ろで控え、盛り付け方を教えてくれた。
編み物を覚え、歌を覚え、
人としての愛をくれた……。
人はいつか死ぬと知っている。簡単に人は死ぬと知っている。
けれど、無理とわかっていても、一つだけでもいいから、自分の願いをかなえてほしい。
もう一度だけでいい、一緒に歌を歌いたかった。
一緒に編み物をしながら話をしたかった。
その温かい手で頭を撫でてもらいたかった。
ミネアにしてもらったことが大きすぎて、涙があふれてきた。
彼女の形見の短剣を抱きしめる。
彼女はどんな思いで、この短剣を自分に預けてくれたのか。
どんな思いで、学校への入学を許可してくれたのか。
どんな思いで、村の反対を押し切って、流れ者の自分の面倒を見てくれたのか。
彼女の思いは、もう、聞けない。
いつだってそうだ。
大切な人の事情も知らず、馬鹿みたいに、自分は与えてもらえる甘さに浸っていた。
強くなって、学校を出て身を立てて、ミネアにも恩返ししたかったのに、
自分は、何一つ為し得ないまま、彼女はこの世から旅立ったのだ。
不甲斐ない。自分が、愚かで、情けない。
「……ごめん……ミネア…」
謝罪を口にすると、最期に立ち会うことすら、出来なかったんだと、どこからしていいかわからない後悔が胸の中に影を落とした。
すると、ジョイの声がした。
「悪い入るぞ」
息が出来ない程の嗚咽で返事も出来なかったが、彼はストンと横に座った気配がした。
こんな状態では恥ずかしくて顔を上げることもできない。
突然ジョイは「大丈夫だ」とつぶやいて、自分の頭を引き寄せて強く抱きしめた。
抗う力も残されていない。華奢な彼の胸は前よりも大きくなったと感じた瞬間、自制しようとした涙があふれ出してきた。
ダメだと思いながらも、涙が、止まらない。
「大丈夫だ、誰もいない。思いっきり泣け」
何て優しい声なんだ。彼に掴まって大声で泣いた。
彼はずっと頭を撫でてくれた。
こんなこと、前にもあったような気がする。
士官学校へ行くことを後押ししてくれた時も、ジョイの手はとても優しかった。
ジョイの前では、小さな英雄と呼ばれた自分も無様になってしまうようだ。




