小指を巡る冒険
端的に述べると箱の中には誰の物とも知れぬ小指が入っていた。右足の、小指だ。
萎び具合からして箱の中へ入れられたのは随分と昔、あるいは随分と昔に切断した指を箱の中へ入れたのだろうが、箱を作ったのはほんの四十分前であり、私はそれが完成してから一度たりとも目を離していなかったという事実が実に厄介だ。密室小指転送事件とでも呼ぶべきだろう。十センチ四方のベニヤ板で作られた薄っぺらい檻の中に沈む、枯れ枝のような小指を私は恨めしく眺めてみる。別段情況は好転しないが、悪化もしないので良しとする。
さてこの箱であるが用途はというと、どこぞの誰かが送り込んできた小指が奇しくもこれまた端的に表していた。つまり切断した右足の小指を入れておくための物である。誰だって一度小指を切られると再び生えてくる訳でなし、歩きにくくなるのはいっこうに好まぬ私であるから必然切断するのは他人の小指ということになる。根本からペンチでぶちんと。切断するに当たり力は要らない。今まで切り落としてきた人の小指が全て女性の物であったということ、また、アスリートタイプの女性ではなく、病的な肌と体と心を持つ者、あるいはいかにも程度の低そうな者しかいなかったこと。それらが理由なのだろうが。
こう言うと心を病んでいる人間のようかも知れないがそれは事実無根だ。コレクターが蒐集しすぎて収拾のつかなくなった状態なぞというクスリとも笑えぬ状態に陥っている訳でも断じてない。ビジネスだ。小指を切り落とす。決してカタギになり得ぬかも知れない。が、故に商売敵など存在せず少ないパイを食い合うことは決していない。
では少ないパイとは誰か。答えは簡単、小指を可及的速やかに切り落とす必要のある人間である。ただ理由は様々ではあるのだが。一番多い理由は保険である。事故によって小指が落ちた、と言って体を張った自作自演を行うわけだ。小指が綺麗に無くなるのだから事故にしては不自然だが、それはそれ。小金を稼ぎたい医者が上手く取りはからうらしい。足の小指が無くなればたいそう歩きにくくなるそうだが、幸いなことにクレームは一切ついていない。世の中金が必要なわけだ。私だって金は欲しい、速やかに。次に第二の理由。いや、最後の理由か。円グラフにすると残りは理由を知らないのだから、第一の理由と第二の理由、そしてその他で構成されることになる。その第二の理由だが、人は私を病んでいるというが、こっちの方が相当病んでいる。小指が欠けていることに特別な価値観を見いだすのだ。欠損している部位を持つことによって他人との差別化を図るわけである。保険金目当てで切り落としを依頼してくる人間は茶髪でピアスをしているような輩が多いが、いわばファッションのために指を切り落とす輩は前述の病的な肌の持ち主が多い。欠損を強調するなら手の薬指でも切り落とせばいいものを、と思うのだが、風評としての私は右足の小指専門の切断家として知られているようで、また、差別化を図りたい癖に人に見られるのは嫌だという厄介な性質を持っているせいもあって、一度たりとも薬指を切り落としたことはない。私にしたって無理に経験のない薬指を落とすより、慣れ親しんだ右足の小指を切り落としたいとは思うのだが。
で、さっきの萎びた小指である。こんな仕事を続けていられるだけあって、私の精神力は客観的に見て相当な方だと思う。だてにこの商売一筋云十年。今までついぞこのようなことは起こらなかった。萎びた小指を見た瞬間、私はそれを手に取ってみた。とりあえず幻覚かどうか見定めるという寸法である。はたしてそれは軽いながらも質量を持っていた。乾いた切断面から覗く骨なぞは、つついてみると粉々になる前のあがきで私の人差し指の腹に刺さってきたほどである。縮んだ皮は指で弄ぶとぱりぱりと剥がれ、中身の頼りない白い骨が見えた。経年劣化に耐えた爪は小さい。縮むことはないだろうから十中八九女性の物だ。これまで何十人と見てきたのだ。見間違えるはずはない。ひどい深爪をしている。彼女は神経質なのだろうか。
この小指が誰の物であれ、私の作った箱の中に出現するとは計画犯である。一つの見方として私に対する牽制であると取れる。これ以上その商売を続けるとお前もこのような目に合うぞ、という脅しというわけだ。しかも過去か未来か現在か分からぬ所からの牽制である。未だかつてこれほどまで陰険な牽制があっただろうか。そう考えると小指に夢中な私の後ろに謎の人物が現れ、一刀のもとに首を刎ねられてもおかしくはない。綺麗に別たれた首は血を噴きながらちょうど半回転して開けっ放しの箱に嵌る。小さな箱の中からひょっこりと顔を出しておどけている私の顔が目に浮かんだ。二つめの見方としてダイイングメッセージ説が頭に浮かんだ。小指を切り落としに来たクライアントが犯罪に巻き込まれ、決死の覚悟で小指をこちらへ転送したわけである。そう考えると自ずと時間軸は現代に確定され、被害者は数ヶ月前に小指を切り落とした二十代OLということになる。最後の依頼だから間違えるはずもない。なかなか真相に近づいてきた気がする。ダイイングメッセージ説を採用するなら、小指には事件にかかわる重要な証拠が隠されているに違いない。もう一度仔細に眺め、匂いも嗅いでみたが何も得られなかった。それもそのはず、クライアントはよっぽどのことでは無い限り小指など持ち帰りはしないのだから。小指を保存するために私はわざわざ箱を作るのである。といった経緯でダイイングメッセージ説は立ち消えとなってしまった。
異次元の脅迫者であれ被害者渾身の密室転送ダイイングメッセージであれ、私には関係がない。今私に重要なことは、依頼者が少なくなってきたせいで、稼ぎが無くなったことである。この就職難の時代、バイトもろくに入れない。いちおう女性たる私は風俗で働けばいいかも知れないが、とうのたった女が働けるほど甘くはなかった。
私は手元にあったペンチを取り上げ、慣れた手つきで右足の小指にあてがった。
オチありきのユーモアではなく、オチのないユーモアで。