第037話 混沌の中 * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
月光を背にした大柄な影。
砕かれた窓から差し込む冷たい深夜の気流に、長い赤髪が舞う。
彼を知っている。
自分の中からは、疑問符しか出てこない。
出会った当初、彼は自分に酷く突っかかってきた。自分を目障りだと言って。
じゃあ、何故、助けにきた。
こんな出来過ぎたタイミングで。
レイが、そこに立っていたのだ。
窓側から割ってでも押し入るなど状況的にありえない。
……シュライゼが、自分を狙っているのを、レイは知っていたのか。
いつだったか、訓練場でシュライゼが自分の手を掴みあげた瞬間、彼はタイミングよく割って入ってきた。
ある時は、夜は出て行かないようにと、自分に忠告をしたこともあった。
何気ない日常の一コマに意味を問う隙間もなかった。
全く、真意が見えない。
レイ。お前は何者なんだ。
いや、お前たちは何者だ。
この事態を予想したかのように助けに来たレイ。
レイが助けに来ることを予想していたかのようなシュライゼ。
攻防戦の真っ只中に身を置いて、自分だけ知らされず、その表面的なやり取りだけで居心地のいい穏やかな日常と評した、つい最近までの自分が愚かしい。
何て間抜けで、恥ずかしい。
もう、全てが信じられない。
今出来たことは、両者のにらみ合いをただ茫然と寝そべったまま見上げたことと、
窓の割れた音に反応して皆が騒ぎ出すだろうと、至って冷静に分析しただけだった。
「リュカから離れなさい」
温度のない口調。
シュライゼは飛び起きて短剣を構えるとレイに向き合った。
「救世主のお出ましってか?笑わせるな。変態野郎」
「やっぱりあなたを真っ先に消しておくべきだったようね。減らず口を叩けないように」
両者同じタイミングで踏み込んだ。
長い昆のようなものを持つレイは、あまり見ないような型で向かい合う。
足の運びには無駄がなく、恐ろしいほどに周囲を構う様子を見せない。
お互いの切り込み方は、迷いなく相手を確実に殺せる方法を模索し、手段を選ばないのが見て取れる。
それは、さっきの自分が選択しなかった戦い方だった。
今はっきりと気付いた。
目的のためなら人を殺せる。
それがここにいる3人の共通点かもしれない。
自分だけではなかった。彼らも修羅の中に居たのだ。
見た目が大振りなだけあって、シュライゼが劣性のように見えるが、両者表情は全く変えない。
怖いくらいの武器同士の叩き合いに息を飲んだ。
その一振りで首が飛んでもおかしくない激しさだ。
どちらも冷静で隙がまるでない。
もしかしたら、彼らは互角なのかもしれない。
凶暴な獣なら何を相手にしても自分は勝てる自信があったが、彼らは違う。
洗練された人間と人間の殺し合いだ。一瞬が恐らく死を招く。
自分は、こんな彼らと選抜試験でやり合おうとしていたのか。
速さ、判断力、力。
何一つ勝ち目はないように思う。
圧倒的なレベルの差に愕然とするしかなかった。
どう考えても一介の学生とは思えない。
色々と考える必要がある状況なのに、今彼らから目を離せない。
これが、本当の闘いなのか。
シュライゼから目を離さずにレイが問いかけてきた。
「リュカ、大丈夫?」
「…うん…」
「そう。よかったわ」
寝そべったままの自分は、やっと我に返った。
腕はまだ折れているのかわからないくらい痛いが、乱れた服をなおしてとりあえず立ち上がり剣は持ったものの、構えることが出来なかった。
怖いわけではない。どうするべきか混乱していた。
どっちに剣を向けることもしたくない。ただそんな薄い理由でただ立ち尽くしていた。
「てめぇは最低なゲスだわ。リュカのささやかな希望をいとも簡単に踏みにじるなんてな。
わかってんだろ?こんな夜中にドタバタと。もうしばらくすると色々な奴らがこの部屋に入ってきて、皆まとめて検挙でパーだ」
「その種を蒔いたのはあなたでしょ?寝室にまで忍び込むなんてね。間違いなくゲスはあなたよ。
おとなしくしてくれてたら、もうしばらく泳がせてあげていたのに。
それに、なに?あなたも軍事パレードなんかには興味なかったんじゃないの?茶番にまで付き合うなんて、諜報員もよっぽど暇なのね」
諜報員?シュライゼが?
「そんな情報どこから掴んだんだか。お前も同じようなもんじゃねぇの??どこの飼い犬かしんねぇけど、ガキの子守とか全く持って異様だよ。
チョロチョロとどこにでも付いてきやがって、挙句殆ど寝ずに監視なんて変態過ぎるぜ。
お前一人がこいつの正体知ってるってわけ??ホント、お前ほどの茶番はいねぇだろ。
まぁ、お前の登場で、すべてが台無しになったんだが」
ガキの子守?自分の事か。
何故、レイが……自分を監視。
「それはよかったわ。いっそ、全て無しにしましょうか。
アンタの存在諸共な!!」
冷酷な音程で言うと、レイは背筋を伸ばして昆を振り下ろす。
空を斬るその音に息を飲んだ。全てを叩き割るように部屋が揺れた。
これが、あの、レイ?
何て力。圧倒的な強さ。
「チッ。容赦ねぇな…」
寝台も真っ二つになってしまった。
当たってはないのに、シュライゼはどこかを掠ったのか血がぽたぽたとたらしたが、片手で乱暴にそれを拭うと、ようやく腰を下ろし、まともに向き合うような恰好になった。
すると、
?!
彼はお構いなく短剣を捨てた。
一瞬、見えないくらいの速さでレイに近づき、姿勢よく、脱力したその様子でスルスルと間合いに入る。
見たこともない異様な戦い方だ。リーチの長い昆を交わすと手を取ろうと踏み込み、また素早く交わす。レイもそれを許さないが、体を張った危険な行為だ。
それはシュライゼが身のこなしに絶対の自信があるからだろう。まともに当たると死亡確定なのだから。
自分はあの恐ろしい動きの間合いに素手で入るなど絶対しようと思わない。
殆ど、自殺行為だ。
「殺人格闘術ね。初めて見たわ」
「そりゃどうも。しかしそんな余裕な返しされると、俺のささやかなプライドも折れるわ」
強い…。互いの動きが読めない。ただ力が強いだけでない、匠の動き。剣闘場でもこんな戦い方の者はいなかった。
恐らくどちらも、訓練された戦闘のプロであることは間違いない。
すると廊下側からバタバタと足音がなり、部屋に大勢の人が近づいてくるのがわかった。
「……もう、おしまいか、案外呆気ないな」
シュライゼはふっと柔らかな笑みを見せた。
いとも簡単に、昆の攻撃をすり抜けて窓に駆けよると、振り返って自分に一言放った。
「リュカ。忘れないでくれ。
今度会えた時は必ず、俺を選べ」
そして、そこから、飛び降りた。
「シュライゼッ!!」
走って駆け寄ったが、真っ暗な夜の林に彼の姿は全く見えなかった。
ここから落ちるなんて。死んでしまうかもしれない。
彼は、どうして。
『お前が欲しい』などと言う、諜報員の男など、自分は知らない。
涙が溢れてきた。理由はわかっていた。
情けない。
うるさい毎日だったが、そのゆるい日常が大好きだったからだ。
全てが薙ぎ払われ、ガラクタばかりが散乱した荒れた部屋に崩れ落ちた。
もう、彼は、自分たちの『優しい日常』にかえってこない。
その事実が、辛くて泣いたんだ。
自分だけ、知らないことが多すぎる。
レイが自分を強く引き寄せ、子供をあやすような手つきで髪を撫でた。
ただ、その体温が温か過ぎて、自分は縋り付いて大声で泣いた。
この日を境に、シュライゼはこの学校から消えた。
レイと自分への処分は、暴漢から襲われた際の正当防衛と判断され一時的な謹慎となり、ユスランへもシュライゼに襲われたという事実を伏せた。
シュライゼが何故いなくなったか知る者は、レイと自分だけだ。
軍事パレード選考会参加に関しては、恐らく難しいだろうが現在審議中とされている。
今は何も考えることが出来ない。
レイも、『その内話す』と言い、あれから会っていない。
『自分が』『何のため』に生きるのか。など、考えたこともなかった。
『彼らが』『何のため』に生きているのか。など、考えたこともなかった。
自分は知ろうともしなかった。
血と泥に塗れた自分と優秀な彼らとの違いについて思い悩んだあの瞬間は、所詮自分のためのものだった。
彼らも血に塗れて、自分の知らない何かのために生きていたのだ。
その格差なんて、自分の心が作った紛い物でしかなかった。
結果、優しい時間は過ぎたのだ。
ずっと、このままで居たいと思っていた。あれはまやかしの日々だったというのに。
ロクシアの事も。
居なくなってその大切さを痛感した。
自分は、また繰り返してしまったようだ。
愚かな人間だ。
本当に、救いようのない馬鹿だ。
大切だと言いながら、自分は何も見ようとしなかったんだ。
軽そうな口調の騒がしい彼も、違う表情を見せていた瞬間はあった。
名も知らない村の風景を眺めながら『懐かしい』と微妙な顔をした。
自分の訓練場に来ては、無駄口も叩かずただのんびり過ごしていた時、彼は『落ち着く』と言った。
自分に見せた彼は、本当の彼だったのか。
本当の彼はどこに居たんだ。
自分はまだ、失踪したロクシアを闇の中に追いかけた、
あの日のような混沌とした渦の中に居た。
レイもただの学生ではないことが発覚しました。




