第039話 箱庭を捨てる * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
ユスランは、前触れもなく退学したシュライゼや、あれ以来顔を見せないレイのことをあえて話題として取り上げることはなかった。
自分が部屋で暴漢に襲われたことは知っていたようだが、それに関しても事実関係には触れず、『大事に至らなくてよかった』と惻隠の情を見せるにとどまった。
変わらない日常は、もうユスランとの間にしか存在しないのだが、あえてそれを口に出さなくてもいいことが唯一の救いだ。
自分の中では断絶してしまったあの優しい日常が、あの時間のまま続いているかのように錯覚してしまうほど、一定のテンポを保って刻む振り子のように、彼と過ごす毎日はひどく安心感があった。
淡々と器用に動くカトラリーを見つめながら、何も訊ねてこない彼に優しさを感じた。たったそれだけのことなのに、今は何よりも有難い。
放心状態だったためあまり聞こえてなかったが、侍女が何やら自分に話しかけてきていたようだ。
「悪い、なんて?」
聞き返すと、ユスランは「『悪い』じゃないでしょう……。心ここに非ずですね」と指摘した。
合同舞踏会の日が近づいている。
ユスランのお蔭で振る舞いに関しては、一定の習得は出来たが、言葉の使い方はふとした時にやはり地が出てしまう。
選考会への参加は、あの事件で危うくなっているとは思うが、まだ望みを捨てていない。
『一つは、軍事パレード参加の選抜試験は受けること。
二つ目は、迷わず戦い勝ち残ること。』
あのキールという存在が告げた約束は、とても現実味があった。
けれど、余計なことを考え出すと、また深みにはまる。
『……リュカ。お前なら信用できる。俺と一緒に来てくれないか』
息遣いだけがまだ耳元に残っている。
シュライゼが言った途方もない、『今後の事』など全く想像できない。
何のために生きるか。生きることへの意味など今まで一度も考えたことがないからだ。
そして、自分を『欲しい』と言った彼の提案も、知らない人が言った言葉のように思えてくる。
どこから本気でどこまでウソなのか。
自分にはまるで物語を読むような感覚で思い出すしかできなくて、もはや、彼がいたことさえも曖昧になっている。
軽い能天気野郎しか、自分は知らない。
あんな男は知らない……。
机の下で軽く拳を握った。
わかったことは世の中にはロクシア以外にも強者がいっぱいいて、自分は足元にも及ばなかったということ。
自分以外のここに居るすべての者が、与えられて過ごしてきた者だと先入観を持っていたが、それが大きな間違いだったのだ。
『私はお前の知りたいことは、何でも知っている。』
あのキールとか言う存在も……。
知らなければならない。
自分の道を強く生き抜くためには、恐れてはいけない。
「リュカ?」
「ごめんごめん」
最近、ユスランにこういう顔を何回させただろう。
ユスランはどこまで知っているのだろう。
いきなり消えたシュライゼのことを、彼も不思議に思っているはずなのに、何故口に出さないのか。
それが気遣いであればいいが。
この顔も、またフェイクで、
本当は、ユスランも、彼らと同じように別の顔を持った何かで、
それを、自分が知らないだけなのだろうか。
そんなこと……。
「ユスラン……」
「どうしました?」
何気なく顔を上げる。いつものユスランだ。
「……いや」
馬鹿馬鹿しい。
何を気弱になっているんだ。
自分のために強くなると決めたのに、すぐに気持ちは大きくぶれる。
「負けないから」
「え?」
「自分は誰にも負けないから」
宣言する必要はないけれど、
折れてしまいそうな気持ちを立て直すために口に出した。
純粋に与えられた機会に応えて、色々なことを学んで、強くなって、
そしてロクシアと一緒にまた旅をして。
単なるその通過点だった、はずなのに。
もうそれだけではなくなっていた。
この胸の痛みが事実だ。
度々心を過る、軽口をたたき合うようなかつての馬鹿馬鹿しくも楽しい日常が、不自然な今をくっきりと浮き彫りにして、知らないうちに積み重なった時間分の、簡単には割り切れない複雑な思いを生んでいた。
彼らも自分と同じ気持ちで、居てくれていると思っていた。
単なる自分の妄想でしか、なかったのだけど。
自分は挑むようにユスランを見つめた。
すると、彼も姿勢を正して向き合うように真っ直ぐこちらを見た。
漆黒の瞳が、その精悍な顔立ちを引き立てる。
「はい、私も負ける気はありませんよ。リュカ、正々堂々と戦いましょう」
そう言ってからユスランは、優しく微笑んでくれた。
こんなにも、惨めでくだらないことを真剣に悩んでる自分のために。
色々な出来事があった中で、ここにだけに残った学校生活という空気感が愛おしくて、今だけでも大切にしたいと思った。
ダメだ。泣きそうだ。ユスラン。
今の自分を、たった一言のその言葉が、どれだけ救ったかわからない。
今までの彼の優しさも含めて、たとえ、全て嘘だったとしても。
今だけは、この言葉を素直に受け取りたい。
箱庭のような生活が、全て嘘だったとしても。
「……ユスラン。有難う……」
今はこの言葉を返すのが精いっぱいだった。
夜中、意を決してその扉を叩いた。
彼は、自分の知らない何かを知っているはずだから。
何度かノックしたが、誰の応答もない。
自分は知る必要がある。こんな気持ちのままですべて無しには出来ない。強く生きるためには、避けては通れない道だから。
「開けてくれ」
祈るような気持ちでノックを繰り返し暫くすると、あきらめたかのように背後から声がした。
「早く寝なさいよ、こんな時間にやめてくれる?」
振り返り見上げると久しぶりの顔が立っていた。あの件以来初めて対面した。
「レイ」
元々あまり好きではなかったのに、彼の整った顔が懐かしく感じた。
ただ、浮ついた感じがしない表情に、あの日の出来事が本当だったのだと思い知らされた。
単純に、シュライゼとの中に割って入った彼が味方であるとは思っていない。
もう、騙されたくない。そんな気持ちで向き合うと、ため息交じりに言った。
「要があるんでしょ?入りなさい」
美しくも冷めた赤い視線に返す言葉も見当たらないまま、黙ってドアノブに手を掛けた。
「………。」
扉をあけると、驚くべきことに何もなかった。
自分の部屋よりも少し狭い、ただの空間。
「これ……」
「これがあたしの部屋よ」
ここで生活など出来るはずもない。どこか期待をしていた。
全てが嘘で、みんな一緒に卒業して……。
元々そんな終わり方など、なかったのかもしれない。
自嘲的な笑いが込み上げてきた。
レイが瓶を弓なりに投げてきたので、素早くキャッチした。
「あげるわ。ただの水よ。こんなものしかないの。その辺に座って」
何も用意されていない石の床にそのまま座ると震えるほど冷たかった。
レイは窓枠に腰掛けると、向かい合うこともなく温度のない瞳で外の景色を眺めた。
しんと言う音が聞こえるくらいの静けさに、居心地の悪さを感じた。
社交的で、話し言葉は少し変だが、どこか憎めない。
突っかかってくるのに、何故か嫌いになれない。
それがレイだった。
けれど、目の前にいるのは、表情が消えた冷たい印象の美しい男。
彼もまた自分の知らない男だった。
思い返すと出会ったころのレイは、ユスランに付きまとう自分に嫉妬をしていた。
「自分に近づくための狂言だったのかもしれないが……そもそもユスランに興味はなかったのか?」
「興味はあったわ。それなりに」
それなりに…か。正直に答える気なのだろう。
確かにレイとの出会いは、多少強引で不自然だった。
いや、そう考えるとシュライゼも、ユスランも……?全てがウソに思えてくる。
じわじわと心が痛んだ。
とにかく、回りくどい質問をする必要もないらしい。もっと直接的に尋ねることにした。
「あの日……シュライゼが諜報員だとか言っていたけど、正体は、いつから知っていたんだ」
「さぁ?色々な出来事が混ざりあっていたから正直、どこかのスパイであることくらいしか今もわからないわ。
ただあなたを護ろうとしているのか、危害を加えようとしているのか、それとも何か意図があるのか、見極めてる隙に、あたしの目が届かない瞬間を狙って、あんたの部屋に押し入ってまで襲うなんてまさか思ってもみなかったけど。油断したわ」
『でも、やっぱり欲しい。それが俺の結論だ』
嘘か誠か今となってはわからないが、シュライゼが言っていた言葉を考えると、自分を純粋に殺しに来たわけではないようだったが、
信頼できないレイにそれを伝えるのはよそうと思った。
ただ、一つだけ。
「じゃあ……」
一瞬息をひそめて、一番聞きたくないことを聞いた。
「……ユスランも…?」
一拍おいて、レイが淡々と返す。
「あたしが言うのもなんだけど、卑屈にならないことね。彼も一度疑ってはみたけど、あれはシロだわ」
ユスラン……。一瞬で力が抜けそうだった。
彼だけは、違ったのだ。
本当に、よかった。
優しく笑った顔が浮かんだ。
安堵した反面、自分は、あれほど助けてもらったユスランでさえ疑ってしまったという後ろめたい気持ちだけは拭いきれず、自分の頭を強く叩いた。
ごめん……ユスラン。
グイッと貰った水を飲んだ。
沈黙は何も答えてくれない。
だから、聞くしかない。
息を吸い込んだ。
傷つくことを恐れていたら、本当の事は何も見つからない。
「レイは……。シュライゼが言ってた通り、自分を監視しているんだろ?
誰から頼まれている?
なぜ、自分はここに居られる?
お前は…全部知っているんだろ?
教えて、ほしい。自分は何者なんだ」
感情が高ぶって一言で吐き出したが、レイは至って冷静な目のまま、ずっと外を眺めていた。
一度もこちらを見ることもなく、暫く考えてから独り言のように呟いた。
「あなたが何者なのか。実はあたしも調べているところなの。
そして、何も見つからない。それは、異様なことなんだけどね。まぁ、いいわ。
それと、雇い主の件は、時が来たら話すけど、今は言えない。
こっちも仕事だから。悪いわね」
雇い主。仕事。
無機質な言葉に返す言葉が見つからなかった。
想定していたこと。
何も動揺することなどないじゃないか。
「あたしのことは用心棒だと思ってくれたらいいから。けど、ユスラン様には言わないでね」
「…ユスラン様とか…」
「ふふ。気に食わない?」
「そうだな。シュライゼも言っていたけど、もう茶番に付き合うのはよしてくれ。
正直お前の顔も見たくないほど、ハッキリ言って腹が立っている。
シュライゼにも、お前にも、本当に裏切られた気分なんだ。
本当に……」
感情的になっては駄目だとわかってはいたが、抑えきれなかった。これが自分の本心だった。
本当は、茶番でもなんでも、彼らと一緒に過ごすことが楽しかったからだ。
何も返さずに、レイはただ窓の外を見る。
当たり前だ。……裏切るも何も。こんなたわごと、彼には通用しない。
もともと、彼らは目的の上で一緒に居ただけだったのだから。
もう、ガッカリするな。
現実を見る時が来たんだ。
どうすればこっちを向いてくれるかを考えるまでだ。
自分にも、事情がある。レイにはレイの事情があったように。
全てを知らなければ、先に進めない。
これだけは、はっきり決めたのだ。
頭でよく考えるんだ。
彼を手中に収め、情報を引き出す術を。
ロクシアは言った。『混乱している時ほど冷静になるべきだ』と。
彼は仕事なんだ。
自分も生活費を稼ぐために、賃仕事を幼い時からやっていた。
客に合わせる茶番。
レイにとって自分は、任務を遂行するただの対象者。
あの時、貸してくれた肩も、助言も、
誰かから指示された、単なる任務だったということ。
……なんだ、それくらいで、泣きそうになるな。
「……いや、裏切られたと思うのは、自分が甘かったからだ」
心の内を口に出してつぶやいてみると、意外と冷静になれた。
「何も知ろうとしなかった。全て目に見えることだけを信用していたからだ。
あのことがあってから毎日、こんなことばかりを考えている。
レイにとっては馬鹿げているだろうけど、今の自分は所詮こんなものだ」
手を組み合わせた。苛立ちや全ての不安を抱え込むように。
声が震えないように、細心の注意を払った。
「あの時、シュライゼに、『何になるつもりか』と問われた。
『この場所にいて国の犬にでもなるのか』とも言われた。
自分はそんな将来のことさえ考えたこともなかった」
「悪いけど疲れちゃったわ。面白くない話、終わりにしない?」
「レイは何のために仕事をしているんだ。教えてほしい。
生きるためなのか?稼ぐためか?
自分はわからない。
生き抜くためには強くならなければならないとロクシアに言われた。
ロクシアがいなくなったのは、自分が弱いからだと思った。
強くなるにはどうしたらいいんだ?」
「もういいでしょ?質問攻めにも飽きたのよ」
「レイッ!!」
初めてこっちを見た。
レイがイライラしているのは見た目にも痛いほど伝わってきた。
こんな話を聞くのもうっとおしいことも知っていた。
ガキのたわごと。そんなところだろう。
だけど、自分は、必死だった。
真実を掴みたい。それだけだった。
泣くことなどない。あの時のように大泣きなどしない。
レイが自分に向き合ってくれる機会など二度と来ないかもしれない。
だから、今にかけるしかないんだ。
顔をあげて、レイに真正面から挑んだ。
「だから、強くなりたい。やっぱり強くなるしかない。
すべてを受け入れられるほど、運命も変えることが出来るほどに。
レイ。お前は強い。だから、自分に強さを教えてほしい」
「何言ってんの?」
「お前を雇うことは出来ないのか?」
半笑いの顔でこちらを見た。興味を示した顔だ。
「馬鹿馬鹿しい。あなた、あたしを誰だと思ってんの?若造が簡単に言うわね」
「自分は『白金』の持ち主だ。それを譲渡するなとの誓約は聞いていない」
苛立つように歪ませた口に、辛辣な視線でレイはこちらを向く。
「お金の使い道がわからないから、あれはお前にあげる。だから」
「面白いこと言うわね。
けど、ハッキリ言ってあなた、世間知らずすぎるわ。
発行した本人でないことが分かった時点であたしが処罰される。それは誓約じゃなくて『常識』と言うの」
「じゃあ、自分がレイを養えば済むじゃないか」
「ハハハ!何?その発想。もしかして、嫁に来い的なノリ?あたしを金で買おうっての?ガキのくせに、冗談でもやめてほしいわ。
だから、ガキは大嫌いなのよ。世間知らずなガキは特にね。
こう見えてもあたし、女にしか興味はないから、そこんとこ間違えないでよね」
「……そう。なら、話が早い」
「?」
自分は立ち上がって太ももから毒針を出して、服を自分で引きちぎった。
しなやかな胸当ての下にはグルグルと巻きつけらた布をレイにさらした。
それが何を示すかは彼も察したようだ。
レイがこれほど驚いた顔を見せたのは初めてだった。
「女には興味があるんだろう?これなら、お前を買えるか?」
「リュカ……あんた…」
「意外だな。
監視していたにも関わらず、こんなことくらいわからなかったのか?
ということは、お前の飼い主もこの事実は知らないということだな」
動揺したレイをあざ笑うかのように自分は彼を見つめた。
負けられない。
情報を引き出すまでは。
そのためには、持っている数少ない手札を使うしかなかった。
ロクシアは言っていた。
『絶対女であることは悟られるな』と。
その理由はわからない。
けれど、それは広義で自分のために言ってたんだと思う。
それなら、尚更、
自分のために、手札として使うことだって許されるはずだ。
「最悪だわ……本当に」
何を指して、レイがそういったのかはわからない。
赤い瞳が怒りに染まったような気がしたが、着ている上着を脱いで自分にかぶせ、
「自室に帰りなさい」
と静かに告げて突然部屋を出て行った。
そのまま次の日も、レイは『王宮』にも学校にもいなかった。
レイもリュカの性別を知ることに…。




