∮-16、 慰問
「今月も御来訪頂き、本当に有難うございます。べルナ様。」
そう言って、私を訪れる度に丁寧に出迎えてくれのは、王都でありながら、多くの貧しい人達が暮らす貧民街にある聖堂の司祭や修道女、そしてその聖堂が併設している孤児院で暮らしている子供達。
子供達は挨拶が終わると途端に私に元気よく群がってくる。その子供たちの曇りない純粋さと無垢さにいつもは気を張り詰めているはずの私の心が緩んでしまうのは、致し方のない事。
何故ならここは私がいつ来ても、私を心から歓迎してくれる数少ない場所で、この国での唯一の憩いの場だから。
例えそれが偽りの身分と名前で、王族としての当然の義務の慰問であったとても、城の中に居るよりは天と地くらい程の大きな違いがある。
「ベルナ様、今日はいつまでいられるの?」
「ベルナ様、あたし、字が書けるようになったのよ。」
「あたしは、刺繍が出来る様になったわ」
わらわらと私を囲むように集う子供たちの瞳には、出逢った当初瞳の奥に揺らめいていた仄暗い絶望や、拒絶心は見当たらない。それだけでも私は嬉しくて仕方がない。だからついつい私も子供たちに対して甘くなってしまう。
視線を合わせるように腰を低くし、優しい声を出す様に心掛ければ、子供たちを見守る義務のある大人達も、やっと表情を緩めてくれる。
「ごめんなさいね、今日も夕方までしかここには居られないの。まぁ、リリ、字が書けるようになったの?頑張ったわね。ケイトは刺繍が出来る様になったのね?おめでとう。
あらあら、あなた達、弱い者いじめは最低な人達がやることだわ。最低な人間になりたくなければやめなさい。」
子供達は良くも悪くも素直なので、きちんと理由を説明すれば、大抵は直に納得してくれる。それで納得しなければ、彼らが納得するまで私は根気よく話し、説明をする。それでも分かりあえない時は、間に誰かを挟み、お互い妥協できる点をゆっくりと時間を掛け探り出す。
今日は運が良かったのか子供達は直に納得してくれた。
何故ならその弱いモノいじめの原因が私自身だったから。
「ベルナ様、ベルナ様がつけてるのはお花の香水だよね?ハーブの香水なんて付けてないでしょ?」
「だって、ハーブの匂いがしたんだもん!!」
自信満々に私が恐らく使用しているであろう、香水の種類をハッキリキッパリ断言する数人の少年達のリーダーに対し、如何にも繊細そうな少年が負けじと噛みついての結果、多勢に無勢となったらしい。
――ここは、本当に平和ね・・・。
クスクスと微笑めば、再び争い始めていた男の子達は、私が笑っているのに気付くと困惑した面持ちで争いを止めた。それを見て、またコロコロと笑う私。
一時、古い聖堂には、私の笑う声だけが響いていた。
やがて心が満足するだけ笑うだけ笑い終えた私は、争っていた両者に答えを出した。
「良く気付いたわね。あなた達は随分と鼻が良いようだから、勉強をもっと頑張れば研究者になれるかもしれないわ。確かに私が使っているのは百合の香水よ。」
「ホラ、俺達の言った通りじゃないか、レオン」
「話は最後まで聞きなさい、貴方の悪い癖よ、ジュニアン。多分レオンが気付いたハーブの香りは、ハンドクリーム。それもいつも手に塗り込んでいるクリームの香りね」
私の出した答えにお互いは納得したのか、無事笑顔に戻った。
それにしても、良く気付いたなと思う。
城に戻れば、私が何を好んでいようが関係ないと無関心なのに対して、ここに居る人達は少なくとも《ベルナ》に対しては信頼を、そして心を寄せてくれる。
それはなんて切なくて、甘美な事か。
「さぁさぁ、今日のお勉強はこの国の建国史のお話よ。おやつはそれからよ。」
手を叩き、自分へと注意を引き寄せた私は、その日、とっぷりと日が暮れるまで、朽ちかけた聖堂で時を過ごしたのだった。
陛下、この件がもし洗脳だというのならば、私は確かに洗脳したのでしょう。ですが、私はただ単にこの国の真実を知っていて欲しかったのです。例えその当時はそう思っていなかったとしても、私は私なりにこの国のあり様を嘆いていた、民の一人だったのです。