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幻術師の泡沫花嫁  作者: 染井由乃
第二章「桜花の友人」

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第一話

「今朝のお味噌汁とおひたしも、千花さまが作ってくださったんです。おいしそうでございますね……!」


 すずさんが、ぎこちない笑みを浮かべて彼の前に朝食を置く。今朝は、彼が好きなしじみとわかめのお味噌汁にしたのだ。おひたしも、菜の花を使った旬のものだ。お米と魚はすずさんが用意してくれる。八重さんがいなくなってからの朝食は、わたしたちの合作となっていた。


 彼は、どこか気だるそうに小さく息をついた。すずさんはぎこちない笑みを浮かべたまま、すすす、とりんさんのもとへ下がっていく。りんさんが、慰めるように彼女の肩をぽんぽんと叩いていた。


 八重さんがいなくなってから一週間。明らかにわたしと彼の間には気まずい空気が流れていた。食事の席はともにしているが、ろくな会話がない。


 彼の部屋で起こった出来事が原因なのだとわかっていた。何度か謝罪も試みたが、仕事を理由に話をすることも断られ、一日が終わってしまう。あのあとせっせとかき集めた人魚の涙すらも、受け取ってもらえなかった。


 ……一生このままだったら、どうしよう。


 悲しくて、一日中落ち着かない気持ちでいるから、わたしにはふさわしい罰と言えるだろうが、どうにも耐え難かった。すずさんたちがやたらと気を遣ってくれているのも不憫でならない。何があったのかと聞かれたが、正確に事情を説明できるはずもなく「彼を怒らせてしまったの」と言うに留めている。


「いただきます……」


 自分が味付けをしているせいもあるだろうが、会話のない食卓でとる食事はまるで味がしない。悲しくて、涙の匂いばかりがした。


 黙々と食べ進めていると、ふいに彼が箸を置いた。何やら難しそうな顔をしている。慌ててわたしも箸を置き、彼の様子をおずおずと見守った。


「あの……お口に合わなかったかしら」


「いえ、とてもおいしいです」


 言葉ではそう言いつつも、あまりおいしそうには見えない。こんな状況でも彼は気を使ってくれているのかもしれない。


 食事を再開する気配のない彼の様子を、俯きながらも空気でじっと観察する。怒っている様子ではないが、気まずくて仕方がなかった。


「千花お嬢さま」


 不意に名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。久しぶりに、彼とまっすぐに目が合った。


「よければ今日、帝都へ出かけませんか。……桜が見ごろらしいので」


「え……?」


 思いがけない誘いに、思わず硬直してしまう。彼はふい、と視線を逸らした。


「嫌なら……無理にとはいいませんが」


「い、いえ、行くわ! 行きたい!」


 思わず身を乗り出すようにして返事をする。今日の彼はいつものように洋装だから、お仕事があると思っていたのに、まさかわたしと出かけてくれるつもりだったなんて。


 気まずい思いがどこかへ行ってしまうほど、嬉しかった。思わず頬を緩ませて、食事を再開する。


 ……ちゃんと、謝れたらいいな。


 そしてできれば、くちづけを拒否した事情を正しく説明できたらいい。彼との間にある誤解を、すこしずつ正していきたかった。


 ◇


 朝食を終えたあと、わたしはりんさんとすずさんの手によって完璧なまでにめかし込まれた。綺麗な桜色の着物に袖を通し、久しぶりに化粧も施した。髪には枝垂れ桜の細工がついたかんざしを刺している。


 乗り込んだ馬車の中で会話は碌になかったが、馬車から降り立った瞬間、その気まずさはどこかへ吹き飛んでいった。それくらい、目の前に広がる光景がすばらしかったのだ。


「わあ……!」


 目の前の道には、見事な桜並木が続いていた。緩やかな風に、ひらひらと花びらが舞っている。花見に訪れた人々の鮮やかな着物の色もまた、目の前の光景を絶景たらしめていた。


 帝都の中心街からわずかに外れたところに、有名な桜並木があると聞いたことはあったが、ここまで見事とは思わなかった。


 思わず二、三歩かけだして、ほう、と溜息をつく。青空の中で揺れる桜はいつまででも眺めていられそうだ。こんなに美しいものは久しぶりに見た。


「すばらしいわ……! 連れてきてくれてありがとう、たま!」


 振り返り、思わず彼に向かってそう告げてからはっとする。あまりの嬉しさに、つい昔のように彼を呼んでしまった。仲直りをしたいというのに、これではますます彼を怒らせてしまうだろう。


 彼は一瞬はっとしたように目を見開いてから、わたしと距離を詰めた。


 せっかく連れ出してくれたのに、帰ろうと言われるかもしれない。思わずぎゅうと目をつぶって、謝罪する。


「ごめんなさい……昔の呼び方で呼んでしまうなんて」


 怒鳴られても文句は言えない所業だ。彼が八重さんに向けていたような言葉で怒られたら、こんな往来でも泣いてしまいそうだった。


「構いません。いつでもそうお呼びください」


「え?」


 聞き間違いかと思い、そっと顔を上げると、存外に機嫌がよさそうな彼と目が合った。そのままするりと彼の手が右手に触れる。


「花見客がずいぶん多い。あなたの黒猫がはぐれてもいけませんので、こうして手を繋いでいていただけますか。お嬢さま」


 わたしの顔を覗き込むように、彼はわずかに身を屈めた。不敵な笑みに、どきりとする。伺うていで話しかけているが、すでに指先はぎゅうと握り込まれていた。


「え、ええ……いいわ」


 許可する言葉を口にしても、主導権を彼が握っているのは明らかだった。昔は絶対にこんなことはしなかったのに。


 春の暖かさのせいか、鼓動がすこし早い。先ほどまでの気まずさとはまた違った温度の落ち着かなさが、心の中を暴れ回っていた。


 桜が舞い散る道を、殊更にゆっくりと歩く。ひらひらと舞う桜の花びらを見上げながら、桜の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。春が来たのだと実感する。


「わたし、今、すごくすごく嬉しいわ。こんなに晴れやかな気持ちになったのは久しぶり!」


 手を繋いだまま、彼を見上げる。すぐに、柔らかな表情をした彼と目が合った。彼もこちらを眺めていたようだ。


「はい、お顔を見ればわかります」


 そういう彼もいつになく嬉しそうで、とくりとまた心臓が揺れる。繋いだ手が、なんだか妙に熱かった。


 それ以上彼を見つめていられなくて、再び桜に意識を戻した。けれど、先ほどよりその美しさに集中できない。繋いだ手のほうが、気にかかって仕方がない気がしていた。


 ふと、道ゆく人の視線を感じてあたりを見渡す。通行人たちはちらちらとこちらを見ては、顔を赤らめたり、憧れるように目を輝かせたりしていた。どうやら皆、彼を見てその反応に至っているようだ。


 ……そっか、彼は有名な幻術師なのよね。


 帝都の英雄、月雲家の幻術師。そんな彼の隣を歩いているのがわたしであることに、急に肩身の狭さを感じた。


「どうかしましたか?」


 彼は、わたしの些細な変化も見逃さなかったようで、わずかに手を引かれて距離が縮まった。本当に目ざといひとだ。


「いえ……ただ、あなたは人気者なのだと実感していただけなのよ」


「人気者?」


「道ゆくひとはみんなあなたを見ているもの」


 みんなが見ているのは、わたしの知らない彼の顔だ。なんだか急に彼の存在が遠く思えた。


「ご冗談を。皆、お嬢さまの美しさに目を奪われているだけでしょう」


 なんてことないように、彼は淡々と告げた。気恥ずかしさひとつなく言ってのけるところが、まるで彼の本心のように思えて余計に動揺する。わたしのどこを見たらそんなことが言えるのだろう。


「……浅海の家であなたの審美眼を鍛えられなかったことが悔やまれるわ」


「ひどい言い草ですね。これでも見る目はあると思うのですが」


 確かに月雲邸はどこもかしこも趣味がよいが、今ばかりは素直に認めたくなかった。


 誤魔化すように視線を泳がせた先で、ふと、道の脇に小さな屋台を見つけた。どうやら桜餅を売っているようだ。次々に客が訪れては桜餅を片手に桜の下へ移動していく。道で何かを食べる光景を見るのは初めてだが、とても楽しそうだ。


「買ってみましょうか、桜餅」


 わたしの視線に気づいたのか、彼は繋いだ手を解いて屋台へ向かった。慌ててその後を追うと、さっそく彼が会計を済ませるところだった。


 ……こうやってお買い物をするのね。


 浅海家から出たことがなかったせいで、実際のお金というものに触れたことはほとんどない。彼と店主のやりとりをまじまじと眺めて勉強していると、彼がくすりと笑うのがわかった。


「そんなに食い入るように眺めずとも、何か欲しいときはぼくが買って差し上げます。お嬢さまはお金の使い方などわからなくてよろしいのですよ」


「そういうわけにはいかないわ……」


 今度、りんさんやすずさんに教えてもらおう。心の中でそう決意を固めていると、桜餅屋の店主がけらけらと笑った。


「旦那、ずいぶん箱入りの嫁さんだな。どこぞのお姫さまかい」


 揶揄うような調子だったが、彼は至って真面目に答えた。


「そうだ。手に入れるのにずいぶん苦労した」


「そうかそうか、そりゃお幸せにな」


 店主が呑気な声で私たちを送り出す。いつの間にか、再び彼に手を握られていた。


「お姫さまではないわ……わたし」


 気恥ずかしさから些細な抗議の声をあげるも、彼はまともに取りあわなかった。


「ぼくにとっては似たようなものです」


 わたしのほうを見向きもせずにそう告げると、彼はある大きな桜の木の下で立ち止まった。他の木の下には家族連れや恋人たちの姿があったが、木と木の間隔が程よく離れているおかげで、声は聞こえても会話の内容は聞こえないくらいの距離だった。


「ここで食べましょうか」


 彼は薄手の黒い外套を脱ぐと、芝生の上に敷いた。そこへ、わたしの手を引いて導く。


「上着が汚れてしまわないかしら……?」


「構いません。どうぞお気になさらず」


 彼の親切に甘えて、おとなしく外套の上に腰を下ろすことにした。空と桜が、一段高くなる。


「どうぞ」


「ありがとう」


 彼に差し出された桜餅を両手で受け取る。彼も自分のぶんを片手で持ち上げたのを確認して、口を開いた。


「いただきます」


「……いただきます」


 さっそく、綺麗な桜色のお餅に齧り付く。わずかにちぎれた桜の葉は、程よく塩味が効いていた。甘さとしょっぱさがちょうどよく混じりあっていて、油断するといくらでも食べられてしまいそうだ。


「おいしい……! 桜の下で食べるとまた格別ね」


 思わず頬を緩ませて彼を見つめると、やはり同じように微笑んだ彼と目が合った。やはり今日の彼は、いつになくご機嫌のようだ。


「そうですね。お口に合うものが売っていてよかったです」


 彼はやっぱり何気なく告げてから、ふと、憂いを帯びた横顔を見せた。長いまつ毛が、ふっと伏せられる。まるでゆったりと時間が流れているかのように、優美な仕草だった。


「この間は……その、申し訳ありませんでした。お見苦しい場面をお見せした上に、お嬢さまが望まぬことをしてしまうところでした」


「あ……」


 まさか、彼から先に謝られるなんて思ってもみなかった。機を見てわたしから切り出そうと考えていたのに、先を越されてしまったようだ。


「それは……わたしのほうが謝るべきことよ。あの夜、あなたは当然のことしかしていないわ」


 盗人である八重さんを罰しようとしたことも、手慰みにわたしにくちづけようとしたことも、何も責められるべきことではない。どちらも月雲家の当主として、わたしを買った夫として、当然の権利だ。


「お嬢さまを、無闇に怯えさせたくありません。嫌なことも怖いことも……ぜんぶ我慢せずに教えてください」


「っ……」


 このひとは、どこまでわたしに優しくするつもりなのだろう。思いきり甘やかした後に、父がわたしにしていたような扱いをして、絶望を深くする心づもりなのだろうか。


「嫌なことも怖いこともないけれど……わたしはあなたの優しさが、不安で仕方がないわ。これでは、莫大なお金を使ってわたしを買った意味がないでしょう? まるで復讐になっていないもの」


 ついに、このひと月思っていたことを打ち明けてしまった。どんな答えが返ってくるだろう。視線を逸らしたかったが、彼の反応を残さず見ておきたくて、じっと彼を見つめる。


 彼は、きょとんとしたようにわたしを見ていた。何を言っているのかまるでわからないとでも言いたげな表情だ。


「おかしなことをおっしゃいますね。今だって、まさに復讐の最中ではありませんか」


「え?」


 こんなに楽しくて、おいしいものを食べさせてもらっているのに復讐の最中だなんて何を言っているのだろう。桜餅に毒でも盛られているのだろうか。


「それは、どういう――」


 彼の発言の意図を掴みきれず、掘り下げようと口を開いたが、最後まで言葉を紡ぐことは叶わなかった。どこからか、のどかな花見には似合わぬ悲鳴が聞こえてきたからだ。


「誰か! 誰か!!」


「幻術師はいないのか!」


 悲鳴に混じって、助けを求める声が聞こえてくる。聞き間違いでなければ、幻術師を探しているようだ。


「どうしたのかしら……」


 不安を隠さずに彼を見つめれば、彼は桜餅を咀嚼しながら眉を顰めていた。ごくりとそれを飲み込んでから、小さく息をつく。


「……せっかくの休暇だというのに、面倒ごとの気配しかしません」


「幻術師を呼んでいたわ。……行かなくていいの?」


「……ご命令とあらば参ります」


 ものすごく乗り気ではなさそうだが、彼は渋々立ち上がった。


 わたしも一緒に立ち上がり、芝生に敷いていた彼の外套を軽く払って差し出す。


「お嬢さまはここで座ってお待ちください。危険かもしれません」


「わたしも行くわ。……幻術は使えなくても、簡単な手当くらいならできるかもしれないもの」


 悲鳴を聞く限り、怪我人がいる可能性はあるだろう。人手が必要な場面もあるかもしれない。


「お嬢さまは清廉なだけでなく正義感もお強いのですね……。つくづくぼくにも分けていただきたいものです」


 呑気に感心している場合ではなさそうだが、それだけ行きたくないのだろう。


 どうすれば彼にその気になってもらえるのかと悩んでいた矢先、ふと、彼と同じような黒い外套を纏った青年が道から大きく手を振っていた。


「月雲! お前も来てたんだな。悲鳴聞こえただろ、行ってみよう」


 よく通る大きな声だった。長い手をぶんぶんと振っているから、周りの注目をこれでもかと集めている。


 彼は返事もせずに大袈裟なほど深いため息をついた。そうしている間に、青年が舞い散る桜の中をこちらに向かって突き進んでくる。


「休日にも会えるなんて奇遇だな、月雲。……もしかして、この子がこの間迎えたっていう奥さんか? うわああ、可愛いなあ。お前はこういう顔が好みだったんだな」


「うるさい。お前ごときがお嬢さまを評価するな」


 相手は同僚か友人だろうと思うのに、ずいぶん冷たい物言いだ。驚いて目を見開いていると、青年はどこか憐れむような目で彼を眺めていた。


「お前……やっとの思いで奥さんに迎えられたのに、まだお嬢さまって呼んでるのか……? 拗らせすぎるのも考えものだな」


 心の底から気の毒そうに彼を眺めたあと、青年はくるりとわたしに向き直って手を差し出してきた。


「初めまして、月雲の奥方殿。俺は桜木慶、月雲とは学生時代からの友人で今は幻術師としてともに働いているんだ」


「お初にお目にかかります。浅……月雲千花と申します」


 彼と同じ苗字を名乗る機会はこれが初めてだ。気恥ずかしさはあるものの、浅海よりも不思議としっくりとくる。


 ……この手は何かしら。


 差し出された手をどうしようかとまじまじと眺めていると、横から彼の手が伸びてきて、桜木さまの手を叩くように振り払った。


「……行くぞ。面倒ごとはさっさと片付けたほうがいい」


 彼は舌打ちしそうな勢いでそう告げると、くるりとわたしを振り返った。


「いいですか、お嬢さま。ぼくより前に出てはいけません。この男と話してもいけません」


「え、ええ……」


 前者のいいつけはともかく、後者はいかがなものかと思っていると、まるで気にしていなさそうな桜木さまが早速話しかけてきた。


「よしよし、三人で仲良く行こう!」


 ……今まで出会ったことのない類の方だわ。


 ぐいぐいと強引なくらいに踏み込んでくるのに、不快でないのは何故だろう。何もかもを弾き飛ばすような、底なしの明るさのせいだろうか。


 ……こういう方が、彼の友人だなんて意外だわ。


 小言を言い続ける彼と、それを気にもとめていない桜木さま。ふたりのやりとりを一歩後ろで眺めているだけで、不思議とくすりと笑えてしまった。

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