第119話 許し * 田舎町〈レイ〉
レイ目線。
今回もソフトですがR指定な内容が若干含まれます。
苦手な人はすっ飛ばしてください。
今回同様、次回冒頭にあらすじ書きます。
▼前回のあらすじ
突然レヴィストロースより屋敷への帰還を命じられたレイは、リュカが気になりつつも学校を後にする。
この機会にリュカの薬を調達するために、とある田舎町へ立ち寄ることとする。
一昔前訪れた時よりも荒廃した田舎町。商店の女は『ここに薬はない。町は物騒だから早く出た方がいい』と助言する。
女は認知症と思しき老人を介護しているのか疲れた様子を伺わせていた。
この町が荒廃した理由について町長は税が上がったことが原因だと立ち話をしている際に、突然賊の流入の知らせが入る。
向かった町長は敢え無く捕まり、賊は町人に対して金品を持ってくるように通達する。
レイを匿うために出てきていた女に、浮ついた賊の一人が手を出そうとした時、女が面倒を見ている老人がわけもわからず家から出てくる。
老人が剣を携える賊を認識した時、一瞬正気に戻ったかのように、女が襲われていると必死に拳で応戦しようするが、すぐに斬り殺される。
目の前で起こった出来事に、レイは昔ヤンギスタが殺された瞬間を思い出して、錯乱する。
気付くと、レイは浮ついた賊を惨殺していた。その常軌を逸した所業に賊は恐れを抱き、町に手をださないと言い残し去って行った。
あの女の爺さんを簡単に埋葬した後、俺は町を離れる気だったのだが、町長や他の町人から賊を追い払ってくれたことへの礼をしたいと言われ、町の集会場に連れて行かれると質素な宴が開かれた。
ここからレヴィストロースの家まではまだ少し距離がある。野宿がいいかと問われると建物の中で休みたいに違いはないが、こういう『もてなし』を受けることは好まない。
しかも、宴と言えば酒だろうが、俺からすると味もないといえるほど度数の低い酒しかない。これでは浴びるほど飲んでも酔えんだろ。
それに頑張って持ち寄ったであろう食事を前に、子供たちは涎を垂らしているのが全く持って不憫だった。寮の食事をここで出してみろ。大人も交えた争奪戦が始まるだろうな。
俺は色々な出来事に食欲も湧かず少し手を付けただけで、無駄にしないよう皆で食べてくれと告げると、子供たちは思わぬ食卓に目を輝かせてがっついた。
……これを見てる方が、何倍も幸せだと思える。
色々な者から声をかけられ、正直うんざりだったが、周りの者も普段はあまり酒を口にしないのか、驚くことにあんな薄い酒で酔いつぶれている者も多く、中盤に差し掛かる頃には単純に久しぶりの宴を楽しんでいるようで、俺に注目する者もいなくなっていた。
子供らはある程度の時間に差し掛かると、料理を持ってきた女たちと共に家に帰り、男共はその辺りで雑魚寝を始めた。
俺は酔えない酒に口を付けながら、他人事のように雑多な宴を眺めていた。
確かあれは軍事パレード選考会参加の宴だったか。
学生に扮した偽りだらけの俺と、あのシュライゼという諜報員もいた。今となっては大昔のことのようだ。
ユスランはあんな酒ばかり飲んでいるのか、あれは恐らくリンツ産だろう。急遽決定したにも関わらず上等な酒をかなりの本数用意した。あの時、居室の広さも内装も含めて、こいつは本物の坊ちゃんだと思ったな。
俺とシュライゼは、あいつが席を外した瞬間、ここぞとばかりに浴びるようにそれらを飲み尽くしてやった。
女慣れしていない、男ばかりの兄弟で育ったサラブレッド。男娼時代だったら間違いなくカモにする男だろう。
だが、油断も隙もない。過って酒を食らって眠りこけたリュカにあいつは手を出そうとした。
危害を加えようといったものではなかったが、あの頃からあいつが気に入らなかった。
セブシェーンという大きな盾に守られ、不自由なく、その手を何にも汚すこともなく、秩序と正義に満ちた穢れの知らない紳士としてお育ちになった。
子供相手に敵対する気持ちはさらさらなかったが、護衛としてリュカを追いかけなければならない状況で何を思ったか、俺を刺客と勘違いし足止めするように剣を向けた時は正直ブチ殺してやろうかと思ったが、大人げない対応は出来ない。
後日『ちょっとユスランを脅してやった』とリュカに告げるとかなりご立腹だったため危害を加えなくて正解だったのだが、少しくらい痛い目を見せてやりたいというのが本心だ。
生い立ちの違いを羨むところもないとは言えない。
だが、あの甘い考えで一人前なことを並べたてる様が気に食わないのだ。
というか、今、あのガキのことを思い出す必要もないな。
一応名目上は俺の宴らしいからな。
明日は早く出立する予定だからそろそろ寝ようかと無駄な回想を無理矢理終わらせようとした。
その時、ふと視線をのばすと先にあの女がいた。
部屋の隅に、意気消沈した面持ちで壁にもたれかかっている。
放心状態で視線を漂わせ、自分の家に帰り眠るどころではないのだろう。もう周りに女は一人もいない。
町長含め男共も名目はどうあれ日頃の鬱憤をここぞとばかりに晴らそうとしているのか、正気でいるのは俺くらいだった。
女の瞳には何も映っていないように思える。
目の前で爺さんが殺されたんだ。今は宴どころじゃないだろう。
ヤンギスタを失ったあの時と、女が重なった。
目の前で大切な者を奪われた気持ちを、俺は知っている。
……その上、女の前であんなところを晒してしまった。普通は人が目の前で死ぬことすらショックなはずだ。
かつての俺も、そうだった。
俺は、近くにあった酒を手に立ち上がって女の方に向かった。
女は驚いたように俺を見上げ、愛想笑いを浮かべた。
「何?お酌でもしようか?」
気丈に振る舞おうとする女が哀れに見える。
その場に座り、女に強引に酒を注いだ。
「え?」差し出された酒を戸惑うように受け取り、目を丸くした女は、杯を握りながら、どうしたものかといった顔で固まっている。
「悪かったな。色々」
俺がそういうと、女は首を横に振って言った。
「いいんだよ。あたしが全て招いたことだ……あんたが気に病むことはないよ」
そう言って、酒に口をつけて女は続けた。
「それにさ、謝らないといけないのはあたしの方だ。あんたも、色々あったんだろ?巻き込んで、思い出させてしまったみたいじゃないか……」
あの時、彼女は散乱状態だった俺の腰に手を回し『大丈夫』と宥めていた。
俺は何かを口走ったのか。
かっこ悪いな。
「その顔じゃ覚えていないんだね。あの時のあんたは、おかしかった。復讐に囚われた鬼のようだった。
……けど、ごめん。実は、ちょっとばかり、嬉しかったんだ。
人が一人死んでるって言うのに、あんたの手を汚させてしまったのに、不謹慎だと思うけど、大切な人のために、晴らせない恨みを晴らしてくれた救世主のように思った。
あたしは、本当に、最低な女だよ……」
女は俯くと、床にぽたぽたと雫を落とした。
酒の力を借りてか、肩を震わせて泣きはじめた。
「……爺ちゃんは、正直、嫌いだった。
いつも用事もないのに『アディ!アディ!』ってあたしを呼びつけて…あれをしてくれ!これをしてくれ!そして言ったこともすぐに忘れちまって…。
たまに孫のあたしが誰かも忘れてる時だってあったんだよ。
あたしは、一生この爺ちゃんの奴隷になってしまうんじゃないかって…早く死んでくれないかって…毎日、そう思ってたんだ……」
嗚咽を堪えて、それでも懺悔をしなければならないと言うような彼女が、一方的に続ける言葉を黙って聞くしかなかった。
「それなのにさ、爺ちゃん……。あたしを護るために…、危険を顧みずに賊に向かっていってくれたんだ……。
どう償えばいいんだ……。もっと優しくしてやればよかったなんて今更言っても、遅いんだよ……。
幼い日両親が死んでから、爺ちゃんは、ずっとあたしを大切に育ててくれた……そんなことも、あの時、思い出したんだ。
遅すぎたんだ。ずっと、忘れてた……。
近所の悪がきから助けてくれたあの時の事を、今更、思い出したんだよ……『わしのアディに』って……」
床についた拳を固く握りしめた。
「バカだよ。あたしは……。土に眠る爺ちゃんに、掛ける言葉も見当たらなかった……」
囚われ続けるその思いは、誰が断ち切ってくれるわけもない。
俺は静かに女の言葉を聞いてやることしか出来なかった。
後悔に溺れる日々ほど虚しいものはないと俺は知っている。
死んだ者が何を思っていたのか、それは生きてる者が勝手に想像するまやかしのようなものだ。
俺は、ソフィが、リュカが、俺に現実を、確実な今を示してくれるまで、何も見ていなかった。
過去に囚われ、世界の広がりを感じることすら出来なかった。
この女も、同じ思いに囚われ続けるのか。
そう思うと初めて同情が湧いた。
涙にぬれた彼女は顔を上げて言った。
「どうしたら、許してくれるんだ……!なぁ、教えてくれ!」
懇願する女に、あの頃の自分を重ね合わせていた。
毎晩毎晩思い出した。ヤンギスタが殺された瞬間を。
一生、忘れることなど許されないと胸に深く打ち込まれた楔のように。
自問自答した日々に、誰も答えを出してはくれなかった。
夜が来る度に。
独りになる度に。
俺は誰にでもない許しを乞う。
「……教えてやる」
俺は衝動的に女の顎を掴み上を向かせ、何も言わせないまま唇を奪った。
見開かれた目。手から滑り落ちる酒が衣服を濡らした。
時折漏れる吐息は求めているのか、泣きついているのか、訳も分からないような女はただ俺に身を任せている。
覚えておけ。
「許すのは自分自分だ」
強引にそのまま横抱きにして女をこの場から連れ去った。
寝台の上の女が抵抗なく従順に受け入れるまで俺は優しく攻めた。
女の目から最後の涙が零れ落ち、優しく瞳が閉じられる。
『全て忘れてしまえ』と言うように、可哀想な女の傷を拭うように、酷く、優しく扱う。
俺が忘れさせてやる。
お前をその思いから解放してやる。
一番辛いはずの今日だけでも。
吐息がうるさく、懺悔のように聞こえた。
ごめんなさい、ごめんなさいと彼女はずっと繰り返すように。
俺は耳元で『大丈夫だよ』と優しく答えると、女ははじかれたような声を上げた。
狭い部屋。粗末な日よけが揺れる。
一瞬だけ眠っていたようだ。まだ夜は明けきっていない。
俺は寝台を抜け出して身支度を整えた。
それに気づいたのか、女は寝起きの声で言った。
「行ってしまうのね」
振り返ると、裸の女はゆっくりとだるそうな体を起こして寂しげに言った。
「…ずっと、居てくれたらいいのに……」
「悪いな」
「…あんた、いい男だから周りにいい女はたくさんいるんでしょ。大体わかるよ…。
女の扱いに慣れ過ぎてるからね」
「そうでもない」
じっと見つめた女は力なく笑った。
「フ……!なんだいそれ。心に決めた相手がいるようね。遊んでばっかじゃ、本命に逃げられちまうよ」
と軽快に告げた。
「いるか」
そう言うと、女は視線を下に逸らして呟いた。
「……それが、あたしだったら、よかったのにな……」
急いで本来の目的のレヴィストロースの屋敷に向かった。
結局リュカの薬の調達も出来ずか。雲行きが怪しいから飛ばす必要があるな。
白い馬の背を撫でて、腹を蹴ると速度が上がる。
……リュカは大丈夫だろうか。
そのことを思い出すと少し憂鬱な気分になった。
そして、あの真面目ぶったガキの顔を思い出すと早く帰らなければと急かされた気になる。
自嘲気味にため息が漏れた。
……子供相手に、馬鹿馬鹿しい。