ドリームタイム
第六回『チョコレート』
大遅刻申し訳ございません。7/26誤字修正しました。
鍵を指の間でいじる。鈍色に反してひんやりとした感触に目を細めた。
周囲に人がいないことを確認して、階段を上る。無機質な音がした。どうやら自分の足音らしい。そういえばこんな音をしていた。
やがて階段が終わり、扉が現れる。ほこり被ったそれは、開けばどこか遠くへ連れていってくれそうだ。
――まあ、そんなことはないんだがな。
溜息を吐き、鍵を鍵穴へ突き刺す。ガチャリ、と音がして扉がゆっくりと開いた。埃っぽい空気が光に攪拌される。
全開にする必要もないので、隙間から体を滑り込ませた。内履きでコンクリートを踏みしめ、鞄をほおりだす。
今日は天気がいい。調度良いサボリ日和だ。ま、いつでもサボるんだが。
鞄を枕代わりに横になり、目を閉じる。
***
「あーサボリだ」
しまった。内側から鍵をかけるのを忘れていた。
「仄香、何でお前までくるんだよ」
「そりゃ……ほら、屋上ってなんか憧れるし」
「ここに来るの何度目だ?」
長い髪の奥で、目が自由遊泳。
「入江明隆くん。授業はどうしたんだね、授業は」
あ、誤魔化した。
「白山先生。お腹が痛いので休ませてください」
こいつのどこが先生なのだろう。自分で言っておきながら疑問だ。
「絶対嘘だよねそれ」
「そういうお前はどうした」
視線が大航海へ船出したので、体を起こす。鞄から缶コーヒーを取り出し、一気に飲み干した。
「コーヒー、しかもブラックじゃん。おいしいの?」
サラリ、と髪が流れ落ちる音がする。
ふわり、と花の香りがした。
「缶コーヒーなんて、どれも大差ない」
「じゃあ、なんで飲んでんの?」
「眠気覚まし」
こんなものカフェインさえ摂取できればいい。
「じゃあ、これでもいいんじゃない?」
差し出された銀色の固まり。
「なんだこれは?」
「ちょこれゐと」
「それは解る。なんでチョコレートなんだ?」
「血糖値がどばーんとなって、目が覚めるとか覚めないとか」
信憑性皆無じゃねーか。
「だまされたと思って食べてよ」
「…………」
差し出されたそれを受け取り、銀紙を剥いだ。黒い塊が姿を現す。端をくわえ、パキリとへし折る。
「どう、おいし?」
「……にげぇ」
口の中で溶け出す芳醇すぎるカカオの香り。喉がつまりそうだ。
「コーヒーとどっちが?」
「こっちが。つか、カカオ何パーだこれ」
「九十九パーセント」
「……どこに糖分があるんだよ」
「だまされたつもりで、っていったよ?」
しゃらしゃらと花の香りが空気に溶け出す。
「笑ってんじゃねーよ」
「チョコレートが甘いなんて、誰が決めたんだろうね」
「製菓会社だろ」
「オトナの事情だね」
大人の事情。都合のいい言葉だな。
「あたしは甘いのが好きだけどね」
「そうか」
「だって、苦いとつらいじゃん?」
「そうかもな」
「だから、コーヒーも好きくない」
「あっそ」
「ところで、つらいって、漢字で書くとからいと同じだから、苦いと辛いってなんか変だね」
「いや、意味が解らない」
解るつもりもないけど。
コーヒーをすすり、チョコレートの苦みを押し流す。
「そうかそうか。そんなにあたしのことが好きか」
「脈絡が全くないな」
「脈絡なんてずっと前からあるよ」
「意味が解らないな」
「本当は解ってる癖に」
「お前そんな電波な奴だったか?」
ちらり、と笑みをみる。
「忘れたとは言わせないよ?」
***
最初に見えたのは黒絹の髪。その次は白絹を思わせる肌。連想したのは雪兎。触れれば砕け、溶けていく脆さ。
「…………綺麗だな」
「え?」
薄い唇が細動する。
「凄く綺麗、だ」
「え、あの……ええ!?」
白絹を染めた赤い花の香り。
「…………お前誰だ?」
朦朧とする頭から、言葉を絞り出す。
「き、君はいろいろ順番が逆じゃないの!?」
「そうか」
「そうかって……解ってるのかな」
「まだ半分寝ている」
「ダメだよね、それ!?」
風鈴が揺れている音色。
ぬるま湯の海で漂流する錯覚。
まるで本当に異世界にきた様な感覚。
それでも、きっと、ここは現実だった。
***
苦い唾液を嚥下する。
「さぁな。よく覚えてないな」
「…………うそつき」
拗ねたのか、爪先で小突かれた。地味に痛い。
「じゃ、俺はそろそろ授業を受けてくるか」
「え?」
キョトンと目を細める
「いい加減単位がキツイんだよ」
まだ留年したくないしな。
「お前はどうする? 別にこなくても良いけど、鍵は閉めるからな」
「……あ、あたしもいく!」
ペタペタと足音が二つ。残されたのは空っぽの屋上。
飽和しきった毎日が俺の現実だった。
甘すぎて、溺れてしまいそうだから。
少し苦いくらいで、調度良い。
今はまだ、そんなもんだ。
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