第四十三話 母を揺さぶる影
獅凰連合の頭・二井、通称モンキーは狡猾に久里鬼の弱点を突いた。
標的は、ただ一人の肉親――母。
普段は豪鬼と恐れられる男も、母にとっては“息子”でしかない。
その姿を目にした時、久里鬼の心は大きく揺さぶられてしまう。
夜の住宅街。
スーパーの袋を提げた久里鬼の母は、仕事帰りの疲れを押し殺して歩いていた。
袋にはコロッケの材料。
「……ヨシトの好きなやつ、作ってやらなきゃね」
小さく呟きながら、足早に帰路を急ぐ。
その背後を、数人の影が追っていた。
「準備はいいな」
低い声。鉄パイプが夜風にきらめいた。
次の瞬間、鈍い音が響く。
「――ッ!」
母が悲鳴をあげ、袋が破れた。
じゃがいも、玉ねぎ、卵がアスファルトに散らばる。
「うっ……!」
崩れ落ちる身体に、無慈悲な蹴りが突き刺さる。
通行人の通報で救急車が駆けつけ、母は意識を失ったまま病院に搬送された。
―
その報せを受けた久里鬼の胸は凍りついた。
「……母ちゃんが……!?」
通話を切ると同時に、全速力で夜の街を走った。
肺が焼ける。足が悲鳴を上げる。
それでも止まれなかった。
「頼む……母ちゃん!」
病院の廊下を駆け抜け、病室に飛び込む。
白いシーツに横たわる母。
包帯で覆われた頭、青紫に腫れ上がった頬。
「母ちゃん!」
手を握りしめる。
母はうっすらと目を開け、焦点の合わない視線で微笑もうとした。
「……ヨシト……」
その声は弱々しかったが、確かに彼の名を呼んでいた。
普段は豪鬼と恐れられる彼も、この時ばかりはただの息子だった。
「……しゃべんな! 大丈夫だ、俺がいるから!」
声が震え、視界が滲む。
母は再び目を閉じ、モニターの音だけが部屋に響いた。
医師が肩に手を置き、低く告げた。
「命に別状はありません。ただし、しばらく安静が必要です」
安堵と怒りが同時に込み上げる。
(誰だ……誰が母ちゃんを……!)
―
病院を出た瞬間、夜風が冷たく肌を打った。
白い息を吐く間もなく、暗がりからざわめきが広がる。
「おぉおぉ……出てきたな、豪鬼さんよぉ」
駐車場にぞろぞろと影が現れた。
鉄パイプ、バット、チェーン。
十数人の獅凰連合が、半円を描いて立ちはだかる。
「……てめぇら……!」
久里鬼の瞳が炎を宿す。
群衆の中から、一人が歩み出た。
小柄で天然パーマ、猿のような笑顔。
――モンキー、二井。
「母ちゃんの顔、見てきたか? あの情けねぇ姿よぉ」
冷酷な嘲笑が夜気を裂いた。
「てめぇ……!」
怒号と共に飛び込む久里鬼。
拳が炸裂し、三人を一気に吹き飛ばす。
しかし背後からチェーンが腕に絡み、脇腹にバットが叩き込まれる。
「がはっ……!」
膝が揺れる。
「どうした? 母親見てビビったか!」
「豪鬼なんて呼ばれても、中身はただの坊やだな!」
嘲笑が響き渡る。
久里鬼は血を吐きながら立ち上がった。
「……まだだ……俺は倒れねぇ!」
渾身の拳でさらに二人を殴り飛ばす。
だが呼吸は荒く、攻撃は雑だ。
母の声――「ヨシト」という響きが頭を離れず、集中力が削がれていた。
二井は腕を組み、冷笑を浮かべた。
「やっぱりな。母親を狙やぁ、お前はこうなる。豪鬼? 笑わせるな。ただの人間だよ」
「黙れぇぇぇ!」
怒声と共に突進する久里鬼。
だが獅凰連合は波のように押し寄せ、鉄と拳が容赦なく降り注いだ。
母を襲撃され、病院でその姿を見た久里鬼。
その響きに心を揺さぶられ、豪鬼としての冷静さを失っていく。
そこを狙いすました獅凰連合が牙を剥き、数の暴力で追い詰める。
だが彼の瞳には、まだ消えぬ闘志が燃えていた。




