第045話 無表情の裏側 * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
『ついてきなさい』
教官は颯爽と先を歩いた。理由は説明されていないが、軽い雑談を交わすこともなく迷いなく無言で突き進む。
何故か、演奏する楽士の横をすり抜けて、中央階段の裏側へ周って通用口らしき廊下に出た。
関係者しか立ち入らないような空間は、装飾的な要素は薄くなっており、生演奏も一枚壁を隔てた向こう側で聞こえているように段々と小さくなる。
奥まで進むと大きな扉が聳えていた。
控室なのか。何故こんなところに呼ばれたのか見当もつかないが、ノックをした教官は中に向かって言った。
「ファンイーです。リュカ・フェリクス・グレイを連れてまいりました」
「ご苦労。入りなさい」中から聞こえたのは、聞いたことのない低い声だ。
ファンイーと呼ばれた教官が自分のために扉を開けると、そこは思ったよりも広く、無理に飾ろうとするものが一切なく落ち着いた部屋だった。
警戒しながら一歩内側に入ると、真正面に据えられた一つのすわり心地の良さそうな椅子に深く腰をかけた男がこちらを向いていた。
見たことのない男だ。年齢は相当上だが体つきはガッチリとしていて、精悍な顔立ちをしている。白髪の短髪に無精髭。
異質なのは、教官が着る服よりも肩のあたりに手の込んだ刺繍が入っている装いで、その胸には勲章らしきものが無数に光っている。
そして、圧倒的な存在感を醸し出している。
彼が自分を呼んだのか?傍らに立つ男は恐らく、副学長だったはず。
ということは、もしかして。
「君が、リュカか。入り口に立ってないで近くに来てくれないか」
そう遠くから命令されたが、恐らく、入学してから一度も来られてないとされていた噂で聞いた学長の印象そのままだ。
一介の学生が、学長に呼ばれることなどあるのだろうか。
警戒していると、ファンイーと言った教官がトントンと肩を叩いた。
「学長がお呼びだよ」
ハッとして、音を立てず急いで近づき、正式な跪拝を行った。
「リュカ・フェリクス・グレイです。お初にお目にかかります学長様」
頭を下げたまま暫くすると、上からハスキーな声が降ってきた。
「頭をあげてくれないか」
片膝を立てたまま無礼にならないようゆっくりと見上げると、目が合った学長は一瞬瞳が揺らいだように見えた。
知性がにじみ出る精悍な顔立ち。
この方が歴史で習った、伝説の英雄。レヴィストロース学長か。
この学長を尊敬していると言っていたユスランも既にお会いしたのだろうか。
暫く不自然なくらいの時間、目が合っていたことを認識したがこちらから目を逸らすことも出来ない。
すると、学長はもう一度確認するように言った。
「君が、リュカ…」
「はい。リュカ・フェリクス・グレイです」
何だこの微妙な空気は。
妙な沈黙に耐えられなくなりそうだった。学長は何かの拷問かと思えるような無表情な顔で自分を凝視した。
そして、副長とファンイー教官は食い入るように自分と学長を交互に見つめている視線を感じた。
意味ありげな、ただならぬこの雰囲気に口を開こうとしたその時、学長が先に淡々と話し始めた。
「選考会に残っている者全員に挨拶をと思っていてね。今、順に声を掛けているところなんだよ。
小柄なのによく頑張っているそうだね」
先程までの無表情な顔つきから一転、優しい口調であったためホッと胸をなでおろした。嫌われている訳ではなさそうだ。
「ありがとうございます」
「君は」
副長とファンイー教官は反応したように学長を見た。
「何のためにこの学校を志望したのか。教えてくれないか」
「え?」
唐突に、面接か。何も考えていない。
そんな自分の表情を察したのか、学長はすぐさま訂正した。
「いや、別に選考には全く関係はない。君個人の意見を聞かせてほしい。今後の参考にするためだ」
「学長…」横から副長が声を掛けたが、涼しい顔をしてチラッと見つめて言った。
「何だ?折角呼びつけて、生徒との世間話も認められないのか?」
「…いえ…」
すると、もう一度「どうか」と訊かれたのでとりあえず正直に今の気持ちを話した。
「志望動機ではありませんが…率直な今の気持ちです。
先の事はわかりません。国のために何かをしたいとか、今後どう生きたいとかも、正直まだわかりません。
ただ、今は強くなりたい。誰よりも強くなって、自分を支えてくれている方々に自分を示したい。
純粋にこの授かった貴重な機会を通じて色んなことを学び取りたい、それだけで御座います」
偽りのない感情だ。いや、偽らず話し過ぎたか。
ただ嘘をつくのは嫌いだ。それがいい結果をもたらすパフォーマンスだったとしても、自分にはそんな器用な芸当は出来ない。
学長は何の反応も見せずただ自分を見下ろしていた。
とりあえず、擦り足で一歩下がって、もう一度頭を下げた。
「そうか」
ようやく返ってきた一言があまりにも色のない言葉だった。
これが学長の意に沿わなかったとしても、今の気持ちなのだ。
沈黙が、長く感じる。
それは自分の発言を助長するには十分な時間だった。
湧き上がる感情を抑えられなくなった。
学長と向き合い、発言を許される機会など二度と来ないかもしれない。
今この瞬間を逃しては、恐らく話が出来ない立場の方だ。
自分はもう一度腹に力を込めた。
「それと」
周りの視線が痛い。
この場で聞けないような発言も、弁えているつもりだ。
ただ、後悔はしたくない。伝えるだけ、伝えなければ。
いつか伝えられる時が来ればいいと思っていたが、それが今だ。
「それと、学長様には、本校への入学に際して色々とご配慮頂いた、と各所から伺いました。
これが根も葉もないことであるならば、お聞き流しください」
自分自ら問題の核心に迫るなど、と驚愕した顔で副長が見ているが、ファンイー教官はワクワクしたような顔付きだった。
それが普通の反応だろうが、目の前の学長の表情は全く変わることがなかった。
だからかもしれない。
自由に、自分の言葉で伝えることが出来たように思う。
「それが真実であるならば、自分は、本当に感謝しております」
森の中の大木に、独り言のように心の内を吐露しているような気分だったからだ。
ようやく言いたかったことを伝えることが出来た。
「以上です」
そして、もう一度頭を下げてその場を立ち去ろうとした。
その時、学長は口を開いた。
「リュカ……」
「はい」
振り返ると、学長は無意識に呼んだのか。
こちらを向いているようで、目は自分の顔をとらえていないように思えた。
「…いや、結構」
と続けたので、会釈をして「失礼いたしました」と言い残し控室を出た。
レヴィストロース・マクスエル。
この士官学校の学校長であり、英雄と呼ばれた元将軍。
何故だか、そんな彼が自分の出資者であるのではないかとの噂も飛び交っていた。
どう考えても、ありえないことだ。
接点などないのだから。
当然、見覚えのない人物だった。
逆に、彼の表情からは何も察することは出来なかったが、
自分には変な確信があった。
彼は、『自分を知っている』ようだ、と。
ずっと言いたかった一言を言えたことに対しては、一定の満足はあったが、こちらに向けられた無表情な眼差しが、思い違いかもしれないが、自分にはどうしても取り繕っているように見えた。
謎が多すぎる。
自分は本当に、何者なのか。
覚えてはいない、ずっと昔の記憶に、何か答えがあるのだろうか。
それとも、覚えていないだけで、彼に会ったことがあるのだろうか。
会場に戻る分厚い扉を開けた瞬間、洪水のような光と、豊かな音階が広がり、クラクラと眩暈がしそうだった。
穏やかで優雅なこの空気感の中に、疑問を持たず、ただ身を投じさえすれば自分は何者でもよくなるのだろう。
ただ、それを許さないように、出てくるはずのない扉から戻ってきた自分をレイがすぐさま見つけ、凝視していることに気付いた。
まるで彼とは実体のない鎖でつながれているようだ。
無表情なレイの視線から目を逸らさず、自分は次の瞬間、何故か小さく笑みを浮かべた。
皮肉ではない、素直な笑みだ。
彼は意外な自分の表情に少し動揺した様子で、誰にも気づかれない程度に眉を動かしたが、正直、自分自身も意外だった。
そう、見方を変えれば、レイも誰かの忠実な僕であるとことに気付いたから、自ずと笑みがこぼれたのだ。
わかっている。
自分も夢のような日常に漂っていられるほど、おめでたい性格ではない。
シュライゼの残した頬をなぞる冷たい指の感覚も、メイリンのその熱い涙も、突き刺すような瞳を向けるレイも、今や忘れかけているあの広いロクシアの背中も……。
全て自分を現実に向かわせる動機となっている。
この雰囲気に飲まれていられたら、いっそ楽なのだが。
出来る限り背筋を張って会場を歩いた。
何故か周囲の視線を強く感じるが、苦手なはずが、今は戸惑うことはなかった。
気持ちが高揚しているからか、光の中で見つめられる視線は、自分を押し上げるようにさえ感じた。
あの時の黒い男のように、堂々と優雅に会場を闊歩する。
何も恥じることはない。
自分は誰に劣っている訳でもないのだ。
耳を掠める小声は、賞賛と思えばいい。
リュカ・フェリクス・グレイが何者か。
自分がその真実を手にしたとき、何かが変わるのだろうか。
次話より、『第06章 それぞれの戦い編』となります。
次のページは恒例?の複雑になる関係性を図解した人物相関関係図の学校編です。




