第007話 ユスラン * 学校〈リュカ〉
リュカ目線。
自分が呼ばれたとは思わず辺りを見回すと、先ほどのやり取りで名前を覚えた者たち全員自分の方を言葉を失った様子で見つめていた。
「リュカ。いないのか」
教官がもう一度読んだ時、ようやく手を挙げた。
「は、はい!」
教官はその粗末な服装で小汚い者を見た瞬間、手に持った名簿をもう一度確認した。間違いではないのかと思ったからだ。
誰よりも、一番驚いたのは当の本人だ。
「間違いでは、ないのか」
目上や地位の高い人には敬語を使うべきなんだろうが、あまり使ったことがないので咄嗟に出てこなかった。
当然お叱りを受けると思っていたが、周りからも笑いは起こらず沈黙になり、教官も名簿の名前を何度も指でなぞって確認し、
「間違い…ではない」とぎこちない言葉が伝染したかのように片言で返した。
動揺するのも無理はない。
自分自身も何がどうなっているのか。
これは、夢なのか……。
夢じゃないなら、なんだ?
いや、絶対間違いだろう!
口が開いたままの自分を咎める者はいなかった。
目の前にそびえたつのは白亜の宮殿。
細部にまで行き届いた精密な彫刻が金の刺繍のように、大きく開いた扉の上に施されていた。
床には毛足の長く赤い絨毯が真っ直ぐに伸びて、両脇には侍女達が頭を垂れた状態で一列に待機している。
ハルネス寮。通称、王宮。
「お帰りなさいませ」
磨き抜かれた床は煌びやかな天井をそのまま写し、それが木で造られたものとは思えないほど輝いていた。
高いところに吊るされたすべての光を集めたようなガラスの塊がキラキラ光る様子を眺めていた。
なんだ、ここは。
異世界に来たとはこのことだ。薄汚い革靴のまま絨毯に上がるのを躊躇ったが、ここで立ち止まっている訳にはいかない。
仕方なく自分の腰に巻いた手ぬぐいで靴の裏を拭おうとすると、侍女がやってきて、「お気になさらないでください」とても綺麗な笑顔で微笑まれた。
肌は陶器のように白く育ちがよさそうだったが、親近感を感じる花のように明るい印象が不安な心がほぐれた。
笑顔につられるように、初めて微笑み返す余裕ができた。
「お部屋をご案内させていただきますわ。あなた様のお名前を頂戴出来ますか」
侍女はにこやかに言うと、リュカはドギマギしながら言った。
「リュカだ。そんな上品な言葉は、やめてほしい。慣れてないから」
目を丸くした後に、侍女は両手で口元を隠しながらくすくすと笑い、「リュカ様ですね。お珍しい方ですこと」と楽しそうに返した。
「こちらです」
通された部屋にも驚いた。
一人で使うにはもったいないような広さに、清掃も行き届いており、かすかに花の香りもした。
花瓶には野草ではない、どこのものとも知れない花がセンス良く飾られている。
「リュカ様。ごゆっくりお寛ぎ下さい。またお夕食の際にはお呼びいたします。では失礼致します」
一礼する彼女に「ありがとう」と返すが、どうしていいかわからないまま、その部屋の真ん中でキョロキョロした。
どうなってるんだ?
間違いにしても、ひどく贅沢な間違いだ。
持ってきた荷物はすでに運ばれていて、間違いなくこの部屋は自分に与えられたものらしい。
視覚の対比で、私物がゴミのように見えるのは何故だ。
大きく取られた窓の日よけ布を上げると、絶景だった。
「すごい……」
山の下が一望できる。霧のかかった湖のようなものと、赤い三角屋根の建物が確認出来た。
静かな山の中の学校。すべてがウソみたいに感動することばかりでそわそわしていた。
何気なくベッドを見ると、一輪の花が置いていて、その下に紙が敷かれている。
それらを拾い上げてみると、紙には何やら文字が書かれている。
合格おめでとう。 ロクシア
なんてことだ。目はすぐに真っ赤になった。
ロクシア……!
感傷に浸ろうと思った頃、コンコンと扉がノックされた。
手の甲で涙を拭うとすぐに扉の方から声がかかった。
「リュカ・フェリクス・グレイ。入ってもいいですか」
聞き覚えのある声だ。手紙をすぐさま机の引き出しにしまい答えた。
「……どうぞ」
扉を開けたのはあのユスランだ。服を既に着替えたのかラフな様子だったが、やはり自分が持っている服よりは高そうに思えた。
「一人でいるのも落ち着かなくて来てしまったんですが、お邪魔ではありませんか?」
「問題ない」
自分のアタフタした様子がおかしかったのか、ユスランは小さく笑った。
「そこに座ってくれ」ソファをはたいて誘導すると、「すみません」と律儀にお辞儀をして座った。
まさに王様と召使のようだと思った。
装飾品が置かれたこのだだ広い部屋に高級なソファに深く脚を組んで座るユスランはまったく違和感ないが、自分の服装を見ると布の元々の色彩はどこへ行ったのかと思うくらい剥げて擦り切れている個所もあり、ここにいた侍女の方がよっぽど上品に見えた。
「この場所にいること自体おかしい。この服も、寝台に掛けられている布の方が余程上等だ」
自虐的に笑うと、ユスランは真っ直ぐこちらを見た。
「リュカ・フェリクス・グレイ」
「リュカでいい。なんだ?ユスラン」
キリッとしている顔が若干嬉しそうに綻んで見えた。
「では、リュカ。あなたはさっきから身なりが気になってるのですか?」
ソワソワしている理由はそれだけではないが。
「うん。君も含めて皆綺麗な恰好をしているからな。最近まで居た村では見たことないような衣装ばかりで。学校と言うのは皆こういうものなのか」
不思議そうな顔でユスランは返した。
「……ええっと、やはり本当に学校が初めてなのですね。どの程度が普通かはわたしにもわかりませんが、恐らくここは特別です」
「だろうな」
少し間を開けてうつむきながら、先ほどから思っていたことを口にした。
「言いたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
真正面から向き合った。
思ったことははっきりと告げるべきだと姿勢を正した。
「ユスランは、自分みたいなのと一緒に居るのは、よくないんじゃないか」
貧乏人は高貴な者と口をきいてはいけないものだと、度々思い知らされることがあったからだ。
それは、ミネアがそうだったように、親切にしてもらった者まで不幸をもたらすこともある。
ただ、ユスランは薄い笑みを浮かべて何事もないかのように返した。
「誰と一緒に居るかは私自身が決めることですから、心配はご無用です」
冷たく聞こえるような言い回しだが、全く悪意を感じない。ユスランはとても見かけによらず穏やかだった。
これほど高級な印象を受ける者と一緒にいると圧迫感を感じずにいれない気がするが、そこは彼の人柄なのだろう。
それに、
『人は皆同じ』
自分が長年言われ続けてきたことを他人から聞かされたのは初めてだった。
国が違っても立場が違っても人は同じなんだ。
ロクシアには事あるごとにそう聞かせられたが、集団をつくる人間は皆、そんな風に思っていない。
恐らく、自分も本当は同じであるとは思えなかった。
どこの街を渡り歩いても、どこの集落でも、人は人に序列をつけて自分と他者を切り分けていて、立場の強い者が立場の弱い者を支配したり排除しようとするのだ。
彼は、そういう枠よりも外にいるのか。ロクシアのように、それを言える人は本当に凄いと思う。
漠然とした人の大きさをユスランに感じて、少し負けた気持ちになった。
「全く言うとおりだ……」
すると、ユスランは小さく独り言のように言った。
「面白い人ですね。わたしの周りにはいない」
「ん?」
キョロキョロと天井を見たり、壁の絵を見たりしながら話していたからか。
確かに挙動不審なのは否めないが。
「そうだな。自分はあまり人と付き合ったことがないから、人と違うところが多い。だから、面白く見えるのかもしれない」
「そういう意味では…」
「いいんだ。でも、そんな自分でも仲良くしてくれるなら、本当に嬉しい」
言葉を詰まらせるような感じでユスランは即答しなかったが、少し間を開けて照れたように笑いながら返した。
「それは私からもお願いします」
「………。」
逆にそう言われると、気恥ずかしく思えた。
考えずに話をし過ぎたようだ。たまに自分も振り返ると恥ずかしくなるようなことを口走っている時がある。
ユスランも困っているようだし、自重しよう。
「……それにしてもこの部屋は、本当に落ち着かないな」
「そうですか?」
どういう流れか、この学校で初めて友と呼べる存在になったのがこのユスランだった。
今年の入学者の中で、一番の知名度を誇るのが彼である。
名前だけが有名な他の者とは一線を画しているのは、彼の持つ実力と人格両方だ。
落ち着いた物腰や無駄のない動きがロクシアに似ていたから、他の学生が言うような垣根を感じることがなかったのだろう。
出会った時から、彼とは長く付き合っていく気がした。
それほど居心地がよかったのかもしれない。




