第11話 さらわれた“今”、追いかけた“心”
その朝、私の姿は王城から消えていた。
部屋の窓は開いたまま、服や持ち物はそのまま。
ただ一つ、ベッドの上に、あの“花の冠”が残されていた。
「……ちひろが……いない……?」
クラリスの叫びが、王城を駆け抜けた。
そしてその報せは、すぐに執務室のエルネストへと届く。
「……なんだと」
その場にあった書類が、彼の手の中でぐしゃりと音を立てる。
「いつ、誰が、どうやって連れ去った」
「目撃情報では、最後にちひろ様と話していたのは、“あの女”――シズクです」
エルネストの瞳が、静かに、鋭く光った。
「……あいつか」
◇ ◇ ◇
一方その頃、私は見知らぬ森の奥で目を覚ました。
「……え……ここ、どこ……?」
森の中。
大きな木々に囲まれた、苔むした小さな祠の前。
隣にいたのは、シズクだった。
「ごめん……ちひろ。でも、あのままじゃ、きっと記憶は戻らない」
「……これ、あなたが?」
「うん。わたしが……あなたを連れてきた」
彼女の手には、あの手紙が握られていた。
「この祠に、記憶を解放する“術具”が眠ってるって書いてあったの。あなたを元に戻せるかもしれない」
「でも……それ、あなたひとりで決めたの?」
「……ごめん。でも、わたしはあなたの“親友”だった。だから、どうしても……!」
私は、目を伏せた。
思い出せない。
でも、彼女の必死な気持ちは、本物だった。
「……エルネストは、何も言わずに受け入れてくれた。私が記憶を失ってても、“今の私”を」
「でも、それは……“過去のあなた”を捨てることになるんだよ!」
彼女の声が、強く響いた。
◇ ◇ ◇
そのとき。
「ちひろ!!!」
森の静寂を破ったのは――
確かに、聞き覚えのある、低く響く声だった。
「……エルネスト……っ!?」
私が振り向いた瞬間、風を切って彼が走り込んできた。
「っ……あなた、どうしてここが――!?」
「君がいなくなった世界など、どうやって生きろという」
彼は荒い息を吐きながら、私の腕を掴んだ。
「……誰が、“連れて行っていい”と、許した」
その言葉は、怒りと、そして――強い“恐れ”に濡れていた。
「あなた……怒ってる?」
「当たり前だ!」
その声は、鋭く、鋼のようだった。
でも、次の瞬間――
「……君を失うかと思った」
エルネストの声が、かすかに震えた。
「君がいなければ、俺の中の“何か”が崩れる。……君を守るために、“力”を持って生まれたとさえ、今は思う」
私は、息を呑んだ。
それは、彼が初めて“自分の弱さ”を言葉にした瞬間だった。
「……でも、私はまだ、自分が誰だったのかも分からない」
「それでもいい。君が、今、俺の手の中にいるなら、それだけで十分だ」
エルネストが、そっと私の額に触れる。
そのときだった。
ずん、と地面が揺れた。
「っ、これは――!」
祠の中から、どす黒い瘴気が噴き出す。
「まさか、これが“術具”の副作用……!?」
シズクが震える声で呟いたとき、魔の気配が私の足元を這い上がってきた。
そして――
「ちひろ、逃げろ!!」
その声とともに、エルネストが私を突き飛ばす。
次の瞬間。
エルネストの体が、魔の渦に呑み込まれた。
「……っ! エルネスト!!」
手を伸ばす。
でも、届かない。
あのときと同じ。
“誰か”が私の前から、消えていく――。
◇ ◇ ◇
暗闇の中。
彼の体は、冷たい空気の中に沈んでいた。
光のない、記憶の底。
そして、エルネストの脳裏に浮かんだのは――
かつて、まだ彼が幼かった頃。
手を差し伸べてきた、名前も知らない“少女”の笑顔だった。
「……まさか……」
そう、それは。
過去にほんの一度だけ、彼が心を開きかけた“誰か”――
「君は……あのときの……?」
――記憶が、ひとつ、繋がった。