第023話 貧民旅行 * 海辺の街ルフラン〈リュカ〉
リュカ目線。
じいさんが涙を眼に浮かべながら、巾着を受け取ったが、目の端に映る黒い人影が物騒でチラチラと気にしている様子がうかがえる。
当然だろう。明らかに不審者だ。
「……若者よ。お礼に渡すものもがないんじゃ……」
「いや、こちらも勝手にしたことだから気にするな。だが、次はないと思え」
「……ありがとうございます。ありがとうございます……」
カサカサの手を摩り拝まれている間、無言で隣の男は不思議そうに見ていたが、一言も言葉を発しなかった。
シュライゼなら恐らくかぶせて何か馬鹿げたことを言ったに違いないが。
その場を離れてから男は暢気に言った。
「次の用事は何だ」
立ち止まって、とりあえず向き合った。
レイと同じくらいの身長か。黒い服装に威圧感があるな。
「ずっと、言おうと思っていたんだが」
「なんだ?」
「お前は一体どこまでついてくる気だ。同行を許可した覚えはない、邪魔だ」
顔一つくらい上にある身長を見上げるのが気に食わない。
更に、変に目立つ真っ黒の衣装と一緒に歩くのも勘弁したい。それに暑くはないのだろうか。色々目につくところがあり過ぎる。
それに、折角、一人旅を満喫しようとしているのに。
「さっきからイライラし過ぎだろう」
イライラさせているのは、誰だ。
と言おうとしたが、男を見上げると笑顔を浮かべていた。
………。
一瞬フードの中の目が合った気がした。
「そう怖い顔をするな」
怖い顔。……まぁ、そうかもしれんな。
亡霊のように立つこの黒装束の男に何か危害を加えられたかと言われるとそういう訳でもない。
確かに、先ほどからイライラしていることは否めない。蒸し暑い気候のせいか、考えれば初対面だ。
無礼な言い方が多かったようにも思えるな、とあれこれ考えながら口を噤むと男は、「驚くほど素直だな」と小さく笑った。
『旅は道連れと聞く。お前の今日の目的に付き合わせてくれないか。面白そうだからな。
そのかわり、お代は全て俺が支払う。これで文句はなかろう』
いや、こちらとしては全く文句はないが。
成り行き的に、金持ちの道楽か。それと、巾着を取り返した礼のつもりか。
路銀を稼ぐ時間も短くなることを考えると、好意を受け入れた方が効率的なのは確かだが、
彼に全くメリットがあるとは思えない取引だな。
何だこの違和感は。
その言葉に甘えたことは選択ミスか、自由な観光が一変。
知らない全身黒ずくめの怪しげな男のオプションが付いた。
「こっちだ」
「引っ張るな。服が伸びるだろう」
黒ずくめの男がとりあえず「腹ごしらえがしたい」と入りそうになったのが、かなり立派な建物だったので、引きずってその辺の屋台へ無理矢理変更した。
旦那が「何にします?」と聞いてきたので、「新鮮な魚の煮つけがあれば2人分頼もう」と勝手に頼んだ。
不服そうな黒い男は落ち着かない様子だったため言ってやった。
「自分と旅をしたいと言ったのはお前だ。食べたくないのなら食べなくていい。
……それに言っておくが、これはイライラしているのではない、単なる提案だ」
自分には最終手段である『白金』の証明書があるのだ。最悪申し訳ないがそれを利用することもできる。
あんな調子で男のペースに乗せられて、大切な時間を無駄にすることだけは勘弁したい。
貴重な休暇。限られた時間内にやるべきことを済ませる必要もあるのだ。
それゆえこれは『自分の旅だ』とハッキリさせる必要があった。
反論してくるかと思いきや、男は一呼吸おいてからプッと吹き出したように笑うと「なるほど、提案か。確かにな!」と楽しげに返してきた。
妙なところで笑う。
……さっきから調子を狂わされてばかりだ。
差し出された器に少々変わった形の大振りな魚が二匹盛られている。
凶悪な歯に飛び出しかけた目。見た目は少し悪いが、香しい独特の香草の香りが鼻腔をくすぐる。
添えられた薄いパンのような生地にその身を巻いて煮汁に少し浸し、口に入れると自然な甘みが広がった。
「この魚、一旦蒸してるのか。とてもおいしいな」
旦那にそう声をかけると、嬉しそうにニタっと笑って言った。
「よくわかったね!いい舌してるな。いいお嫁さんになるよ」
嫁……。
その返答に固まっている間、黒い男も見よう見まねで魚に口をつけたようだ。
「この見た目では一生食べることもないだろうが、味はなかなかだ」
褒めてるのかどうかは微妙だが、嬉しそうに手をつけるところを見ると彼なりの褒め言葉なのだろう。
「ぬ。なんだこの硬いのは」
男は口から取り出した骨を持ち上げてつぶやく。
「何って、骨だろう」
「魚は骨があるのか」
何を言ってるんだ。
自分も常識知らずだと学校では言われ続けていたが、世間にはこういう男もいるのか。
この男より、自分の方がはるかに常識人だと言える。その男の戸惑った様子に、ふと自然に笑みが漏れた。
「ほら、貸せ」
食べづらそうにしている様子を見るに見かねて、骨と身を切り分けてあげると満足そうな様子で平らげた。
愛嬌があるじゃないか。
次は武器屋に寄った。老舗の武器屋だそうで、値段も少し高めだった。
探すと他にも武器屋はあるのだろうが、品物を吟味する時間を考えるとここで決めることにした。
この男の前で胸当てを見せてくれというのも気が引けるが、今日を逃すといつになるかわからない。
「一番安いので結構だが、大きさは一度試してみたい」
そういうと黒ずくめの男は横から店主に訂正した。
「否、この店で一番動きやすく軽量なものを持ってこい。もちろん耐久性に優れているものだ」
「ですが……これほどかかりますが」
店主が男に向けて指で示す数字が如何程か、桁も自分にはわからなかったが、男は「問題ない」と告げたため、目を見張った様子で只今!と足早に階段を駆け上がって行った。
すぐさま持ち出してきた重厚な箱を開けると、眩さで目がくらむような光を放つそれは見たこともない繊細な作りだった。
これが、今自分が着ているものと同じ用途のものか……。
手触りも優しくこんな上等な鋼を見たことがない。
「これは王族に縁のある上級士官へ献上されることもあり、また近衛でも採用されたこともある程の特級品でございますが、一番小さな型でもこちらになります」
「うむ、体に合わせた加工は出来ないのか」
「可能ですがそれですと、これくらい上乗せになります。最短で翌朝には可能かと」
いや、ちょっと待ってくれ。
「話が勝手に進んでいる中申し訳ないが、自分はこのような特級品でなくとも…」と言いかけたが、男はその会話を遮った。
「では、これを奥の部屋で試して来い」
いつもより驚く程軽いそれを強引に手渡される。
「いや、だから」
「同じことを何度も言わせるな」
黒いフードから少し除くロクシアに似た目力に、有無を言えず素直にそれを受け取ってしまった。
なんてことだ。ここで見知らぬ男に大きな借りを作ってしまった。
「……本当によかったのか」
明日、朝に宿泊先まで持ち込んでくれるということになったのだが、相当な札束が消えていったのをこの目で見てしまった。
「問題ないと言っているだろう。諄いな。気に入らなかったのか?」
「いや、自分には、勿体ない」
「それならブツブツ言うな」
「……ありがとう。大切にする」
「それでいい」
男は満足げに笑った。
それに一つ気になったことがあった。
「普通お金持ちは現金で払わないと聞いたが、お前は違うんだな」
「変なことを聞く。その方が店側にとっても資金効率面で得だからな。俺はそうしている」
この男は商人なのだろうか。店側のことなど今まで考えたこともなかった。
見方を変えると、そうか。
「なるほど。お前は知らないことをよく知っているな。確かにすぐ現金が入るに越したことはない」
「お前は変な奴だな」
「変とは失礼だな」
すると男はまた楽しげに笑う。
「いや、褒め言葉だ」
黒いフードで表情はあまりわからないが楽しそうに見える。
それは自分と同じ気持ちであってほしいと思うからかもしれないが。
歩きながら他愛もない会話をしていると、男は人だかりに注目して聞いてきた。
「あれはなんだ」
奇抜な恰好で呼び込みをする屈強な男が二人立っている。
今でも剣闘場はあるのか。
怖いもの見たさの趣味の悪い大人が列を作っている。
あの中で繰り返されている生き死にを一時の娯楽に費やす下賤な者たちだ。
思い出したくもないことを思い出させる。沈みそうになる気持ちを紛らわせるためにはっきりと返答した。
「人や獣が殺し合うところだ。……行こう」
「それを見世物にするのか」
「うん。大きい街には必ずあるものだ。さぁ、早く行こう。自分は好かん」
振り返ることもなく先を急いだ。
男は長い溜息をついて足早になった自分との距離を縮めた。
次の用事は正装を購入することだ。
ユスランが地図に印をつけた店へと向かった。先ほどの武器屋のようなことがないように、多少厳しめ警告した。
巾着のお礼と言えど、旅を共にすることとあの金額では割に合わない。
ロクシアの考えに反するため、『どうしても正装は自分でどうにかする』と言って、とりあえず適当な正装を見繕った。
安すぎると恐らく何度も購入する羽目になると考え、長く着れそうな物をあつらえた。
申し訳ないが、ここは例の証明書を使用させて頂いた。
用事は済んだので大通りを奥に入った簡単な喫茶にはいることにした。
あまりにも安い飲み物は舌に合わないだろうと感じたので、彼には上等な紅茶を自分は水を注文した。
「何故お前と違うのだ」
「自分はこれで十分だからだ」
注文されたものを巡って小競り合いになったが、最終的に男は意地を張って水を飲み、自分は飲んだこともないような香りの飲み物の思わぬ恩恵を受け、少し感動した。
日が傾きかけている。差し込む光が夕方の色をしていた。
甘めで贅沢な紅茶を飲みながら幸せに浸っていると、黒ずくめの男は自分を見ていたことに気付いた。
「なんだ?」
目をそらさないまま、まっすぐ見つめて言う。
「ずっと不思議に思っていたのだが」
というと肘をつきながら淡々と訊ねてきた。
「お前は、何故男のなりをしているのだ。正装も男物を選んでいただろう」
!?
「……コホっコホっ…、…いや。男だからだ」
突然何を言い出すんだ。この男は。
吹き出しそうになる紅茶を手前で押し込んで男を見ると、そのままじっと自分を見つめてきた。
「ふむ。女が好きと言う人種か」
なんだそれは?
「女はバカばかりと思っていたが、お前は面白いな」
「だから、言っているだろう、自分は」
「あまり似合わないぞ」
紅茶の器を持つ手に、男は突然触れたので手をひこうとしたが、逆の手で器を取られて、強引に手を引っ張られた。
「なにを!」
とっさに反対側の手で腰に携えた剣に手をかけたが、特に何もしかけてこない。
ただ男は自分の手をマジマジと見つめただけだった。
「……。」
フードの影に隠された男の表情はあまりつかめない。
冷たい手だが、力を加減しているような優しい手つきだ。
シュライゼに引っ手繰られたあの時とは全く違う。
ただ手を掴まれているだけなのに、何故かとてつもなく居心地が悪い。
「剣を持つ手か。お前は一体何者だ。この国は女まで徴兵し、かり出すのか」
見つめるその目は、今までと違って暗い色がにじんでいるように感じた。
「いや違う、自分は男として…」
すると男は口の片端を上げた。
「『男として』な」
はめられた。
自分の見開く目に、男は満足そうに笑みを浮かべた。
「俺には女にしか見えない」
自分を女と知るのは、この世で3人目か?
もう出会うこともない男だから、いいか。
もう、会うこともないのだから。
長い溜息をついた後、観念することにした。
「……自分で決めた道だ。それより、…て、手を、放してくれ」
冷えた男の手はそのまま引かれた。ロクシアのごつごつした手ではない。温度は低かったが剣を持たない優しい手だった。
「面白い女だ。お前が望むなら国に連れて帰りたい。思う存分贅沢をさせてやろう」
「いや、それはできない」
即答した。ロクシアに、ミネアに、送り出してくれた村の皆、そしてジョイに、言える言葉がなくなるから、それだけは絶対できない。
「申し出だけは、有難く受け取っておく…」
何故か顔が火照っているのがわかる。何か、落ち着かないな。
フフっと男は笑うと「変な女だ」と頬杖をついた。
「これからの予定は?」
「いや、まだ考えていない。お蔭で用事は一通り終わった」
すると男は頬杖をつきながら提案した。
「なら観光はこれからだな。
お前の旅もなかなか楽しかったが、これからは俺の旅に付き合え。
今までそんな道化はしたことがないが、今日はお前の召使にでもなってやろう」
「は?」
よくわからない言い回しに、『とりあえずあまり人と関わったことがないため意味が正確に理解出来ない』とだけを伝えると、男は呆然とした様子で、「とにかくついてこいということだ」と早口で返した。
どうせ、用事も終わったことだし断る理由もない。
「わかった。同行しよう」




