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幻術師の泡沫花嫁  作者: 染井由乃
第五章「帝都の死神」

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第三話

 初夏の季節が終わり、じりじりと夏が近づいている。このところは窓辺で読書をすると暑くなってしまって、書斎から本を持ってきて自室で読むことが増えていた。


 彼が屋敷中に設置してくれている室温調整機のおかげで、涼やかな空気の巡りを感じる。おかげで夏が近づいていることに気づかず、このあいだ窓を開けたときに吹き込んできた風の生ぬるさに驚いてしまった。


 ……兄さまにとっても、治療場所をこちらに移したのは正解だったわね。


 浅海の家は風通しこそいいものの、ここまで快適ではないだろう。ただでさえ治療を頑張っている兄さまに余計な面で負担をかけずに済んでいるのは幸いだ。


 ……わたしも頑張って涙を流さなくちゃ。


 本をめくりながら、ぽろぽろと涙を流す。朔に恋をしたせいか、悲恋のお話ではつい泣いてしまう。自分と彼に重ねあわせてしまうのだ。


「千花さま、そんなに泣いては涙が枯れてしまいませんか?」


 ひとしきり泣き終えたところで、すずさんが近づいてきた。眉尻を下げながら、わたしの目の前に冷たい水を置いてくれる。彼女たちも、わたしが兄さまの治療のために涙を溜めていることはわかっていた。


「平気よ。兄さまのためだもの」


 あれから薄水色の小箱には半分以上の涙が溜まっていた。もう一息といったところだ。


「千花さまは本当に兄上さまがお好きなのですね。これでは旦那さまが嫉妬なさるのも無理ありません」


 りんさんが、そっと脇からうちわで仰いでくれる。彼女たちに改めて指摘されると、なんだか気恥ずかしさが拭えなかった。


「兄上さまはあれだけすてきですもの! 涼やかで優しそうで、何より儚げで……あんな美しいお方が存在するとは思っておりませんでした!」


 すずさんがはしゃいだように告げる。彼女はどうやら兄さまの顔がお気に入りのようだった。兄さまの部屋に用事があるときには、妙に身だしなみを整えている。


「だからわたし、千花さまと兄上さまが寄り添いあっている姿を見るの、すごく好きです! なんというか……それこそ悲恋の象徴みたいな儚さと退廃的な雰囲気がたまりません」


 明るい性格に反して、すずさんは翳った恋愛模様のほうが好きなようだった。思わずふ、と微笑みながら頁を捲る。


「わたしと兄さまはそういうのではないけれど……そうね、兄さまはすてきなひとよね」


「僭越ながら、わたしは千花さまと旦那さまが笑いあっているお姿を見るほうが好きです。恋を超えた絆のようなものを感じて……健全で、祝福の中で結ばれるおふたりですもの」


 りんさんはすずさんに対抗するように意見をしてきた。意見の食い違いがあるせいか、すずさんとりんさんがお互いを牽制するように視線を交わす。


「嬉しいわ。健全、かどうかは怪しいけれど……」


 このふたりは彼が昔私の死んだ黒猫代わりに飼われていたことを知っているのだろうか。今はともかく、始まりは到底健全とは言えない関係であるようでならない。


「とにかく、近ごろのお屋敷の空気が、わたしは好きです! 千花さまと旦那さまが仲良しで、千花さまの兄上さまもいらっしゃって、とても賑やかです」


 すずさんの言葉に同調するように、りんさんも微笑んだ。確かに、わたしが浅海邸へ里帰りするまえのあの張り詰めた空気が嘘のように、今の屋敷の空気は明るい。屋敷の主人である彼が抱えているものはむしろ増えているはずなのに、それを表に出さずにりんさんたちを安心させているのだから大したものだった。


「すずさんたちが安心できる雰囲気でよかったわ」


 もう彼女たちに膝に縋り付いて心配されるような事態にはならないだろう。本を閉じ、すずさんが持ってきてくれた水をゆっくりと飲み干す。


 机の上には今日発行されたらしい新聞が置かれていた。その一面を見て、はっと息を呑む。


『帝都の死神の犠牲者。十二人目は雨宮家御令嬢』


 硝子製のコップを脇に置き、慌ててその新聞を手に取る。記事にには雨宮家の薫子さまがふた月ほど前に拐かされ、先月遺体で見つかった旨が記されていた。遺体に心臓はなく、両手で沈丁花を握っていたらしい。


「そんな、薫子さまが……?」


 いい思い出のある相手ではなかったが、帝都の死神の魔の手が知りあいにまで及んでいたことにはぞっとする。


 ……薫子さま、どれだけ恐ろしかったかしら。


 もしも、帝都の死神が本当に朧さんなのだとしたら、薫子さまは相手を朔だと思って油断したのかもしれない。まさか命を取られるような事態になるなんて、思ってもみなかったはずだ。突き飛ばされたときの痛みを忘れたわけではないけれど、心の中で彼女の冥福を祈った。


 幻術師である彼はきっと、この記事が出る前にこの事件をすでに把握していたに違いない。時折見せる思い詰めたような表情の理由には、叔父が知りあいに手をかけたかもしれないという葛藤も秘められていたのだ。


 すずさんとりんさんも一面を覗き込み、息を呑んだようだった。彼女たちだって私と同様、薫子さまにはよい印象を抱いていないだろうが、命を奪われたとなっては複雑な心境なのだろう。


「帝都の死神というのは……恐ろしいものでございますね」


 りんさんが、重々しく呟く。彼女たちも彼から、帝都の死神を警戒するようによく言い含められているはずだ。


 夏が迫っているというのに、帝都の空気はどこか暗い。犠牲になった令嬢たちのことを思うと、どうにもやるせなかった。


 新聞の一面をそっと撫でていると、規則正しく扉がノックされた。この慎ましやかな叩き方はおそらく水野さんだ。


「千花さま、旦那さまがお帰りになりました。お客さまもご一緒です」


「お客さまが?」


 このところは彼に言われた通り出迎えを控えていた。見送りは許してくれているが、あまり扉に近づかないように注意されてしまう。彼の帰宅は、こうして使用人の誰かからの知らせを受けて知るほかになかった。


 階下に降りて応接間へ向かうと、扉越しに朗らかな声が聞こえた。それだけで客人が誰かわかってしまう。


「千花ちゃん! 久しぶりだね」


「桜木さま、ご無沙汰しております」


 桜木さまは応接間の椅子の背もたれにしがみつくように座っていた。自らの腕に顎を乗せて、人懐っこい笑みを浮かべている。


 その奥で、朔が呆れたように溜息をついていた。子どものような座り方をする桜木さまに呆れているのだろう。このふたりの空気感も相変わらずらしい。


「いやあ、本部の室温調整機が壊れちゃってさあ、急ぎの要件も片付いていたし、今日は解散になったんだよ。でも外に出た途端溶けそうなくらい暑くて……。月雲のお家に避難しにきたんだ。ね、なんか冷たいものない?」


「桜木、お嬢さまに頼みごとをするとは何ごとだ。それならぼくが持ってくる」


 がたりと席を立って、彼は冷えきった目で桜木さまを見下ろしていた。桜木さまは相変わらず堪えた様子もなくへらへらと笑っている。


「月雲のその目、涼しげでいいよね。冬に向けられるとぞっとするけど、夏はいいな」


「お嬢さま、こいつにはお構いなく。氷のひとかけらでも食べさせたら追い返しますので」


 彼はわたしの目の前まで歩み寄ると、穏やかに微笑んだ。ふたりきりのときの甘さを仄めかすような優しいまなざしに、ほんのり頬が熱くなる。


「でも、氷のひとかけらなんて可哀想だわ。砕いて、蜜をかけるのはどうかしら。そういう食べものがあると本で読んだわ」


 つい昨日、保冷庫に氷を用意したとすずさんが言っていた。りんさんたちを含めたみんなのぶんを作って、涼んでもらおう。兄さまも、すこしなら召し上がってくれるかもしれない。


「では、やはりぼくが用意してまいります。氷を砕くなら幻術を用いたほうが早いですから」


 彼はそっとわたしの肩を抱くと、挨拶がわりとでもいうようにそっとこめかみにくちづけた。思わず、咎めるように声を潜める。


「朔……お客さまの前よ」


「構いません。あいつは家具の一部とでも思っていてください」


 彼はくすりと笑うと、そのまま部屋を出て行った。入れ替わるように、りんさんが冷たい水を運んでくる。


「ずいぶん夫婦らしくなったね。まだお嬢さま呼びなのには驚いたけど」


 桜木さまがにやにやしながら椅子の上でくるりと体の向きを変えて、机に向き直る。りんさんに「ありがと」とひと言告げて、一気に水を飲み干していた。


「そうですね……おかげさまで、以前よりは距離が縮まったように思います」


 先程まで彼が座っていた椅子の隣にわたしも腰かける。


「最近は色々大変だったみたいだね。……雨宮のこととか」


 すっかり水を飲み干した桜木さんは、そっとコップをテーブルに置いた。


「新聞見た? 今朝の一面」


「ええ……まさか、薫子さまが犠牲になるなんて……」


「どうやら屋敷から攫われたらしい。しかも三階にある自分の部屋からだって。……安全な場所はどこにもないな」


 やるせなさを噛み締めるように、桜木さまはふい、と視線を逸らしてしまった。令嬢の知りあいも多いであろう彼は、心配する相手が尽きないだろう。


「月雲も相当ぴりついてるよ。千花ちゃんに何かあるのが怖いんだろう。あいつがこの俺に頭を上げて『自分に何かあったらお嬢さまを助けてくれ』って言ったんだよ、信じられる?」


 桜木さまは机に身を乗り出して訴えたあと、小さく息をついた。


「まあ、それだけ今の帝都は物騒だってことだよなあ」


 ……自分に何かあったら、なんて。


 彼がそんなことを桜木さんに頼んだこと自体が恐ろしくてならない。帝都の死神と対峙するような事態に陥ったとき、彼はわたしのそばにいられなくなる可能性まで考えたと言うことだろうか。彼のいない未来を考えるだけで、息が詰まるようだ。


 俯いた視界の中に、ひらひらと桜木さんの手が伸びてきた。わたしの注意を惹きつけながら、彼はへらりと笑った。


「そんな顔しないで。俺も千花ちゃん守るために頑張るから、千花ちゃんはここですずちゃんやりんちゃんと楽しく暮らしてくれてたらいいからね。ね、りんちゃん」


 部屋の隅で水差しを片手に控えているりんさんに、桜木さまはにこにこと笑いかける。りんさんは聞こえないふりをするように、つん、と視線を逸らしていた。


「お待たせいたしました、お嬢さま。桜木に妙なことは吹き込まれていませんか」


 お盆を持ったすずさんとともに、彼が応接間に戻ってきた。金属製の薄い器に、細かく削られた氷が盛られている。桃やさくらんぼも添えられた、涼やかなお菓子だ。


「すごい、おいしそうだわ」


 見た目にも華やかで、見ているだけで気分が弾む。


「あなたたちのぶんと、兄さまのぶんもある?」


「はい、藍さまには今、水野がお運びしております! わたしたちもあとでいただきますね」


 氷菓子を見てはしゃいでいた桜木さまが、すずさんの言葉にぴくりと反応した。


「藍? もしかして、千花ちゃんのお兄さん? 治療のために来てるんだっけ? 千花ちゃんの兄上ならかっこいいだろうなあ、俺も会いたいな」


 興味津々と言った様子で目を輝かせる桜木さまは、身を乗り出すようにして畳み掛けてきた。


「月雲が言い負かされてるとこは見た? 千花ちゃんのお兄さん相手なら、月雲も大きくは出られないもんね」


「どうでしょうか……」


 年齢でいえば同い年であるし、再会してからはお互いに遠慮というものを見せていないように思う。毎日言い争いをしすぎてむしろ仲良く思えてくるくらいだ。


「くだらないことを聞いていないで、食べてさっさと帰ってくれ。……お嬢さま、騒がしくしてしまって申し訳ありません」


「いいの、お菓子はみんなで食べたほうが楽しいわ」


 いただきます、とわたしが呟いたのを皮切りに、彼と桜木さまが続く。薄く削られた氷には蜜がかかっていて、さっそく匙ですくって口に運んでみる。氷とは思えないようなふわふわとした口当たりで、一瞬で溶けてなくなってしまった。


「っ……これ、すごくおいしいわ」


「最高だね。月雲は物騒な幻術しか使えないと思ってたけど、こんなものも作れたとはね。本部でも作ってよ」


 ぱくぱくと勢いよく氷を口に運びながら、桜木さまは横目で彼を捉えて笑う。


「冗談じゃない。お嬢さまがいないところで作る理由がない」


「朔くん、その千花ちゃんへの優しさのほんのひとかけらでいいから、俺にも向けてくれないかなあ……?」


 彼は桜木さまの声など届いていないとでもいうふうに、黙々と氷を口に運んでいた。親しいからこそ許されるような態度に、思わず頬が緩んでしまう。わかりづらいが、これもきっと彼が桜木さまに心を許している証拠だろう。


 あっというまに氷を食べ終え、幸せな息をつく。もともと快適な室内で過ごしていたが、さらに気分が涼やかになった。


「ごちそうさま、本当においしかったわね」


「はい。お嬢さまのお気に召したようで何よりです」


「涼しくなったらなんだか眠くなってきたなあ」


 大きなあくびをしながら、桜木さまは机にもたれるように肘をつく。言ったそばから目を閉じていた。普段はへらへらと笑っているが、目を閉じると思った以上にすっと整った横顔をしている。これは確かに令嬢たちも放っておかないだろう。


「ここは桜木の家じゃない。帰れ。たまには屋敷に顔を見せないとあとが面倒だぞ」


「ええ……やだなあ、絶対また縁談の話されるもん」


 駄々をこねる桜木さまの首根っこを掴むようにして、彼は無理やり桜木さまを立たせた。昼も夜も大抵幻術師の本部にいるとは聞いていたが、屋敷に帰りたくない理由があったらしい。


「桜木家の後継者がいつまでも独り身でいるわけにはいかないのだから当然だろう」


「それはそうだけど……いいよね、月雲はさ。千花ちゃんみたいな子がいて。俺も俺だけのお嬢さまほしいなあ」


 ぶつぶつと嘆く桜木さまを引きずるようにして、彼は扉のほうへ向かう。容赦のない扱いだ。


 まもなく彼がドアノブに手をかけようかというとき、向こう側からノック音が響いた。いつものようなゆったりしたものではなく、どこか焦っているのか音と音の間隔が短い。


「どうした」


 彼が扉を開けると、廊下には瀬戸さんが立っていた。肩を縮めて焦ったようにちらちらと玄関のほうを眺めている。


「それが……その、幻術師の本部の方々が、旦那さまにご用があるとおっしゃって……」


「本部が?」


「さっきまでいたのに、残業かなあ、やだなあ」


 桜木さまがため息混じりに嘆いたのも束の間、ばたばたと数人の足音が押し寄せてきた。彼や桜木さまと同じような黒い外套を纏った数人の男女が、応接間に傾れ込んでくる。


 その中で、彼よりも二回りは年上の上官らしき男性が宣言した。


「月雲朔、幻術師本部の上級会議で貴殿の拘束命令が出た。雨宮家令嬢殺害にまつわる案件で、貴殿を取り調べる。至急本部に出頭せよ」

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