第109話 ユスランの事情 * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
久しぶりに『王宮』の門を潜った。長旅からの帰還である。
この重厚な造りはやはり見ごたえがあるな、と仰ぎ見るハルネス寮はやはり伝統校らしく立派な佇まいで、一般人の感覚をすぐに吹き飛ばしてくれる。
自分はここの生徒だったのだと再認識すると、少し気合いを入れなおして自主練に取り掛かる必要があるなと改めて思った。
色々あったけど、日常を取り戻さなければならないのだ。
通りすがる学生達は自分たちを認知すると「帰ってきたようだ!」と口々に噂し、侍女達は我先にと駆け寄って帰還を喜んでくれた。
「お帰りなさいませ!」
「大変遅くあられましたので、心配しておりました」
「道中は如何でしたか?」
色々と質問を浴びせられるが、レイが全て自動的に返答してくれている。
更に二人同時に着いたことを違和感なく、卒なくでっち上げた嘘で、その場を盛り上げることも忘れない。
皆はそれを違和感なく信じ込んでいる様子だったため、自分は傍らでレイの紡ぐ架空の物語に感心しながら相槌を打つだけで済んだ。
やはり、彼の経験値の高さには頭が上がらない。何年経てもここまでの社交力を備えることは出来ないだろうと思ってしまう。
……これが演技だと言うのだから、逆に怖さを感じるほどだ。
持って帰った荷物を自室に運んで、ある程度片づけた後、軽い足取りで土産を持ってユスランの居室に向かったのだが、ノックをしても返事がない。
どこかへ行っているのか。
すると、後ろから声が掛けられた。
振り返ると侍女から「ユスラン様はお出かけされていますよ」と笑顔で告げられた。
「いつ戻る?」と訊ねると数日後には戻られるだろうとのことだった。
長い間ユスランに会っていない気がするな。
がっかりした気分で自室に戻ろうとしたその時。背後から「リュカ君」と呼ばれた。
声のする方を見ると、見覚えのない学生が立っていた。
細い目はジョイのようでもあるが、彼のようににこやかではない。どこか冷たい印象を受ける。
レイやユスランのように一度見た人でも印象に残るような存在ではない。
女にしては高い自分と同じくらいか、士官学校の学生にしては少し低めの背丈に、几帳面に規則を守り、あまり目立たないようにしようとしている雰囲気がその服の着こなしや風貌から伝わってくるような出で立ちだ。
「なんだ?」
向き合うと、腕を組み、ゆっくりとした口調で返した。
「君、ユスラン様の傍によくいるよね」
「友達だからな」
そう言うと、その男はクスと嫌味っぽく笑って「それは君だけが思ってるんじゃない?」と告げた。
初対面にもかかわらず、あまり率直に言うものだからドキッとした。
他人から言われると応えるが、ユスランは『付き合う人は自分で選ぶ』と言ってくれたのだ。
言わせておけばいい。
自分は男をじっと見ただけで一時返答を見送った。
「彼の家、知ってるよね?セブシェーン家。王族に近い家柄で、彼はそのご子息の中でも聞こえが高い」
意地悪く見つめる男の細い瞳に、とりあえず真っ直ぐ向き合うように構えた。
「何が言いたい」
口元を抑えながら彼ははっきりと言った。
「友達ゴッコをしているのは君だけかもしれないってことだよ。君の育ちの悪さは所作を見ていたら誰にでもわかるくらいだからね。
いい加減身分の違いを認識した方がいい。多分、ユスラン様ももうすぐ君に付き合いきれなくなる」
そんなことは言われずとも、自分が一番分かっている。
言い返したい気持ちはあるが、余計な波風を立たせるのは時間の無駄だとあえて口を噤む。
すると、男は言い返してこないことが不服なのか細い目を少し開けた白眼で対峙する。
個人的な恨みか、家の事情か知らないが、自分の事をよく思っていないらしい。
「ほんと、選抜試験どころじゃないかもね」
ため息交じりに大袈裟に語る。わざと自分の顔を下から見上げるように腰を屈めながら前を横切った。表情を観察するようなしぐさだ。
挑発に乗るつもりはなかったが、その言葉が引っかかり片眉がぴくんと跳ね上がった。
『選抜試験どころじゃない』とは、どういうことだ?
自分の反応を確認すると、唇の片端を若干引き上げて皮肉っぽく微笑すると、丁寧に説明するように男は続ける。
「彼は末子で、長兄のエイナル様がいたから多少の我儘が許されてたようだけど、本来なら、彼、こんな左派の学校になんて通えない立場だからね」
左派。レヴィストロース学校長が、王側から左遷されて今の職に就いていると聞いたことがある。
多分その時点で、どれほどこの学校の知名度や難易度が高く優秀な学生ばかりであったとしても、このご時世、王側に就く家系なら入学を家から反対されてもおかしくはない。
あまり楽しい話題でもないので、ユスランからそういう家の事情は極力訊ねないようにしているが、言わなくてもわかるのだ。
彼は『家』に対して、いい印象を持っていないということを。いつも『義務』とか言う言葉で片付けようとして、そこには全くと言っていいほど愛を感じない。
確か、ユスランに勉強を教えてもらっている時、レヴィストロース学長を尊敬していると言っていた。だから無理矢理、自分の意志でこの学校に入学したのかもしれない。
細い目の男はポツリと、わざと聞かせるような独り言をつぶやいた。
「今の状況考えると、きっと家の都合で退学だろうね」
え?
目を見張ると、目の前の男は満足げに鼻で笑った。
「あっれぇ?友達なのに、何も知らないんだね」
鼓動が早くなる。……退学、だって?
「エイナル様が破門されて、彼がセブシェーン家を継ぐことになるんでしょ?」
何……?!
他の兄弟はどうしたんだ。何故末子の彼が家を継ぐことになったんだ。
「………。」
憂鬱な気分で自室に戻って、閉めた扉に凭れかかった。
最後にその学生が言った言葉が頭にまた過る。
『もうこんなところで学生ゴッコなんてしてられないんじゃないかなぁ』
ユスランまで、学校からいなくなると思うと、自分は居てもたってもいられなかった。
何故か落ち着かなくて机に向かい日記を捲った。最近全く書いていないが昔書いた頁を読み返す。
楽しげな思い出が詰まったその記録は、本当に現実だったのかと思いながら、愛おしい気持ちでその文字を指でなぞった。
それぞれの事情も知らず、ただ学生として、4人でいた時は楽しかった。
時は思ったよりも早く過ぎるようだ。
ユスランから貰った手に馴染む青い石造りの筆を取りだしインク壺に浸して、久しぶりに筆を取ってみたが、何から何を書けばいいのかわからなかった。
あれから、めまぐるしく色々な出来事が起こった。
ロクシアの幻影を追いかけるだけの日々ではなくなり、大切な仲間が周りに増えて、悲しい別れもあった。
シュライゼが消え、レイが護衛と知ったあの時、言いようのない不安感から救ってくれたのは、紛れもなく変わらない日常をくれたユスランだったのに。
一文字も書けないまま筆をおいて肘をつき、髪をかきむしるように頭を両手で抱える。
口からは、胸の中で渦巻く苦いような感情がにじみ出るようだ。
一人でいるなど、いつものことだったのに、今、一人になるのは嫌だと思う。
どの土地でもはみ出し者的存在で、自分にはロクシアしかいなかったのに、自分は大切な仲間が出来る度に、弱くなるのだろうか。
林の中ヴィルの背中を追う時も、海岸沿いでシュリの腕の中で居る時も心地がよかった。
ユスランやシュライゼやレイで囲む夕食も楽しかった。
……そんなことに執着している自分は、不甲斐ないほど弱く感じる。
シュリは言っていた。
『お前にも自分に課した、成すべき義務があると言う。
そして、同じように俺にも、手に負えない人生がある。
それもこれも、決して俺の手で歪められないことだ』と。
ユスランの人生はユスラン自身が選択し、それが自分にとって、どれほど受け入れがたい選択だったとしても、それを歪めることなど出来ない。
彼の人生なんだから、至極当然の話だ。
今更ながら、シュリの感情が痛い程わかる。
自分の感情を押し殺して、全てを受け入れることの辛さを。
………ユスランは、帰ってくるだろうか。自分の元に。
ロクシアの背中を夢見続けたあの時のように、レイが戻らなかったあの夜のように。
自分は今日も眠ることが出来そうにない。
ユスラン。帰ってきて。
自分はそう祈ることしか出来ない。