第011話 夕暮れと自主練 * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
ハルネス寮通称『王宮』から学校までの続く道の途中に脇へそれる獣道があり、背丈ほどの雑草をかき分けると少し開けた空間に出る。
ここは、毎日学校が終わった後、王宮からこっそり拝借した草刈り機などで体裁を整え作り上げた苦労の賜物あり、学校や王宮よりも落ち着ける自分専用のお気に入りの『訓練場』だ。
他の寮生はこんな獣道へ足を踏み入れることもないので、誰にも訓練を邪魔されることはない。煩わしさがない点もいいが、何より素晴らしいのはこの絶景だ。
高台に位置するこの場所から見下ろすと、山肌に小さい集落があるのだろう。色とりどりの屋根や畑が連なって見える。レイモンド村で見張り台から見下ろす景色とよく似た、穏やかな日常が真下に広がっているのだ。
畑を耕したり、水を汲みに行くのか甕を沢山持った列が行き来したり。小さく忙しなく動くのは『人』だ。
人の動きを観察するのは、全く別の生活を想像するようでワクワクする。
自分に課した毎日の訓練はつらいが、この穏やかな時間だけでも日常を忘れることが出来た。
後、10回……。滴ってくる汗が地面にポツポツと黒いしみをつける。
学校が終わり日暮れになると皆はそれぞれの時間を楽しんでいるが、自分はここで無心で訓練を続けることが日課となっている。
お守り代わりに持つミネアからもらった短剣は使わないが、肌身離さず腰に下げて、訓練前と後に「頑張って強くなるから」とそれに念を込める。
自分を送り出してもらったミネアの恩を忘れる訳にはいかない。
そして、ロクシアが認めてくれるくらいの一人前の軍人になって、姿を見せてくれる日が来るまで、誰にも負ける訳にはいかない。
自分は他の皆とは違う。人一倍の努力が必要なのだ。
同じことをしていては淘汰される存在だから。
そんな風なことを何度も言い聞かせながら訓練を続ける。
後、5回。重力に逆らうことが段々きつくなってきた頃。
「精が出るねぇ」
突然上から能天気な声が降ってきた。
「!」
腕立てを中断して顔を上げると、ニカっとシュライゼが笑った。
「お疲れちゃん」
「・・・・。」
最悪だ。最近シュライゼは自分を見つけると必ず寄ってきて、あれやこれやと話をしてくるとても面倒な存在で、正直彼にこの場所は一番知られたくなかった。
後悔しても仕方がないが、どうやらうまく撒けていなかったらしい。
折角開墾したこの場所も、安らげる訓練場ではなくなってしまう。
「すげーいい場所。俺もこういうとこ好き」
ため息しか出ない。とりあえず衣服を整えて次の訓練を始めた。
「足、持ってやろうか?」
「結構だ」
「あっそ」
シュライゼは隣でバサッと寝転んで空を見上げてから、しばらくするとムクムク起き上がって胡坐をかいて下に広がる村の様子を眺めていた。
気が散ると思いながらも、優先すべきは訓練だ。構わないでおこうと判断した。
「こんな場所あったなんて知らなかったー。俺、村の風景って好きだわ」
『あった』じゃなくて、自分が『作った』のだ。
腹の中では訂正したが、逆に矢のように返されると集中できないので、一人しゃべり続けるシュライゼの言葉を聞きながら腹筋に没頭しているフリをした。
「治水整備がされてないんだろうな。水を下流の沢まで汲みに行ってる。
けど、なんか懐かしい」
懐かしい?都会的な雰囲気がするシュライゼだが、故郷は田舎なのだろうか。
お腹の筋肉がきしみ始めた頃、彼は無意識かぽつりと言った。
「遊んで、喧嘩して、はしゃぎ回って、ずっとそんなことしてたかったな」
最後の一回を終わらしてから、シュライゼの方を見るとニカっと笑った。
「リュカって、田舎の出身なんだって?」
「ハァ…ハァ…、出身って、わけじゃない…」
「どこ?」
「……知らないと思う。ハァ…国境の村、…レイモンド村、ってとこ…」
「へぇ、知らないな。どんなとこ?」
「…まぁ、いい村だ。……一生住んでたいとも、思った」
くたくたになって空を眺めると、シュライゼも同じように長い脚を目いっぱいに伸ばして大の字に寝転がった。
風が気持ちいい。山へ帰る鳥達が遠くかすめ飛んでいった。
あのジョイと見た空と同じような、晴天とまではいかない空に赤みが射して、夕暮れの時を告げる。
信頼できるミネアがいて、村の人たちも優しい。田んぼや畑を耕し、お金を稼ぐために汚いことをしなくても、食べることに苦労はしない。
あの頃の自分にとっては経験したことのない豊かな暮らしだった。
収穫期の金色の景色は感動するくらい美しくて、ロクシアにも見せたかった。
ずっと、一緒に、村で暮らしたかった。
「なに?ホームシック?」
横を見ると、シュライゼはニヤニヤした顔でこちらを見ていた。
気に食わなかったので、別に興味もなかったが聞き返した。
「で、お前の故郷は?」
「え?」
「いいとこ、なんだろ?」
顔だけこっちを向けたシュライゼの顔が少し曇ったような気がしたが、こちらから『どうした』と訊くこともない。
「ひみつ」
どこまでも腹の立つ男だ。
また腑抜けたような顔に戻ると、そこに座りなおした。
「またここに来ようっと!」
「絶対来るな」
腰に巻きつけた手ぬぐいで顔を拭きながら起き上がると、シュライゼはすぐ隣に中腰になり話しかけてきた。
「先輩に対してそんなつれない態度はないっしょ。
実は、こんなおいしそうなもの持ってきてやったのに」
今までどこに隠していたのか、手品のようにヒョイっと後ろから差し出したものに釘付けになる。
まだ出来立てであることを湯気で主張している柔らかなお菓子が、紙にくるまれ甘い香りを漂わせている。
……ファオンか……。
今まで本当に美味しい物を知らなかったようだ。
このファオンという食べ物は始めユスランからもらったのだが、一口食べた瞬間から虜になってしまった。
柔らかい生地の中に、ジャムのようにペースト状にまでなっていない砂糖で煮た、ざく切りの果肉がゴロゴロと入っていて、食べた瞬間甘いけど程よい酸味が口の中に広がる。
内側のジャムを吸い込んだ生地の部分がなんとも絶妙で、一口食べると止まらなくなる美味しさだ。
絶対、ロクシアに食べさせてあげたい!感動して作り方を侍女に聞いて必死にメモを取っていたのだが、その様子をシュライゼに盗み見られて、それ以降何故か日替わりで色々なお菓子を持ってくるようになった。
甘い物を食べすぎると太るということもユスランから聞いたので、もしかするとこれは嫌がらせの一種ではないかと疑念を抱くようになった今日この頃だが。
確かに、訓練を怠けているわけではないが、若干体が重くなった気がするのだ。
ご褒美だと思えば……。
目があったシュライゼが満面の笑みを向けた。
………。
「また、食べたんですか?」
綺麗に背筋を伸ばしたユスランは少しずつ料理を口元に運びながら肩でため息をついた。
いつも食事は料理人によって献立が決められているが、食べたいものがあれば事前に予約しておくと自分専用に用意してくれるらしい。
王宮の人間は頻繁に利用しているそんな制度も、当然自分は利用したことなどないが、目の前に座るユスランも他の贅沢者達とは違い、意外と倹約家なようで、決められた献立以外をわざわざ注文することはない。
必要以上を欲しないし、好き嫌いを言わない。
自然で慎ましい態度が余計に品格を持って見せるのだろう。
それにこの『王宮』以外に住まう一般の学生も、こういったユスランの必要以上をあえて求めない姿勢に好感を持っているようだし、身近にいる自分としても育ちは全く違うのだが、彼のそういうところが落ち着けたりする。
「お注ぎしましょうか?」
侍女がにこやかに水を掲げたが、ユスランは軽く会釈をして告げた。
「ありがとう。私は結構。彼に注いであげてください」
すると、畏まりましたと自分のグラスに水を注いだ。
「ありがとう」
礼を言うと侍女はすぐに去るかと思いきや「………あ、あの」と待機姿勢のまま言いづらそうに声をかけてきた。
侍女が話しかけてくることなどあまりないので驚いて見上げたが、それに逆に恐縮したのか一瞬後ずさりながら質問をした。
「リュカ様。あの、今日のお料理は、お口に合いませんでしたでしょうか」
「………。」
「いつもはとてもお幸せそうにお召し上がりになられているもので、つい……」
よく見られているものだ。
今日はアレを食べてしまったため、食欲が起こらず手が止まったままだった。
目の前にこれほど美味しそうなものがずらりと並べてられているのに、なんと贅沢な話なんだ。ロクシアに言ったら怒られるだろう。
「違うんだ、美味しいんだけど、調子が悪くて」
「そうなのですか?!大変です。でしたら別にお口に合う物をご所望いただければ……」
「いや、あの、そういう意味じゃなくて」
慌てる自分の隣から、すっと片手を上げてユスランはきっぱりと侍女に告げた。
「彼は夕飯前にお菓子を食べてお腹がいっぱいなのです」
なにも、そこまでハッキリ言わなくてもいいではないか。
子供みたいにお腹が空いてどうしようもなく我慢が出来なかったような言い方に頬が赤くなった。
「まぁ。そうでしたか!それは失礼致しました。では、引き続きごゆっくりお食事をお楽しみください」
恥じらうように微笑む侍女は、何故か少し満足げに席を離れた。
「そんなにはっきりと言う必要ないだろ。恥ずかしいな」
「本当のことでしょう。それに、心配していたみたいですから」
心配ね。
確かに、仕事としてもかなり行き届いている。
先程の侍女をもう一度見た。自分と同い年くらいだろうか。ここの侍女は服装も清潔感があり、誰もが美しい。
こういったきめ細やか過ぎる接待も、初めはどうしていいものかわからなかったが、今はユスランのお蔭で慣れてきた。
「これは美味しいですよ」
「あ。うん……」
最近、夕飯は3人で食べることが習慣になった。
ユスランは誰かと食事を共にする習慣はなかったようだが、ここでのルールがあまりわからない自分に、彼が何かと世話を焼いてくれていた流れで一緒に食べるようになったのだ。
案の定、おまけという形でシュライゼも強引に輪の中に入ってきたのだが。
特に、3人で居る時は他の寮生からの視線は強く感じるが、もう慣れた。
2人は何もしなくても目立つ存在だから仕方のないことだろう。
嫌な目つきではないが、今もやり取りを盗み見られている気配を感じる。
それよりも。
これを完食する勢いをつけるために一旦口に水を含んだが、ため息しか出ない。
グラスを静かに置くと、ユスランはじっとこちらを見ていた。
「まったくしょうがないですね。体を作るにはバランスのとれた食事ですよ?
甘い物ばかり食べて夕食を摂らないというのは体によくない。
それに折角用意してくださった方に申し訳ないとは思いませんか?」
いつも痛いところをついてくる。
言い方は全く違うが、説教くさいところはまるでロクシアみたいだ。
一方シュライゼは一緒にファオンを食べたのに、別腹とか言ってまた『おかわり』に行った。
別に席を立たずとも呼べば料理を運んできてくれるというのに、あの男の腹の中は底なしなのか、食に関して卑し過ぎるのだ。
それに比べ、自分の食の細さをこれほど嘆く日が来るなど思いもよらなかった。
「全くだ、いつもユスランの言う通りだ」
深く反省している。もう誘惑には負けまいと。
「あなたが悪いんですよ?」
大量の戦利品を持って帰ってきたシュライゼを見ずにユスランは釘を刺すと、どかっと席に座るや否や口に料理を駆け込みながら返した。
「こいつが食べたいっつったから好意であげたのに、お礼を言われても怒られる筋合いはないんじゃね?」
口に物を入れたままで話す彼に、ユスランは何か言いたげな顔をしたがそれには触れずに返した。
「大体、毎日毎日リュカに甘い物をあげたりして。一体何が目的なんです?」
「目的?」
真剣そうに顔を上げたが、すぐにニヤっといやらしく笑った。
「だってさぁ、こいつめっちゃ幸せそうな顔で食べるじゃん。なんか小動物にエサやってるみたいな感じで」
小動物にエサだと?
「ホレ食えホレ食えみたいな。マジ可愛いの」
コホンと咳払いするユスランも「それはわからなくもないですけど……」と小声でつぶやく。
なにか、この二人に遊ばれていないか。
「もう甘い物は食べないから、シュライゼ、絶対持ってくるなよ」
そう決めればいいんだ。
ごちそうさまと席を立とうとするとシュライゼは「なんか怒ってんの?」と声をかけてきたが無視だ。
これから夜の訓練でもう一度湖のほとりを30周と素振りが待っている。
甘い物を食べたから今日は寝る前の腹筋を倍の回数にするか……。
と昔からの癖で食器を運ぼうとすると、突然、目の前に大柄な男が立ちはだかった。
なんだ?
恐らくシュライゼやユスランと同じくらいの身長だろう。
顔を見上げると、男は隙のなさそうな美しい顔立ちで若干化粧をしているように見えた。
結われた髪も艶がよい赤褐色で同じ色の瞳が光の加減では真っ赤に見える。
右に逸れようとすると同じように右に来て、左に逸れようとすると同じく左に立ちはだかる。
この繰り返しを2回程した結果、何か自分に用事があるのか口を開こうとした瞬間、その男は美しく整えられた眉をゆがめた。
「あなたがリュカね。ようやく会えたわ」
話し方が独特で、見た目との違和感がある。
「どんなに可愛い子かと思ったら、あたしの方が断然綺麗じゃない」
………なんて?
またおかしな人が出てきたと、第六感が告げた。




