∮-7、 調印
他国、それも敵国で暮らすと言う事が、存分に辛いと言う事は知られているようでいて、実はあまり認識されていない。だからこそ生じえる問題の中で、最も顕著にそれが表れるのが食事だったりする。
べネディールでは例えどんな大貴族や王族でも、麦が不足の年はパンではなく麦粥が供される事が決まりだった。奇しくもそれはこの憎き国に女王陛下と王女をいい様に嬲られた後に、中興の女王と謳われ、崇められた王女殿下の、国政を立て直す為に最初に出した王命だった。だからこそ、今目の前に燦然と供されている贅を尽くされた食事が信じられない。
それに・・・・。
「誰か他の方も来られるのかしら?」
まだ正式な婚儀を挙げていないので、私が滞在している部屋はあの国王の部屋から一番遠い客室。その客室に運び込まれた皿の数や料理の量。それを見るだけで自然と表情や心が冷えて行くのが判る。
食料だとて無尽蔵ではないのは余程の馬鹿でなければ判っている筈なのに、知っている筈なのに、自分の為だけにこれだけの量を使われるだなんて・・・。
勿論、私が食べ残した後に他の誰かが食べると言うのならば文句はない。
チラリと部屋の隅に控えている能面の侍女数名を見やれば、誰も答える素振りは見せない。唯一、黒髪の侍女・二ーナだけがおろおろとこちらの様子を窺っていた。その態度を見ただけでおおよその私に対する心情が窺い知れた。
なるほど。何がどうあっても、この国側の人間はべネディールの王女である自分を見下し、認めたくないらしい。それならば私とてその期待に応えてあげよう。
とりあえずその前に、と、すっかり冷めてしまったスープをスプーンで掬い口に入れれば、濃厚過ぎず、かと言ってあっさり過ぎない味が口の中に広がった。おそらくは丁寧に裏漉しされ作られたであろうこのスープ。一度口にすれば不思議と次が欲しくなるのは何やら妖しくも危うい薬にも似てはいたけれど・・・。(事実、この日より毎日の様に供されたスープや料理には遅行性の避妊薬や堕胎薬が混入されていた)
コクリ、と、喉が上下する度、黒髪の侍女の顔色だけが蒼褪めて行く。
そんなに具合が悪いのなら、無理はしなくとも良いのに。まぁ、私が恐ろしいだけかも知れないのだけれど。
ゆっくりと時間を掛け、ある程度口に合わない異国の食事を胃に収めた私は、呼び出しを受け、この国の将軍である男性の執務室に案内され、その部屋にいたこの国にいないはずの人を認めた瞬間、頭に血が上った。
何処まで姑息なのだろう。
何処まで獣じみているのだろう。
何処まで、一体どこまで私や私の母国を虚仮にすればいいのだろう。
「マ、マリー・・・。」
「おにい、さま、」
いる筈がない。
いてはならない、母国の光である異父兄。
その光である兄がどうして・・・・。
混乱と屈辱の中で私が求められたのは、無条件の無抵抗の隷属であり、私がこの国に嫁ぐ際に所領した土地の召し上げだった。
怒りと混乱と限りの無い屈辱。
揺れる精神を定めたのは、異父兄の恐怖に満ちた瞳だった。
その日、私は異父兄の解放と代わりに、己のプライドを棄て、母国の王女である証の土地を失った。