それは、綺麗な愛や恋とは違う
身長がいように高くて、でもどことなく存在感が薄い彼は、私の斜め前の席に座っている。シンプルな黒縁めがねを通して、先生の話しをしっかりと聞いているようだった。
そんな彼をじーっと眺めるようになったのはいつからだろうか。
綺麗に伸びた背筋から、長い指先から、中性的な声から、いつからだろう。惹かれていったのは。
これは漫画みたいな素敵な感情じゃない。
「…じゃあ中里、ここの答えは?」
先生が彼を指名する。
頭がいい彼は何とも無かったように、すぐに答えを言い下を向いた。
見た目はいい。クラスでも地味な存在。部活は弓道部。身長が高い。頭が良い。
私が知っていることはこれだけしかない。
誕生日やだ血液型、趣味や好きな食べ物、そんな恋愛の予備知識みたいなことは全く知らない。だって、ただ彼に惹かれているだけだから。
「好、き、」
彼に向かって呟いてみる。でも、しっくりこない。
形はあたっているはず。でもその形がどことなく違っている。
例えば、四角は四角でも、台形や長方形や正方形があるような感じ。
嫌気がさして、自身の長い黒髪をギュッと握った。
*
「…きれいな髪だな」
彼はそう言いながらにっこりと笑った。
笑う彼を初めて見たせいか少し驚いた。だって、いつもの彼は仏頂面で、笑わない生き物としてクラスでは、というかこの学校では定着していたから。
「長い髪は好きだぞ」
その言葉にどう返せばいいかわからず、曖昧に笑うことしかできなかった。彼はそんな私を見て、困ったような顔になったかと思うと、すぐにあの仏頂面に戻ってしまった。
その出来事が私の頭の中で渦を巻いて、爆発させた。
これをきっかけに、私は髪を伸ばすそうと心に決めた。
あなたにメッセージを伝えるために。
なのに、あなたは全然気づいてくれないのね。
もう1度だけでいいから、私に笑いかけてほしい。
*
「マユの髪って綺麗だよね。前までは伸ばすの面倒くさいとか言ってたくせに、色気づいちゃって」
笑いながら友達の綾乃が私の髪を触ってくる。
毎日、丁寧に洗い、ドライヤーで痛まないように乾かしているおかげなのか、私の黒髪は意外に高評価を受けている。
「…で、彼とはどうなったの?」
急に神妙な顔になったかと思うと、その言葉を吐いてきた。
進展なんかあるわけない。
少し下を向くと、綾乃は私の気持ちを察したのか、優しく頭を撫でてくれた。
「もうすぐ卒業なんだし、当たって砕けろ精神で告白とかはしないの?」
「…しない、よ」
そう答えるとすぐに深いため息が聞こえた。
ふと窓の外を見てみる。ああ、なんてきれいな空なんだ。
*
「中里先輩!ずっと好きでした、私と付き合ってください!」
図書館の奥の席で本を読んでいると、ふとそんな声が聞こえた。
声のする方を見ると、彼が立っていた。
意外にも彼はモテるらしい。
最近後輩の女の子たちが彼に告白しているのをよく耳にする。
いいなあ、私にもそんなことが出来たら…
でも、私と後輩の女の子たちとは気持ちが違う。
女の子たちはきれいな真っ白な色だとしたら、私は灰色。もしくは汚れた黒。
「…気持ちは嬉しいんだけど、ごめん」
彼はそれだけ言ってその場から立ち去る。
目で彼を追っていると、ふと彼が私の方を振り向いた。
でも、ただそれだけ。目があっただけで、終わってしまった。
図書館の中に少しの泣き声だけが響いた。
*
彼に止めてほしかった。
この真っ黒な髪を切ることを、彼に泣きながら止めてほしかった。
誰もいない教室に、ただ一人、私だけがいた。
今日が卒業式ということもあり、教室にいる生徒は私だけ。他の生徒は外でわちゃわちゃと何かをしている。あんなに大勢の人間がいるのだから、私一人くらい抜けてもいいだろうと思い、教室に来た。
明日から彼に会えない日が来る。
いく高校もバラバラで、出会う確率なんて0に等しいくらいだ。
連絡先なんてしらない、どこの高校に進学するのかも覚えてない。
こんな私の気持ちは、綺麗な愛や恋とは違う気がする。
“綺麗な髪だな”
彼が昔行ったセリフがふとよみがえる。
全然綺麗じゃないよ、どす黒くて、欲望しか埋まってないよ。
彼の席に座ってみることにした。最後の最後まで彼に触れていたかったから。
でも、座ったところで彼がそばにいてくれるはずもなく、ただの冷たい席だ。
なんとなく引き出しに手を突っ込んでみる。
冷たい感触が指全体に広がった。
「ハサミ、だ…」
彼の忘れものかな。
そう思い、なんとなく自分の髪を数本そのハサミで切ってみた。
切られて生気を亡くしたその髪は、重力に任せて下に落ちることしかしない。
この髪の長さは、彼を想い続けた長さ。
これさえ無くなってしまえば、きっと楽になれる。
私は初めて、失恋した女性が髪を切る意味を知った。
彼のハサミで私の想いを一気に切ろう。
私は髪の半分くらいを左手に収め、それを一気に切った。そして、残った方の髪も同じように切った。
「…マユ?」
声のする方を向くと、そこには綾乃がただ茫然と立っていた。
「…ただ、この想いを断ち切りたかったの。
でも、少女マンガみたいに、彼が急に現れて止めてくれるのを期待してたのかもしれないね…」
目じりが熱くなる。卒業式でさえ泣かなかったのに、たったこれだけのことで熱くなるなんて、馬鹿みたい。本当に馬鹿みたい。
*
いつでも見られてるというのは知っていた。
後ろから彼女の視線を感じる日々が嫌なわけではなく、ただ気持ちがよくずっとそのままにしていた。
卒業が近づくなか、後輩からの告白が続いた。
自身がもんなにモテていたとは思わなくて、つい舞い上がってしまったが、誰とも付き合う気がないし、それに高校はここから結構離れている。遠距離恋愛なんて馬鹿らしくてやってられない。
告白されてはそれを断る日が何回も訪れては記憶の中から消えていった。
でも1つだけ消えない記憶がある。それは図書館でされた告白だ。
案の定告白されて、図書館から出ようとした時彼女と目があった。
何の感情もない目だ。
すぐに立ち去りたい衝動にかられて、俺はすぐにその場から逃げた。
走って、走って、走って、気が付いたら外に出ていた。
校舎の方を見ると、あの図書館もよく見える。窓際に座っている彼女もよく見える。
彼女は何でもない風に本を読んでいる。
時折見せる髪を耳にかける動作が、ひどく彼女を綺麗に魅せた。
そうか、彼女が俺を見ていたのでははなく、俺が彼女を見ていたんだ。
あの黒髪に惹かれて、彼女に惹かれて、でもそれを認めることを心のどこかで拒み彼女が俺を見ていると錯覚したのだ。
彼女に言った“長い髪は好き”は、俺から彼女への告白だったのかもしれない。
それを知られないように、でも知ってほしくて彼女の黒い髪に託した。
でもきっと、この思いは彼女が知ることは無いだろう。
心の奥にしまって、小さな鍵をかけ、そしていつかは忘れるんだ。
卒業式が終わりふと自分の教室が懐かしく思い、教室に足を運ぶことにした。きっとそれが間違いだったんだ。
その教室には彼女がいた。彼女の友達も一緒にいた。
二人は抱き合って泣いていた。俺の席で。
その光景がとても美しく感じられた理由は分からない。
二人の周りには黒い髪の毛が散らばっていた。きっとそれは、不恰好に短くなった彼女の髪だろう。生命力をなくして、ただ散らばっていることしかできないそれらは、彼女たちを引き立たせる役割を十分に発揮させていた。
「ごめんね…やっぱり一緒に泣いてくれるのは彼が良いな…」
彼女はそう言って笑った。
彼女たちが教室を出ていった後、そこには絨毯みたいに髪が俺の机の周りに敷かれていた。それを一束取って、ふとにおいをかいでみる。
かすかに彼女のにおいが鼻をつき、目頭が熱くなる。
そうか、今日俺は、失恋したんだ。
*
あたしはみんなとは違う。
あたしが好きになる人は男性じゃなく女性だ。
同じ体つきをして、真っ白なお餅みたいな肌で、ふっくらとふくらんだその胸やおしりはとっても綺麗だ。女性独特の身体は、あたしをひどく興奮させる。
こんなあたしの性癖は誰にも理解されることは無い。
世間一般の言う普通は異性を好きになり、世間一般の普通は同性に性的興奮を持たない。
でも、そんなあたしでも好きな人はいる。当たり前同性だけど。
その子はストレートな綺麗な黒髪をしている。
顔も整っていて、とても綺麗だ。
あたしから見る彼女はとても完璧で、他の女性とは比べものにならないくらい彼女に惹かれた。
でも、彼女が見ているのは異性の彼だ。
ムカつくくらいカッコよくて、ムカつくくらい頭が良い。
本当にムカつく存在。
でも彼女が好きになった相手だから、あたしは彼女を応援しなくてはならない。これはもはや決定事項だ。彼女があたしを好きになる確率は皆無だ。なら、彼女の恋の行方を応援しようじゃないか。これがあたしが出した結論。
あたしなりに頑張ったつもりだ。しかしそれはつもりでしかなった。
少女漫画みたいに好き合う同士が付き合って、遠距離恋愛をどうにか乗り越えて、結婚までする。そして、喧嘩もせず子どももでき孫も生まれる。そんなのは卵を割って黄身が3つ出てくるくらいの確立だ。
彼女は確かに彼に恋をしていた。彼もまた彼女に恋をしていた。
卒業式の教室で彼女と二人で泣いた。彼女の綺麗な黒髪が散らばる中で、彼女と二人で泣いた。
「ごめんね…やっぱり一緒に泣いてくれるのは彼が良いな…」
そう彼女は言ったのだ。
嫌い、嫌い、彼なんて大っ嫌い。
歯がいたくなるまでぎりぎり噛みしめ、手を爪の後が出来るまで強く握った。
親友になっても、いつでも彼女のそばにいても、結局は異性の彼があたしから彼女を奪ってしまう。それがどうしようもなく、悲しい。
「…帰ろっか」
あたしは小さく呟くと、彼女は何も言わずあたしの前から消え去った。ハサミを手に持ちながら。
それが無性に虚しくなり、彼女の髪を数本手に取った。これは彼女の一部だ。彼女が彼を想った分の想いだ。
でも彼は彼女を選ばなかった。そして彼女はあたしも選ばなかった。
誰も選ばず、選ばれず、みんなこの学校を卒業したのだ。
キーンコーンカーンコーン……
遠くで学校の鐘が鳴った。
手に取った髪をポケットにしまい、涙を制服の袖でぬぐい、あたしは教室をあとにした。
*
「運命の人は2人いるんだって
1人目は愛することとその人を失う辛さを知って、
2人目は永遠の愛をしるんだって」