∮-68、 別れと認識
ガタガタと整備されていない道を進む二頭立ての馬車。
その馬車の中には、私と娘と、二ーナ、そしてアーランドしか同乗していない。
ウルグとデイルは馬車の御者を務めていて、アマンダと《鷹》とは、ウィドネシアで別れてきた。
というのも、私達がそこで行っていた、とりあえずの間に合わせの慈善事業の多くが、【マダム・フェラー】と、私がアマンダに名乗らせて進めてきたものであり、その事から、仮にもあの地で聖女の様に慕われ始めている彼女を、一緒に王都に連れ帰ることは出来なかった。
それに、あの地を再び活性化させるのには信頼の出来る人に頼みたかった。
と、幾ら、それらしい言葉を並べたてようとも、私の心の根底にあるのは、弱くて卑怯で勝手な想い。
「よろしかったのですか?アマンダ様とあの子達と別れてきて。きっとあの子達は悲しみますし、寂しがりますわ。」
はめ殺しなっている馬車の窓から外を眺めていた私に、気遣う様に言葉をかけてきた二ーナに、私は答えにもならない答えを返した。
「私はね、もう二度と大切な方を盗られたくないし、喪いたくないの。」
だから敢えてアマンダや、あの子達とはあの地で別れてきた。
勿論、そのまま見捨てる事はしないけれど、その内徐々に、私は彼女達と距離を取る事になるだろう。
「おかしいわよね?アマンダは元々はルネーシア様のお母様なのに。それなのにどうしてか、彼女の近くにいると、ナタリア叔母様を思い出して、つい、甘えたくなるのよ。本当にこの国が豊かで、闇がなければそれで良かったのかもしれないけど、私は《王妃》で、べネディールの正統なる《王女》でなければならないの。いつまでも、安穏と護られているだけの《こども》じゃいられないの。」
その為には、私を無自覚に守ってくれる彼女と、私を優しいただの甘えた人間にさせるあの子達と、涙をのんで別れるしかなかった。
人によってはそれを逃げた、責任逃れだと私を責める人間が出てくるだろう。
果てには身勝手な自己保身者と後ろ指を指されるかもしれない。
けれど、それの何処が悪いというのだろう。
いつも逃げなければ、報われるのだろうか
責任を全うすれば認めてくれるだろうか。
自分を慈しんで悪いのだろうか。
その答えは全て《是》であり《否》。
考え方一つで、人は善人とも悪人とも取られる。
《白百合》が善人であれば、私は悪人。
《白百合》が逃げればソレは仕方のない事だと理解され。
《白百合》が責任を放棄すれば《白百合》にその責務を押し付けた人間が悪いと言われ。
《白百合》が自分を慈しめばソレはひいては陛下の為だったと英断だと褒めそやされ。
それが私だという事だけで、私は悪と言われるのだろう。
ふっと、脳裏に二人の男性の顔が浮かぶ。
一人は表立って《私》の味方になれない優しい恋人。
一人は私を《道具》としてしか見てくれい、それでも愛して欲しかった、愛おしいのだと自覚してしまった相手。
前者であるリヒターには恋をしているし、今も彼を思えば心が温かくなる。けれど、それは愛じゃなくて、恋だから。
愛は貫くにはどうしても辛さや苦難が多い。
恋だって、それなりに苦しい事もあると思うけれど、愛を貫く事よりは大変じゃないと思う。
私は彼に恋をしながら、きっとこれからは陛下への叶わぬ愛を募らせ、ゆっくりと破滅への道を辿るだろう。
愛は恋と違って、実り難い。
それを幼い頃は理解出来なかったけれど、今なら理解できる。
娘がすやすやと眠る寝息だけが、馬車の車内で響く。
自治区を出立してから既に8日あまり。
《白百合》の希望でゆっくりとした帰りの旅定に、些かの不安を覚えつつも、私は窓から、地平線の彼方に沈みゆくオレンジ色の太陽を暫く見つめ続けていた。
季節は生命の月下旬の初め。
それは私がべネディールに嫁し、そろそろ丸5年を迎える頃のことだった。




