第044話 消された存在 * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
『意図的に身を隠さなければならない必要があった』
抜けない針のように、彼女の言葉が胸に深く突き刺さった。
自分は、身を隠さなければならない存在。
理論立てて納得がいったというわけではないが感覚的にうまく言い当てられたような気分だった。
振り返ると、流れ者としての生活で一所に長くいたのはレイモンド村が初めてだった。
自分はエーベルハルトへ行くために旅をしていたと思っていたが、見方を変えるとロクシアは身を隠すために、表向きの目的としてそういうことにしたのかもしれない。
ロクシアはよく言った。気配を察すること。洞察力を養うこと。お蔭でこれらに関しては鍛えられたと思う。
単純に獣にやられないためだと思っていたが、事実、レイモンド村が賊に襲われることも、日々の訓練の最中に感じた違和感から想定できたことで、日常では大いに役に立ったが、その目的は『身を隠すこと』につながらなくもない。
それに、自分は重大な偽りを抱えている。
『性別の詐称』だ。
まさか、彼女が言っていることが正しいとなれば、
身を隠す必要があるのは、
ロクシアじゃなくて、『自分』じゃないのか。
動揺する自分を見てか、彼女はふっと笑った。
「こんなこと、言うつもりじゃなかった。
けど、あの時あなたに、言われて目が覚めたの。
逆に、あたしは自身を振り返った」
自分の妄想に浸っていて彼女の事を忘れかけていた。
メイリンを見ると、闇夜に投げかけた大きな瞳が涙に濡れているようにも見えた。
そういえば、彼女の立場や想いを今まで考えたこともなかったな。
別の事情を背負っていたシュライゼに対しても、大切なロクシアに対してもそうだった。
もし、身を隠す目的だったのなら、何故自分にその事情を教えてくれなかったのか、どういう気持ちで一緒に居てくれたのか。
それもこれも全く知らないままに、二人とも自分の前から去ってしまった。
今、相対する者がどのように考えて生きているのか。
自分は、自分にしか興味がなく、自分一人の世界でしか生きてこなかったのだろう。
自分が思い描く他人像の殆どは空想に近くて、実態とはまるで程遠いものだった。
だから、今度こそという気持ちで目の前の彼女に向き合おうと思った。
何を考え、どう自分に向き合っているのか、初めて知りたいと思ったのだ。
「純粋な瞳の人なんて、この世の中にはいないと思っていたの。真正面からあたしに向き合う者なんか絶対にいないってね。
あなたがあの時語ったすべてのことの裏を読み、男なんて皆、所詮単純に色気に酔い、欲望を成就させたいだけのバカな生き物だと思っていたわ。
それをうまく利用するのが、あたしの仕事。あたしの生き方なの」
彼女の、仕事…。
彼女もまた、なにか事情を抱えて学生を演じているのか。
細い指で揺れる後れ毛を捉え耳に掛けてから、優しく自分の右手を握った。
柔らかく華奢な手だった。
「けれど、本当に、あなたは違った。
この学校で、真正面からあたしに向き合った初めての男だった。
あたしと似たような境遇の子なんて、絶対この学校にはいないと思っていた。
誰も知らない人の中で、手探りで、多分、あなたは生きてきたのね」
手から伝わる温度が優しく感じる。
彼女がこれほど感傷的で優しい人とは思わなかった。
「何故こんな学校に通えているのか。あなたは自分でもわからないと言っていたわね。
正直なところ、その発言も半信半疑だったんだけど、
あなたの言っていることは嘘でもなんでもなかったのね。
……調べてすぐに、あなたの言う話が本当だとわかったわ。
これほどまでに完全に形跡がないのは異常だったからよ」
ギュッと手が握られる。
「だから、あの時あなたを先入観で傷つけてしまったことに報いるためにも、あたしの矜持にかけて、絶対調べてみせると思ったわ。
あなたが知りたいと言っていた、本当のあなたを。あなたが何者であるかを。
けれど、色々な手を尽くしてみたけど、あたしの力を持ってしても、結局、あなたが何者かはわからなかった……。
『意図的に消息を消されている』という結論しか、わからなかったわ」
「メイリン…」
「あなたは、本当に孤独の中で生きていたのね。
だから、あの時の事をずっと謝りたかったの。
ごめんなさい。あたしは、あなたの本当の事情を知らずに『ありえない』なんてひどいことを……。
……現にあたしも、この上流階級の学校には『ありえない』孤独な人間なのに…」
彼女は、静かに涙を流した。
「あなたは、無垢で、孤独を背負って闇雲に世間と戦った、あの頃のあたしそっくりなの。
だから、あなたには、そのままのきれいな瞳でいてほしい。
何があっても、純粋さを失わないでほしい。そう思うのよ」
悲痛な顔が、彼女の辛い過去を示していた。
あの謝罪の手紙の意味が、初めて痛いくらい分かった。
会えてよかった。
会えなかったら、彼女のこんな気持ちを知ることも、自分の知らないところで悩んで、時間を割いてまで何かをしようとしてくれていたことも、
こんなに温かい涙を流す人だったということも、何も知らないままだった。
知れてよかった。
「ごめん。メイリン。自分も君を誤解していた。
自分を蔑んでいるものとばかり思っていた。
いろいろ、こんな自分のために調べてくれて。ありがとう」
「ううん…」
メイリンにハンカチを差し出すと彼女は顔をあげた。
「綺麗な顔が台無しになる。もう泣かないで」
「リュカ…」
そう言うとまた涙が滝のように流れてきたので焦ってしまった。
そうだ、色々話し込んでいて忘れることろだった。
「聞いていいか?」
「え?」
メイリンに向けて、空にバツを斬ってそれを両手で握るように見せて目を閉じた。
一拍おいて目を開けると、メイリンははっとしたようにハンカチで涙を拭いて見た。
「これ、どこの国の願掛けか知っている?」
頼みの綱だった。ロクシアにつながる、細い糸。
メイリンはフッと笑った。
「…素敵ね。最後まで手紙、読んでくれたのね。
今はアレフリル公国と言うのかしら。
そこの『悲劇の王女』という有名な歌劇に出てくる一説よ。
想い人が居ながらも国のために敵国に嫁いだ悲しい美姫の話。
旅立つ彼女は想い人に気持ちを伝えず国を離れるの。
その時、彼女は言えない切なすぎる思いを、その願掛けによって彼に伝える。
『空を斬って、胸で結ぶ。あなたを傷つけるつもりはなかったの。これだけは信じて』ってね。
あたしもよく真似をしたわ」
そんな情熱的な意味が隠されているとは全く知らなかった。
正直、ロクシアがますます遠くなった気がした。
逆に、知れば知るほど遠くなるかもしれないとも思った。
そうしていると、林がカサカサと動いた気がしたので、警戒してメイリンを背に庇うと、その動きは収まった。
すると、すぐ近くから声がした。
「リュカ」
レイだ。厄介だな。
もう見つかってしまったか。
「ごめん、もう行かないと」
「あ、ハンカチ」
「いいよ、あげる。じゃあまた」
「うん……。またね」
『また』なんて、自分から言うなど思いもよらなかったが、彼女も笑って返してくれた。
彼女が建物に帰った後、レイは憮然とした顔で言った。
「自分の立場を弁えなさい」
「お前に命令される筋合いはない」
そう反論すると、突然レイは、入り口に入る手前の物陰に、自分の襟首を掴んで強引に引き込んだ。
「服が乱れるだろ」と正装を正して噛みつくと、乱暴に壁へ右肩を押さえつけられた。
「いい加減になさい。
あなた、本当にわかっていないようね。だからガキは面倒ってのよ。
さっきの物陰からは明らかな殺気が感じられたわ。あたしが来なかったら殺されていたかもね」
「……二口目にはガキか」
「あの子と会うのはやめなさい」
「なんでそんな指図をされなければいけないんだ。まず理由を言え」
「狙われるからよ。あの子も」
「自分なら大丈夫だ彼女を護ってやれる」
「あなた、あまり勘違いしない方がいいわ。
あたしも、四六時中あんたの面倒が見れるわけじゃないんだから」
「だれもそんなこと頼んでなんか……!」
すると、レイは突然赤い目を光らせて大きい手で口をふさいだ。
「…黙れよ。ガキが。何度も言わせるな…」
窒息するかもしれないというくらい強い力だった。
「…ん…んんッ……!」
顔を近づけてきたレイは、いつもの女性的な顔ではない。美しくも冷酷な男の顔だった。
耳元で低く囁いた。
「思い上がるな。リュカ、お前は所詮女だ。
死にたくなければ、あの女を殺したくなければ、俺の言うことを聞け。
お前の生きる道はそれしかない」
息苦しいが、この腕はビクともしない。
暴れても恐らく、駄目だ。
全く、無力だ。
自分はコクコクと縦に首を振ると、レイはいつもの調子で返してきた。
「わかったわね」と手を解いた。
咳き込んで息を整えるのに時間がかかった。
本当に、殺されるかもしれないと思った。
護るとか言うんだったら、手加減くらいしろ!
先に会場へ戻ったレイの後ろ姿を見送って、自分も服を正して一呼吸おいてからバレないように入ったつもりだったが、
瞬間、後ろから軽く肩を叩かれ、教官がにこやかに手招きした。
ドキッとして心臓が飛び出そうになった。
抜けたことが教官にバレたか…。これはまずいな。
レイは抜けていたことになっていないのか、教官は見て見ぬふりか、呼ぶつもりもないようだ。
先に行ってしまった白い後ろ姿はここからでもわかるほどよく目立つ。
早速通りかった学生に呼び止められている。
しまったな。
申し訳なさそうに「あの…」と言いかけると、「あ、いや、抜けたとかそういうの全然気にしなくていいから」とらしくないことを言う。
え?
では何故呼び止められたのか。
気にしなくていいはずもないだろうが、そういえばこの教官、見たことがあるな。
授業中、わからない顔をしていたら、親切にも繰り返してわかるまで教えてくれたあの教官だ。なんていう名前だったか、忘れたが。
確か、いつもこんなゆるい感じだったか。『眠い奴は寝てもいいが、イビキだけはかくな』などと言っていたことがあったな。
「ええと」話しかけようとしたが、教官はただ一言「ついてきなさい」と言ってスタスタと歩いて行った。
理由がわからないので躊躇したが、これはついていくべきなのだろう。
ただ、気になるのは会場に戻る道ではない、別の方向に歩いていく。
振り返った教官は「早くしないか。リュカ・フェリクス・グレイ」と言ったので、仕方なく小走りで付いていった。
なんらかの理由で、別室に呼ばれる、ということか?
変な胸騒ぎがする。
リュカを呼んだ人は?




