∮-9、 夜襲
その危うくも、緊張感を纏わせてもなお隠しきれない気配をもった存在が、シェルランドの王妃となる私の部屋に降り立ったのは、まだ朝陽も昇らぬ早朝と言うよりも、深夜と言って良い頃合いの時間帯だった。
慣れない敵国での睡眠は浅く、幾ら神経を休ませたくとも休まる事を知らない。それが結局のところ、己の命を救う事になるとは、どう言う類の皮肉なのだろうか。
私が完全に眠っているものだと信じて疑わない侵入者は、ヒタリ、ヒタリ、と足音を忍ばせ、私が横たわっているクイーンサイズのベッドに歩み寄り、恐らくはギラリと鈍く光っているであろう短刀が首筋に宛がわれた時、私はふと、失笑を漏らしてしまった。
その失笑に、今にも私の命を断とうとしていた侵入者は、ビクッと、ナイフをほんの少しだけ離した。
「いつ、気付いた。」
気付くも何も。
「あなた達は、本当に私達べネディールの民を馬鹿にしているようね?」
「属国風情の女が、何をッッ―――」
「何を粋がっているかって?それはこちらの言い分よ。あなた達は私の敬愛すべく女王陛下を弑いした蛮族の末裔――。どんなに恨んでも、例えこの国の民を殺し尽くしたとしても事足りないわ!!」
恨んでも恨んでも、憎んでも憎んでもこの胸の中に息づいている憎悪は薄れない。
一生消える筈がないのだろうけれど、今はとにかくこの国の全てが憎くても、この荒れ狂う感情を抑えなければならない。
でなければ、せっかくの長年の復讐の機会を逃してしまう。
せめて、べネディールの完全独立を果たすまでは・・・。
激昂したままに任せ、侵入者のナイフから逃れた私は、何かないかと暗い部屋の中を月明かりを頼りに見回し、丁度近くにあった花瓶を思いっきり叩き落した。
これで誰かが来てくれれば、それはそれで助かるのだろうけれど、きっと、多分、助けは期待できない。
いいえ、助けはこない。
どんなに叫んでも、抵抗しても、無駄。
何故か私はそれが判ってしまった。
侍女の二ーナは今夜傍に控えていない。つまりは、私はこの国にとってはどうなっても良い存在なのだと、理解してしまった。
(莫迦らしい・・・。)
急に全てがバカバカらしく、どうでも良くなってしまった私は、抵抗を辞め、侵入者の方へと自ら近付き、瞳を閉じた。
ここで命を獲られるのなら、それもまた私の運命。私の命が散ることで母国が独立できる機会を得られるのならば、喜んで命を差し出そうではないか。
そう覚悟を定めた時、私の耳には遠くから騒がしい喧騒が聞こえてきて、それと共に、何やら非常に慌ただしい足音も聞こえてきていた。
あとになって思い返してみれば、私はあの時の自分を叱り飛ばしたい思いに駆られた。
けれど、きっと私は同じ事が己の身に降りかかれば、何度も同じ選択をするだろう。
私は侵入者を――つまりは私の命を狙った暗殺者を、窓から逃がしたのち、恰も恐怖の為に失神したかのように偽ったのだった。