宣誓の文
よく分からないけど、誰の記憶にも残らないのは悲しいので、お願いしますと頼まれて。
少しずつ、少しずつ、心の奥底にたまっていく小さな汚泥。
周りとの衝突と激突の軋轢の中、ギイィィィィィという音とともに、耳に残る不快な感情。
水底を攫えば、そこから出てくるのは悪意の汚泥と殺意の結晶。
人間が生きているということは、どこかで人と関わるということ。関わるということは、どこかで誰かと擦れあい、軋み合い、ふれあい、ぶつかり合い、壊れあうということ。
それはつらいでしょう。きついでしょう。願わくば、誰かを傷つけず、自分も傷つかずに行きたいでしょう。
しかし、生きる以上は、己の弱いままに生きていこうと思えば、それは実現不可能な幻。
誰にも頼らない、なんて、ものすごい幸運と強靭な意志がないとありえない。
そしてその二つは、今の水の惑星の上で成り立つことは零に等しいでしょう。
なので私は、諦めていました。この地球で「傷つけず、傷つかずに生きる」ということを。
大人になったのだ。もう子供のように日常に疑問を持たず、当たり前を当たり前として消化する、そう思って。
でも、召ばれてしまった。私の慣れ親しんで、諦めて、失望して、それでも憎み切れなかった世界を離れた、遠い遠い他の世界に。
もし、あなたが突然、違う世界に行くのなら。
その先の人生に、きっと家族はいないでしょう。大切だと思っていたすべてのあなたを形作っていた存在にきっと会えはしないでしょう。
過去に救いはなく、思い出せば今が悲しく、ただ空白の自由と漠然としすぎる無知に進む気力も失せている。
新たな幸運の出会いを素直に信じられるほどには楽観的ではなく、行く手に待つのは絶望と失望ばかり。
見渡す限りの荒野は束縛から解放されたという幸福感ではなく、元いた世界から、自分の知る世界から拒絶されたという証明以外何物でもなく、
頬に当たる風から感じられるのは、長い怠惰の間に脆弱でちっぽけな存在になった自分では、気を抜かなくてもあっさりと死んでしまう、そんな原始の生き物の営み。
それでもあなたは停滞よりも変化を求めますか?
それでもあなたは今の人生を捨ててまで、違う人生を生きたいですか?
それでもあなたは元いた世界を捨てて、異世界まで来たいですか?
その先で自分が生きられる確率なんて、地面に置いた針の穴に二階から糸を通すよりも低いのに。
帰って、また誰かに出会えるなんて希望叶うわけもないのに。
いつか私は死ぬでしょう。今までの誰かのいない世界で。
新しい知己も作れず孤独と失意にまみれてか、はたまたかつての世界ではついぞ得られないと確信できるほどの仲間に囲まれてか。
結果は今は私も知らない。もしかしたら世界のどこか、ここでは無い何時かの時の狭間で、神を僭称する、私の運命を弄んだ人がいれば分かるかもしれません。しかし、私は人でした。かなしいくらい、無力です。
いずれその時が来るまでは、決して分かることは無いのです。
……長々と書いてしまいました。老いぼれの感傷はここまでにしましょう。
お別れの時が参りました。何と言っても、少しずつ、何かがこちらに近づいてくる音がするのです。
人生の疲れに摩耗し、鈍り切った私の耳にもしっかりと届くほどの大きさで。
逃げるにしても諦めるにしても、ここが私の分岐点。ここにだらだらと書き続ける余裕もないですね。
私という前例のいる以上、いずれ誰かが私と同じようにこの世界に”堕ちて”くるかもしれません。
その時にその誰かは、生き延びようとするのか、諦めるのか、どうでもいいと判断するのかは、神ならぬ身にはさっぱり分からないのですが、自分は今でも生きたいと思っているので、後に来るかもしれない後輩の為に、ここに書き記していくとしましょう。
いずれ、貴方は何処かで何かに会います。ある人はそれを運命と呼び、ある人はそれを悲劇と呼ぶような、暴力的で圧倒的なまでの存在感で、貴方の人生に干渉してくる何かに。
立ち向かっても逃げても一向に構わないのですが、その時にどうしても怖くなったとき、私という老いぼれの存在を思い出してほしいのです。
私はこの理不尽な不条理に折れません。せめてもの意趣返しに最後まで抵抗してやります。出来ることは少ないですが、おちょくって、おちょくりまくって、せめて相手を怒らせて、手を煩わせるくらいはしてやりましょう。
死を目の前にし、心痛を負ってボロボロの老いぼれですら、いざとなれば決心をやれるのです。私は後輩のことは知りませんが、きっとあなたは私よりも優れていて強いでしょう。それならきっと、貴方にも決断はできるはずです。
一大事、となった時、最も大事なのは人の意思なのです。それを覚えていてほしい。
どうやら丁度良くお迎えも来ています。あの怖い顔をした生き物に、私の意思は通じるのでしょうか。
まあ、そんな事、やらなきゃわからないですね。
それでは、
さようなら